あそこで熊が踊ってる。

30代まっしぐらの公立学校教諭が描くエッセイのようなもの。

子育てをする上で大切にしたいと思っていること。(自戒)

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一歳になるうちの娘なのだが,ここに来て著しく成長しているのを感じているのである。

 

先日は生まれて初めて髪を切ったのだが,伸び放題だった髪を切って前髪が出来たことで、ぐっと大人っぽくなった。

 

そして前髪が出来たことで初めてわかったのだが,娘は前髪にだけクセがあるらしい。

 

遺伝とはすごいものである、実は私も前髪にだけクセがあるのだ。

 

そして悲しいことにそのことが分かるころには、

 

父親の方はだんだんと

 

前髪そのものが無くなりつつある

 

 

という残念な話である。(←あれ?涙が出てきたぞ?)

 

 

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他にも自分一人で椅子に座れるようになった。一人で座って抜け出すを繰り返し,一人で拍手をして喜んでいる。

 

さらには、股の下から覗き込むという謎のポーズが最近のお気に入り。

 

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股の下を通してこちらと目が合うと大笑いして倒れこむのである。

 

目を離すといつのまにか背中に回り込んで抱きついてバックをとってくる。将来は有望なレスリング選手になるんじゃないかと予想している。

 

 

とまぁ、このように日に日に出来ることが増えており、ラーメン次郎風に言うと、

 

人間味増し増し

 

 

状態にあるわけである。

 

 

そして、そんな娘を見ていて私はとても不思議な感情に包まれているのである。

 

 

「こっ…これが幸せか……」

 

 

 

と。

 

そんな風にふと思うのだ。

 

娘を見るのが今はたまらなく愛おしいのである。

 

多分私は娘が交通事故に遭おうとしていたら喜んで代われると思う。

 

そして私より妻の方が娘にとって重要な存在であるから,妻がひかれそうになったとしても入れ替わると思う。

 

(ただ妻は代わってくれなさそうなので、「俺が事故にあいそうになったらどうする?」とは怖くて聞けないでいる)

 

 

とまぁ、子どもの成長を見ながら、我々は夫婦で毎晩デレデレニヤニヤしているのである。

 

そして、そんな娘の成長をみながら、ふと思ったのである。

 

いつから人はこんな当たり前を喜べなくなるのだろか。

 

と。

 

今の段階でハイハイして、つかまり立ちをして。

 

それだけでもう大喜びしているのに,いつのまにかそれだけじゃ人は子どもを褒められなくなっていくのである。

 

 

存在そのものが今こんなにもありがたいのに、時間が経つにつれてそのことを大人は忘れてしまうのかもしれない。

 

 

少なからず私はこれから娘が成長していっても、

 

今のこの

 

「生まれてきてくれたことがとても有り難い」

 

という気持ちを忘れたくないなと思う。

 

 

そして忘れないようにするためにも、この場に書いておくのである。

 

 

本日も読んでくださり、ありがとうございました!

 

 

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いろんなものの価値をお金に換算してみようっていう話。

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私は昔から境界線を考えるのが好きで。

 

「何歳からがおじさんなのか?」

 

「どこからがゴミでどこまでが食べ物なのか?」

 

「何時から挨拶が、おはようございますに切り替わるのか?」

 

みたいなことをしょっちゅう考えてきたのである。

 

 

その中でも

 

「大人と子どもの境界線」

 

というのはよくあるテーマではあるが,私もこれまで何度も考えてきたのである。

 

私の中でいくつか答えはあるのだが,

 

その中の一つが,

 

 

「子どもにはわからないものの価値がわかるのが大人」

 

というものなのである。

 

つまり、ピカソの良さがわかるのは大人で、わからないのは子ども。

 

ゴッホより普通にラッセンが好きなら子どもだということである。

 

そうやって考えてみると、子どもというのは価値がわからないものだらけだなぁと思うのである。

 

多分私が今読んでいる本を、子どもの頃の私が読んでもその面白さなんて一ミリもわからないだろう。

 

そういう意味で考えていたら、

 

そういった文学やアートだけでなく子ども達が価値を理解していないものの一つに、

 

 

「時間」

 

 

があると思ったのである。

 

子ども達というのはいかに時間が貴重なものなのかというのがよくわかっていないように思うのだ。

 

この夏休みも生徒達は朝の7時台から集まって駅伝の練習に励んでいるのだが、いかんせんお盆休みもあってなかなかモチベーションの上がらない生徒も多い。

 

 

わざわざ7時半から集まって1時間半も貴重な時間を使っているのである。

 

 

それをダラダラ過ごしてしまうのは本当に時間がもったいないなぁと大人の私は思うわけである。

 

 

ただ子ども達はなかなかそれがわからないので、そんな生徒達にどうしたら時間の大切さをわかってもらえるのか考えていたのだが、

 

ふと

 

お金に換算してみたらどうか

 

 

と思ったのである。

 

