白眉最良

中学校教員が書くエッセーのようなもの。

我が子が不登校になった⑭

我が子が不登校になった。

 

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不登校の子どもは日本全体で30万人越えたという。

 

実際のところ不安定ながらも学校に通っている我が子はこの数字の中にカウントされていない。

 

つまり、その実態は数字よりもはるかに多いということだ。

 

実際に現場で見ていても少しでも学校に顔を出せば出席カウントにしているところは多い。数字以上にこの問題は深刻なのだ。

 

しかし、なぜこうも不登校は増えたのか。

 

それはつまるところ、社会の変化によるところが大きいように思う。

 

その根本の理由と対策について最近考えているところを書いてみたい。

IT化

まずITの進化があげられる。

 

スマホタブレット不登校と相性が悪いのである。いや、とても相性がいいといった方がいいかもしれない。

 

少しの努力や工夫で称賛される仕組みがゲームの中には整っている。のめり込むうちにあっという間に昼夜逆転する。

 

昼夜逆転してしまえば学校は遠のくばかりだ。

 

厄介なことにゲームさえあればコミュニケーションを取っている気にもなれる。スマホ不登校児が抱える寂しさを紛らわせてくれる心強い味方なのである。

 

学校に行くよりもスマホやゲームをしていた方がはるかに楽だし、面白い。その構図が不登校を加速させているのは間違いないだろう。

 

しかし、どう考えても我が家はこれではない。スマホはおろかゲームすら与えていない。なんせ我が子は小1である。

 

では、我が家はどこが問題だったか。

 

最近思う事があるのである。

子どもを大切にし過ぎる

これである。

 

我が家は子どもを大切にしてきた結果、かえって弱い子にしてしまったのではないかというのが私の立てた仮説だ。

 

子どもを苦労させたくない、そういう思いで色んなことを先回りしてやらせてきた。

 

幼い頃から習い事もやらせてきた。それらは能力を高める一方で本人の完璧主義を加速させてしまったところもある。

 

また、先回りできない環境では自分で対処できずに落ち込んでしまう子になってしまったのだと思う。

 

思い当たる節はいくつかある。責任は私にある。

 

例えるならハンカチだと思っている。

 

毎回きっちりハンカチを親に準備してもらっている子はトイレの後にハンカチがないと慌ててしまうだろう。

 

しかし、そういう子よりも「ハンカチなんてないならTシャツで拭いときゃ良くね?」と思える子の方が強いのである。

 

もちろん、ハンカチを持っていることの方が世の中から見たら良いことだろう。しかし、そうでなくても柔軟に考えて、多少のことは目を瞑ってうまくやっていける子の方が強いのである。

 

親が良かれと思ってあれこれ与えてしまうことはこの柔軟性を奪ってしまう。

 

少子高齢化もあって、子どもが大切にされるようになった。

 

子どもを大切にするというのはけして悪いことではない。

 

しかし、失敗しないように先回りすることがかえって失敗できない子を生み出しているように思うのである。

 

私はこの点について猛省している。今は家庭教育を見直しているところだ。

 

改めて、不登校の根源的な原因はやはり家庭にあるのだと思った。

 

不登校の解消に向けて求められるもの

そしてこれらのことに共通することがある。

 

それはどちらも、

 

 

親の勇気

 

が求められるということである。

 

子どもからスマホを取り上げたら、泣いて暴れるかもしれない。

 

ある家庭では「スマホをくれなきゃ学校に行かない」と子どもから言われ、親は子どもから取り上げたスマホをそっと階段に置いてきたという。

 

子どもと対立するのを恐れているのである。

 

他にも先回りせずに何かをやらせたら、子どもは失敗するかもしれない。その結果として大きく落ち込むかもしれない。

 

しかしながら、それらを受け入れる親の勇気が今問われているのだと思う。

 

例をあげるなら川遊びである。

 

毎年川での死亡事故が報道されている。慣れない子が川で遊ぶのは非常に危険だ。

 

その中で子どもが川で遊んでみたいと言った時に親は許容できるかどうか。

 

もしかしたら事故になるかもしれない。危険な目に遭うかもしれない。

 

しかし、そうゆう危ない体験もして初めて子供達が獲得するものがあるように思うのである。

 

そして、この時の川というのは社会そのものだとも思うのである。

 

就活について回る親、コンビニの面接について行く親。そんな子どものことを思って良かれと思ってついて回る親がいる。

 

しかし、そうやって目を離されない安全な環境になれた子が果たして、世の中を1人で生きていけるようになるだろうか。

 

 

飲酒や喫煙、駅前にたむろする不良グループなど、昔はそういう「ちょっと危険なこと」「子どもたちにとって親の目から離れてする冒険」が至る所にあったように思う。

 

子どもはそういうことを経験しつつ親から離れて強くなっていったのではないか。

 

しかし、コンプライアンスが強調される昨今はそういう子供にとってのちょっときた冒険が世の中から減った。冒険してみたくてもすぐにGPSで居場所を突き止められてしまう。そのことは子どもから学習の機会を奪った面もあると思うのである。

 

だからこそ、まず、親が勇気を持てるか。

 

それは「うちの子は大丈夫」という子供への信頼と言い換えてもいいかもしれない。

 

このように、意図的に子どもを信じて任せる場面をいかに作るかが現代社会では重要だと思うのである。

 

さて、もう少しで夏休みだ。

 

我が子にはどんな冒険をさせるべきだろうか。

 

そんなことを考えている。

(続きはこちら↓)

 

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