時間という無限だと思っているものを有限のものに置き換えることで生徒達も理解しやすくなるんじゃないかと。

 

だから私からはダラダラしている生徒達にこんな話をしてみた。

 

「アルバイトしたとして1時間いくらもらえる?」

 

「800円もらえるとしよう。

 

それで今日の練習が1時間半だから、

 

君たちはある意味で1200円と引き換えにこの練習に来ているのと同じなわけだ。それも自分の意思で」

 

「んで今君たちがやってるこの練習に1200円の価値ってあるのかな?」

 

「どうしたらそれぐらい価値のあるものになりそう?」

 

 

と言ってみたのである。

 

 

みんなぽかんとしていたけれど、後半はそれなりに頑張っていた。

 

 

私がふと思ったのは色んなことについてそういう視点を持つというのは大事なんじゃないかということなのである。

 

 

ちなみに

 

公立の小・中学校で授業を受ける上では

 

 

1時間につき1人1000円

 

の税金が使われている。

 

(教師の給与、施設維持費、等もろもろで)

 

だから生徒達は1000円以上の学びが1時間のうちにないといけないと私は思っているのである。

 

 

もっというなれば30人クラスなら、

 

 

1人1000円×30=3万円

 

 

である。

 

我々もあまり意識していないが、講演でもらうような額のお金があの1時間で動いているのである。

 

 

そう考えたら我々も中途半端な授業はできないよなといつも思う。

 

 

そしてそんな授業の価値がわかるかどうかもまた、大人と子どもの境界線なのだなぁと思うのである。

 

 

追伸

まっその割に給料そんなに良くないけどな!(←子どもか。)

 

本日も読んでくださりありがとうございました!

 

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ばあちゃんとの思い出を書いておく。

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一つ前のエントリーで夏休みの思い出を書いたのだが,そこから芋づる式に

 

ばあちゃんとの思い出

 

が蘇ってきたので記憶が鮮明なうちに書いておくことにするーーーーーーーーー。

 

うちの婆ちゃんは今も元気ではあるのだが,私が家を出るまでずっと同居していたのである。

 

振り返ってみると,そんなばあちゃんとの思い出は

 

「食」

 

と繋がりが強い。

 

両親が共働きだったこともあり,元気だった頃はばあちゃんがよく食事を作ってくれていたのである。

 

そんな中,小学校6年生の頃,調理実習で

 

「班で好きなものを一品作っていい」

 

という課題があったのである。

 

班長だった私がメニューを決めることになり,私はばあちゃんに

 

「頼むから何か一品作り方を教えてくれ!」

 

と頼んだのである。

 

その結果他の班の子たちが,

 

ハンバーグ

 

だの

 

オムライス

 

だの作っている中で,うちの班は,

 

 

煮物づくり

 

に取り組むことになってしまったわけである。

 

例によって人の話を全く聞いていない私は,他の班の動向を全く気にしていなかったのだ。

 

そしていざ始まってみるとなんとなく煮物を作るのが恥ずかしくなってきてしまったのである。

 

ばあちゃんは懇切丁寧にその作り方を教えてくれたし,材料も買って来てしまったので後には引けないのだが,

 

「せめてカレーライスにしとけばよかった…」

 

とせっかちな私はまたしても反省したのである。

 

しかし,状況は試食が始まると一変する。

 

回ってきた担任の先生が,うちの班の煮物を一口食べて,

 

 

「うわこれ,超うまい!」

 

と言ってくれたのである。

 

この一言をきっかけにして他の班の子たちが

 

「ちょっと一口ちょうだい」

「え,うまい〜」

 

という流れになり,煮物の前に列になったのである。

 

そして奪い合うように煮物を食う小学生たち。

 

その光景が20年以上たった今も私は忘れられないのだ。その時妙にばあちゃんのことが誇らしく感じたのである。

 

そして,そんなばあちゃんが作る炊き込みご飯は私の大好物で,柔らかい鶏肉やしっかりとした処理されたごぼうがたまらなく美味かったのである。

 

ばあちゃんの炊き込みご飯が大好きだった私は,3杯も4杯もおかわりし,夜中にもこっそり台所でジャーをあけて食べる。

 

さらにはおにぎりにして持ち歩き,

 

いつでも炊き込みご飯が補給できるようにするという

 

山下清的な生活

 

 

を人知れず送っていたのである。(そりゃ太るわ)

 

 

しかし,何年かしてから「婆ちゃん,炊き込みご飯を作ってくれ!」とお願いしたところ,これまでのような旨さがなく,全く私の箸が進まないという事件があった。

 

その時はわからなかったが,

 

 

多分婆ちゃんは、

 

丸美屋

 

という便利な存在に気づいてしまったのだと思う。

 

(注意しておきたいのだが,丸美屋が不味いと言いたいのではない。昔ながらの炊き込みご飯がめちゃくちゃ美味かったのだ)

 

思えば一度丸美屋に変わってしまってからと言うものの,ばあちゃんのあの炊き込みご飯はもう復活しなくなってしまったなぁと思う。

 

そこからだんだんと料理が出来なくなっていき,日常生活でも変なミスが出るようになっていった。

 

 

それでもばあちゃんは教員採用試験に向けて私が

 

 

「図書館で勉強してくる」

 

 

といえば,

 

「未来の先生、頑張れ」

 

「これでお昼食べな」

 

と言ってなけなしの年金から千円を私に渡すのだった。

 

「そんなにいらないよ」

 

と言って一応返すのだが「いいから,いいから,もってきな」と言って渡してくれる。

 

正直なところ私も「図書館にいく」といえば,ばあちゃんが千円くれるので,ATMのように思っていたところもあるのである。(←殴ってよし)

 

そんな婆ちゃんも現在は90を超え,今は在宅ではあるが,なかなかもう孫である私の名前も出てこなくなった。

 

 

それでも食には興味があるようで。

 

 

今年はお中元としてかまぼこを送ったのだが,大ぶりのサイズ二つをペロリと食べたとのことだ。

 

 

そんな話を聞いて,そうか,良いもの食べさせてもらった分,自分にできる恩返しはこれなのかもしれないとふと思った。

 

そういえばばあちゃんは「きんつば」が好きだったのである。

 

あの「あんこの塊」みたいなもので何が美味いのかわからないが,上の世代にとっては贅沢品だったのかもしれない。

 

 

 

だから年末に実家に帰る時は,

 

かまぼこと一緒に「きんつば」も買って帰ろうかな、

 

なんて今は思っているのである。

 

 

 

追伸

すっごい内輪な話ですいません。忘れないために書いておかせてください。笑

 

 

 

夏休みの宿題の思い出。

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さてそろそろ夏休みも終わりである。

 

夏休みの宿題に今頃になってヒーヒー言っている小・中学生も多いことかと思う。

 

なので今回は少しでも参考になればという思いで,私の夏休みの宿題の思い出を書いてみたいと思うーーーーーーーー。

 

 

ちなみに我が家は父親の教えで,

 

 

「夏休みの宿題は最初の2・3日で全て終わらせ,あとは徹底して遊ぶべし」

 

という教育方針であった。

 

なので私の場合,夏休みの宿題が配られた瞬間からひたすら勉強に取り掛かり,

 

実際に夏休みが始まる頃には、ほぼやることがないという出木杉くんのような状況を作りだしていたわけなのである。

 

 

ただそのようなやり方であるため,内容は全く頭には入っていない。

 

私にとって宿題とは「学力を高めるため」のものではなく,「遊びに行き着くまでの作業」だったのである。

 

 

しかし,である。

 

 

そんな順調に宿題を終わらせていた私にも難関が立ちはだかる。それが,

 

 

 

 

 

 

 

 

である。

 

 

こればっかりは独創性や自分の考えを求められるためにどうしたってちゃちゃっと終わらせることが出来ず,大仏少年は大いに困ったのである。

 

 

さらに困ったことに私はこの自由研究について,

 

先生の説明を全く聞いていなかった

 

のである。

 

多分もう宿題が配られた瞬間からそれを終わらせることにばかり頭がとらわれていたのだろう,

 

先生が

 

「自由研究とはこのような手順で進めます」

「最初に研究の動機…次に予想を…」

 

などと懇切丁寧に説明している間に,漢字ノートにひたすら「しんにょう」だけを書き,後から右側の「入」部分だけを書き込んでひたすらページを稼ぐという作業に取り掛かっていたのである。

 

なので私は全く自由研究のやり方がわからないまま自由研究をすることになったのである。

 

今でこそインターネットを見ればそのやり方や定番の研究テーマなんかはありそうなものだが,当時そういったものは一切なし。

 

 

つまり,私は一切の情報なく,

 

自分の感性のみ

 

で自由研究に取り掛かることにしたのである。

 

 

そこで私が選んだ研究テーマ。

 

 

それが,

 

 

「毎日の気温を計る」

 

というプールの監視員か!とつっこみたくなるような自由研究に取り組んだのである。

 

私は当時から出来るだけ手間を省きたいという衝動に駆られていたのだろう。

 

この「気温を見る」という簡単な仕事ですらばあちゃんにアウトソーシングしていたのである。

 

 

私「今日は何度?」

ば「今日は32度」

 

私「今日は?」

ば「今日は33度。今日も暑いねぇ…」

 

そうやって祖母が読み上げた気温を記録し,最後にグラフにして提出したのである。

 

ちなみにばあちゃんは結構協力的で,毎日「今日は気温見なくていいの?」と向こうから聞いてくれたりもした。

 

そしてそんなばあちゃんの協力もあって,自由研究は無事終了。

 

 

最終的にわかったことは,

 

「夏は暑い」

 

ということ。

 

あと,

 

「お盆過ぎるとちょっと涼しい」

 

ということ。

 

そんなわざわざ記録しなくてもわかったであろう研究結果をまとめ,私は堂々と先生に提出したのである。

 

そして夏休み明け。教室の壁面に展示された他の子の自由研究を見て私は愕然としたものである。

 

なんせ

 

「レモンで発電が行えるのか?」

 

とか

 

「塩の結晶を観察する」

 

とかもうそういう高尚なことをみんなやってきてるのである。

 

そんな高尚な研究結果の中で私だけが,

 

「夏は暑い」

 

という3歳児でもわかっていることを堂々と述べているのである。

 

恥ずかしくて恥ずかして仕方なかったし,一生懸命協力してくれた婆ちゃんになんだかとても申し訳ない気持ちになった。

 

それが私の夏休みの宿題の思い出である。

 

なので宿題をやっている生徒のみなさんにこれだけは言っておきたい。

 

説明はよく聞くこと。

 

これ大事である。

 

(↑もう遅いか笑)

 

追伸

これ前に書いてたかも。笑 見覚えある方ごめんなさい。リライトってことで許してください。

 

 

 

知らないと損をする?教師と投資の話。

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学校の先生てお金の話あんまりしないのである。

 

そもそもお金を稼ぐことが悪いことのようなイメージがあるのかもしれない。

 

(⇩お金に対するイメージ)

 

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もっというならそもそも職業として安定はしているので,あまり切迫感がないというのもあるかもしれない。

 

 

ただ個人的には

 

「老後は2000万必要」

 

と聴こえてきたりしているところもあり,普通に銀行に預けておいても

 

そんなん絶対無理だろ

 

 

と思っているので,色々と投資をしているのである。

 

個人的にはidecoとnisaをやっており,定期的にそちらに積み立てるというやり方をとっている。

 

 これらははっきりいってかなり

 

 

ガッチガチ

 

 

のやり方でかなりリスクが少ない方法なのである。

 

長期でやっていればまず間違いなく元手を増やすことが出来る。(←また今度書こうかな)

 

 

 

 

なので私としては良かれと思って

 

「NISAってのがありましてね…」

 

 

ドルコスト平均法っていうやつでやっていくとかなりリスクも減らせましてですね…」

 

 

「長期保有でほぼ確実に利益出せるんですわ…」

 

 

 

と同僚に紹介したりするのだが,

 

 

いかんせん

 

みんな興味がない

 

 

のである。

 

 

(原因としては多分,私が胡散臭いのだと思う。)

 

しかし,こういう世界を見ようとしない教員のスタンスというのが,いろんなところで弊害になっているのではないかと私は思うのである。

 

 

例えば甲子園。

 

今も高校球児達がその夢の舞台を目指して高校生活の全てをかけて授業そっちのけで練習をしているわけである。

 

 

その姿は確かに素晴らしいと思うのだが,教育を投資と考えた時には生徒にとっても教師にとってもあまりに危険な投資だと私は思うのである。

 

 

 

これは言うなれば一つの株に自分の全財産を全てかけるようなものだと思うのである。博打の要素が強すぎて少なくとも私には出来ない。

 

投資だったら少しでもリスクを減らすために分散して投資することを考えるだろう。(海外と日本の株両方買っておくとかね)

 

日本には古来から

 

「文武両道」

 

という言葉が教育の至る場面で掲げられている。

 

よくある言葉だが,投資と考えると勉強もスポーツもやっておくというのはある意味でリスクヘッジにもなっていると思うのである。

 

 

 

なんにせよ私が言いたいのは教師がもっとお金のことに関心をもったり勉強したら,より多様な教育活動にもつながっていくんじゃないかということなのである。

 

 

他にも投資の話で紹介したいのが

 

 

「バーベル戦略」

 

 

である。

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これは,

 

「ハイリスク・ハイリターンの資産とローリスク・ローリターンの資産を組み合わせた投資戦略」

 

のことを言う。

 

 

つまり簡単に言うと,

 

「めちゃくちゃ儲かりそうだけどめちゃくちゃ損もしそうな株」

 

 

「そんなに儲かるわけでもないんだけど,安定してる株」

 

を組み合わせて買うやり方である。

 

一説によると,85%から90%を安全性の高い資産に投資し、残りの10%から15%をリスクの高い投機的資産に投資すると利益が出やすいらしい。

 

そしてこれはそのまま「働き方」にも応用が効くと言えるのである。

 

その例がアインシュタインだ。

 

アインシュタインは,研究者のイメージが強いが,もともとは特許庁で働きながら(ローリスク)余った時間に論文を書き(ハイリスク),これが世界的に評価されることに繋がっていったのである。

 

YouTubeのヒカキンだってそうである。

 

スーパーで地道に働きながら(ローリスク)毎晩YOUTUBEをあげ(ハイリスク),YouTubeの月収がスーパーの月収を超えた時点で仕事を辞めて今の地位を築いている。

 

つまり,仕事においてもこのように

 

今ある仕事にリスクのあるものを組み合わせることによって人生が劇的に変わる可能性がある

 

 

のである。

 

 

ちなみに教師というのは給与も安定しており,社会的な信用もある仕事である。

 

だからここにハイリスクなものを組み合わせることで大化けする可能性があるのである。

 

 

ちなみに,私の場合はそのつもりでこのブログを書いている。

 

結構な時間もかかるが,

 

将来的にこのブログに書いてきたことが財産になるかもしれないし,

 

人脈も広がるかもしれない。

 

 

 

ちなみに今のところこのブログが大化けする可能性は,

 

 

「全くない」

 

 

 

のだが,

 

もしかしたらいずれ書いていくうちに自分の中で何かが見つかり,大化けすることを期待して書いているわけである。

 

 

 

とりあえず今回私が言いたかったのは,そうやって投資の世界を見ることで生き方そのものも勉強になりますよ,ということ。

 

 

教育の世界にはもう少しそういうことを考える人がいてもいいんじゃないかと思っている。

 

 

 

追伸

ちなみにこのブログ書くために結構な量の本を読んでいるので毎月赤字です。まっこれも投資ということで。笑

本日も読んでくださりありがとうございました!

地元に里帰りしてきた。

2泊3日で地元の里帰りしてきたのである。

 

 

ちなみにうちの地元では小さい子が人見知りすることを,

 

「わにる」

 

というらしい。(←私は使ったことがないが)

 

そういう意味では知らない人に対して絶賛人見知り中の我が娘はいろんな人に対して「わにって」おり,

 

祖父にあってはワニり,

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祖母にあってはワニり,

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親戚にあってはワ二り,

 

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とまぁアマゾンのようにいたるところにワニを出現させており,慣れるころには帰るという旅路であった。

 

 

個人的に今回の帰省で良かったのは,母方の祖父母の仏壇に手を合わせることが出来たこと。

 

 

去年の夏は娘が生まれたばかりで帰郷出来なかったのである。ようやく亡くなった祖父母に娘を紹介することが出来た。きっと喜んでくれていることだろう。

 

また両親は我々の帰郷を大いに喜び,とにかく美味いものを食わせようと張り切ってくれた。

 

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普段食べられないものばかりである。(ありがたやありがたや。)

 

さらに今回の帰省については大きな課題があった。

 

実は,

 

前回娘を実家に連れて帰ってきた時には,夜中に娘がアレルギーを発症し,大晦日に病院に駆け込んだ

 

という事件があったのである。

 

その時の記事はこちら👇

http://rabits-volley.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-3edc.html

 

http://rabits-volley.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-5837.html

 

なので,今回孫を迎える祖父(うちの父)は,

 

孫に絶対にアレルギーを発症させてはならない

 

という大きなプレッシャーと戦っていたわけである。

 

もし今回も娘にアレルギーが出ようものなら,

 

 

「もう二度と孫に来てもらえない」

 

 

と父は思っていたようで,

 

9回ツーアウトの場面でマウンドに立つピッチャーのような気持ちで父は今回我々を迎え入れていたわけである。

 

孫にアレルギーを発症させないためにうちの両親は徹底して掃除し,さらには除菌機能付きのエアコンまで新調してくれていたのである。

 

 

おかげさまで娘のアレルギーは出ず,まったくストレスなく過ごすことができたのである。

 

とまぁ文章にするとそれほど伝わらないと思うのだが,

 

 

その努力たるや

 

普段の我が実家の整頓状態を考えると並々ならぬもの

 

であり,

 

多分祖父は今回の帰省で孫が無事だったことを泣いて喜んでいるレベルだと思う。

 

とまぁこのようなうちの両親の並々ならぬ努力もあり,2泊3日を我々は本当に楽しく過ごすことが出来たわけである。

 

 

今回の帰省で私が一番感じたのは、

 

 

「この人たち(うちの家族)が私の人生の一番の応援者である」

 

 

ということ。

 

仕事だったり家庭生活だったりと,色々と大変さを抱えるお年頃の私なのだが,応援してもらって今の自分があることを忘れずに,頑張っていかないといかんなと改めて思わされたのだった。

 

さて,あと少しで夏休みも終わり。エネルギーもらったし,また頑張ろうかと思うのである。

 

 

 

 

追伸

庭でバーベキューとかしましたけど、家を買う気のない私の場合、子ども達が里帰りしてきてもこういうことはしてやらないのかもなぁって。改めて田舎は色々と面倒だけど田舎の強みみたいなのもあるよなって思わされましたね。

 

追記

 

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☝️うちの父親が本当に泣いてました。

 

家族が返信しないのでブログにあげておきます。

 

感謝してます、ありがとう。

 

モチベーションを上げる方法。

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さて夏休みももう少しで終わりである。

 

ここまで連続で休みが続くと,もう働くのが心から嫌になり,しんどくなっている今日この頃なのである。

 

 

なので今回はモチベーションを上げる方法について書いてみたいと思うーーーーーーーーーーーー。

 

 

最近大事だなと思うモチベーションをあげる方法。

 

それが,

 

 

「意味を考える」

 

ことなのである。

 

 

 

つまり,自分が働くこと,叶えたいと思っている事に対して「何の意味があるのか」を考えるのかが非常に大事だと思うのである。

 

 

あの格安航空で有名なピーチは,会社の存在意義として,

 

 

「世界から戦争をなくす」

 

 

ことを目標にしているらしい。

 

 

なぜ格安航空会社が世界平和に繋がるのか,

 

 

それは,

 

安い値段で世界中の人がつながり,外国に自分の友達が住んでいる状況を作れたら戦争にならないから

 

 

 

だという。

 

 

私はこの考え方が素晴らしいと思ったし,この軸があることで色々とサービスをカットしてでも低価格のフライトを実現しようという会社の理念が改めて理解できると思った。

 

 

このように「何のためにそれをするのか」と問うことはモチベーションを保つ上でも重要であるように思う。

 

だから私は部活動でも子ども達に対して,

 

「なんで県大会で一勝したいの?」

「なんで市大会で優勝したいの?」

「なんでそんなに勝ちたいの?」

 

と目標だけでなくその意味を徹底して問うようにしている。

 

 

子ども達は考えて、

 

「自分に自信をつけたいです」

「勝って親を喜ばせたいです」

「これだけ練習してきたから,最後は良い思い出にしたい」

 

などと答えを出すことになるのだが,こうやって深く考えてからやる練習はやはり表情が違うように思うのであるーーーーー。

 

 

正直こうして連続して休みが続き、私としても夏休み明けに仕事をするのが嫌になる。

 

もっと言えば教員の仕事は激務でもあり,かつ年数を重ねるうちに新鮮味が無くなってきており、ここ最近仕事そのものに対してのモチベーションが落ちていたのが正直なところなのである。

 

でも今回帰省した時に,うちの祖母はもうボケ始めていてなかなか私の名前も出てこないのだが,

 

 

「あっ遠くから先生が来てくれたね…」

 

と言ってくれるのである。

 

祖父もそうだが,古い世代にとって孫が教員になったというのが誇らしいことらしい。

 

私は昔から「将来は教員になりたい」と言い続け,それを叶えるために両親はいろんな協力をしてきてくれてたわけである。

 

だから,

 

「教師として頑張ることがうちの家族を喜ばせることにもつながっている」

 

と改めて思ったのだ。

 

そう考えたら夏休み明けもまた頑張ろうと思えてくる。

 

さて、ここから先は年末に向けてもう一踏ん張り。

 

帰省を通じて私もモチベーションをもらったなぁと思う夏休みである。

 

 

 

 

 

 

 

日本の水道はこのまま良いのだろうかと色々考えさせられた話。

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帰省中に夏祭りに行ったんですけど、

 

 

そこに

 

 

たまたま大学の某名誉教授がいましてね。(←なんでいんだ)

 

偶然祖父の知り合いだったこともあってお話しさせて頂いたんですが、その話が面白かったのでまとめておきます。(ちなみに専門は水道です。)

 

 

ます水道には二種類あると。

 

 

アメリカ式(急速濾過)

 

 

・イギリス式(緩速濾過)

 

です。

 

アメリカ式は急速に水をろ過するやり方で、集めた水に大量の薬剤を投下して、一気に飲める状態にまでもっていきます。

 

もともとの水質に影響されにくかったり、流速が大きいというメリットがあるようなのですが、

 

半面で薬剤を大量に投下する分、

 

 

水道管の劣化が激しくなり、それらの管理コストや薬剤のコストも含めた値段が水道代として設定される

 

 

ので

 

水道料金がかなり高くなってしまう

 

 

そうです。

 

 

そして、日本の水道は戦後ほとんどこの、

 

 

アメリカ式で設置された

 

 

とのことなんですね。

 

 

対するイギリス式は、

 

 

 

 

そういった薬剤の力を使わず、微生物の力で濾過していきます。

 

 

 

さらに、アメリカ式と違って小規模な浄水施設で行うやり方であり、東日本大震災の後もこちらのイギリス式についてはほとんど損害がなかったと。(アメリカ式は損害がかなり出た)

 

 

つまりこの教授は、

 

日本の水道施設をイギリス式にすれば日本の水道料金は今の半額で出来るし、さらに災害の多い日本により適した水道システムを確立できる

 

と主張しているわけです。

 

私からは、

 

「緩速濾過(イギリス式)の場合、水質に問題はないんですか?」

 

と聞いたのですが、

 

「そもそも国が出してる水質の基準が当てにならない」

 

「だって湧き水(無濾過)に誰も文句言わないでしょ?」

 

「そんなにその基準が大事なら一年に一回の水質検査で足りるはずがない。

 

何か水質に問題起こっていても消費者はすでに飲んでいるのが現実だし,

 

異常が出た時には正常値になるまで計り直しているのが現実。

 

それでも大きな問題にならないのは国が出している水質の基準そのものが当てにならないから」

 

 

とのことでした。

 

 

ちなみに日本はミネラルウォーターを加熱処理しないと売ってはいけないそうですが、

 

海外では加熱処理したものはもう天然水としては販売してはならないんだそうな。

 

(つまり、それぐらい日本の水質に関する規定が世界とは違うということ)

 

 

「んじゃあなんでそれだけメリットのあるイギリス式を日本は取り入れないのか?」

 

 

ということなんですが、

 

 

それはアメリカ式であることで利益のある団体が猛烈に反対するから

 

とのことなんです。

 

つまり水道管の改修や,薬剤を販売している業者からの反発が強いため,消費者にとってはメリットが大きいものの,国もイギリス式の導入をしようとしないとのこと。

 

さらに小学校の教科書でもアメリカ式による濾過の方法は紹介するけど,イギリス式の濾過方法については掲載の許可を出さないとのことでした。

 

 

なのでこの教授は日本の水道を抜本的に変えるのは難しいから,

 

 

今は海外に視野を向けて途上国の水道の整備に力を注いでいる

 

 

とのことでした。

 

(今はフィジーの水道施設がこの先生の考えに従って水道施設が完成しつつあるとのことです)

 

 

私はこの話を聞いて色々思ったんですけどね。

 

例えば

 

「途上国ならまだしも大量に水を使用し,かつ水質について神経質であろう先進国に緩速濾過のやり方

がフィットしてるのかな?」

 

とかね。

 

でもそれ以上に,

 

日頃飲んでる水について自分は何も知らないんだな。

 

って思ったことが一番大きかったですね。

 

それこそ「水道代高いな」とまでは思うけどそれ以上考えることはなかったというか。濾過一つとっても色々あんだなぁと。

 

改めて身の回りを疑うとても良い機会になりましたね。

 

なのでこんな貴重なお話を聞かせていただいて,ホント

 

夏祭りのコスパってハンパないな

 

って改めて思いましたよね。

 

 

私の夏の備忘録の一つとして書いておきます。

 

追伸

話を夢中で聞いてたら夏祭りのチケット使い切れずに帰ってきましたからね。

 

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水飲んで寝よ。おやすみなさい。

家族にだったら何を言ってもいいと思っている女vs家族であろうとも気を遣って接するべきだと考えている男。

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結婚して3年目になる私だが、妻との意見の食い違うことが多いのである。

 

正直なところ私の中で、

 

学校の働き方改革どうこうよりも、

 

 

いかに妻を怒らせないか

 

 

が昨今の緊急の課題となっているわけである。

 

世界平和を目標としている私なので、「まずは家庭から平和にしたい」と考えているのだが、これが本当に難しい。

 

 

世界平和がいかに遠いかを実感させるほどに家庭の中の平穏が遠いのである。

 

ちなみにその第一歩として本を買って読んだりもした。

 

妻のトリセツ (講談社+α新書)

妻のトリセツ (講談社+α新書)

 

(めちゃくちゃいい本でした)

 

さらに、争いを嫌う私としては出来るだけ穏便にことを運びたいので、揉めた時には何がまずかったのかをノートに書いて分析するようにしている。

 

 

そして色々と分析した結果なのだが、

 

私と妻では

 

 

 

根本的なところで意見の相違がある

 

 

 

ようなのである。以下のようなものだ。

 

 

妻は

 

「家族とはなんでも言い合える存在であるべき」

 

だと考えており、率直に意見を言いあうことを美徳としているわけである。

 

対する私は違う。

 

 

私は

 

「夫婦であろうと他人であることを忘れてはいけない」

 

と思っている。

 

他人が自分のために料理をし、他人が自分の子を産んで育ててくれているわけである。

 

なので言い方についても最大限相手を尊重した言い回しにすべきだと考えているわけである。(他人にストレートに物言わないでしょ?)

 

お互いにこのような理念に従って行動しているわけなのである。

 

それぞれ考えがあって良いと思うのだが、残念なことにこのような考えの2人が一緒に行動すると、

 

 

 

 

私が一方的に言われる

 

 

 

 

 

という構図にしかならないのである。

 

明日から私の地元に帰省するが、前回の帰省の時もそのことを痛感したのを思い出したので書いておくーーーーー。

 

前回の帰省の時、薄毛を気にする私は坊主頭で帰省したのである。

 

当然家族のみんなから聞かれるわけである。

 

家「(いきなり坊主にして)どうしたの?」

 

私「いや、髪薄くなってきてさ。もう坊主にしちゃおうかなって」

 

家「ちょっと見せてみ。いやいや。大丈夫でしょ、これくらい」

 

そういってうちの家族は私のこと(頭皮)を慰めてくれたのである。

 

しかし、うちの妻は違う。

 

帰りの新幹線の中で彼女はこう言った。

 

「あの時、みんな否定してたけどさ、」

 

「なんでみんなあなたの頭皮にそんなに気を遣ってるのかわからないよね」

 

「いや、ハゲてるから。」

 

「何でそんな家族で気をつかうわけ?いる?その気遣い?」

 

もうストレートもストレート。グローブ無しで殴りつけて来るのである。

 

この言葉によるストレスで私はますます薄毛が進行しそうだ。車内で唇を噛み締めて涙をこらえたものである。

 

そして妻のこのような傾向はますます加速している。

 

娘を抱えた今はメスグマのように神経質になっており、連日の帰省による移動や準備のストレスでさらに口撃力が上がっているのである。

 

 

こんなことをここに書いているのがバレたらもう私の命が危ない。

 

 

なので、このエントリーがもしかしたら私の遺言になるかもしれない。

 

 

 

このブログの更新が途絶えた時は、

 

 

 

 

「あいつは星になったんだな…」

 

 

 

と思って欲しいのである。

 

 

追伸

うちの妻は良い人です。(←保険)

本日も読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

この一件についての考察を読者の皆様に問いたい件について。

さて奥さんの実家に帰省中である。

 

この帰省の時期に合わせて同窓会が企画されているようであり、奥さんがこれに参加したいと言い始めたわけである。

 

現在まだ小さい娘(1歳なりたて)を抱えた我が家は、このような場合いくつかの選択肢の中から選ぶ必要がある。

 

以下のようなものだ。

 

①無理やり子どもも連れて行く。(妻が自分で面倒見ながら参加する)

 

②自宅で両親・旦那に子どもをみてもらっているうちに参加する。

 

③まだ子どもから目が離せない時期なので、今回は諦める。

 

 

このようなものが一般的かと思う。

 

しかし、うちの妻の発想は違うのである。

 

④旦那にロビー(会場すぐ横)で娘の面倒を見てもらう。

 

なのである。

 

気になったらすぐ娘の様子を見れる,かつ自分も楽しめるという全てのメリットを取った形だ。

 

ちなみに先月は妻の友人の結婚式があったので、このやり方で私も幹線にのって東京まで行った。

 

 

手の離せない娘の面倒をみつつ、本人も楽しむことが出来るという素晴らしい解決策である。

 

 

しかし、問題としては

 

 

私が大変

 

 

ということである。

 

なにせロビーでひたすらいつ泣き出すかわからない娘を抱えて待つのだ。

 

 

母乳という絶対的な武器のない男性にとってこれは、ハサミのない状態で時限爆弾を抱えたまま座っているようなものと言っても過言ではない。

 

さらに宴会の終わる9時近くまで何も出来ない。

 

会場に着いた私は、腹が減るのでホテルのお土産売り場の試食で食いつないでいた。(←やめろ)

 

さらに、ホテルの方からは、

 

「お菓子つまんでくださいね」

 

とロビーに置かれていたお菓子を勧められた。

 

多分子どもに向けて言ってくれたのだろうが、遠慮なく私がいただく(←やめろ)

 

 

さらにこちらは頑張るのだが、娘はどうしたってごねるのである。

 

私としては楽しんでいる妻の邪魔をしたくない。なので妻に助けを求めることはせず、ロビーにあったボールのプールに放り込む。

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待ち時間にインスタ映えを狙う作戦である。

 

「子どもの面倒だけでなくインスタのことまで考えてくれる旦那」

 

として少しでもポイント稼ぎをしておきたい。

 

 

ちなみにまだ小さい子どもがいる人も多かったようだが、このような参加の仕方をしているのは私一人だけである。

 

無事約3時間ロビーで過ごし,今帰ってきてビールを飲みながら(←めっちゃ飲んだ)この文を書いているわけである。

 

 

勘違いして欲しくないのだが,私は

 

 

 

今回の件について自分の境遇を嘆きたいわけではない。

 

 

子育てにおいて女性の方がもっと大変なのは間違いないからだ。

 

私は3時間だったが、奥さんは日中ほぼ24時間同じような状況なわけである。

 

なのでさっとこの一件をみて「男にこんな目に遭わせて」、「過保護な家だ」というのはあまりにも無粋である。

 

ではなぜ私は今回の一件をわざわざブログに書くのか。

 

それは、

 

それにもまして「ウケたい」という私の浅はかな願望が上回ってしまう

 

からであり、

 

さらにいうならば、せめて読者の皆様には

 

 

私の努力を褒めて欲しい

 

 

からである。

 

私の願いは……本当にそれだけなのである。

 

 

なので皆様には是非、

 

「あいつ優しいぞ」

 

「いい旦那だと思う」

 

「いつかこんな旦那さんと結婚したい❤️」

 

そうコメントをつけてリツイート,もしくはコメントをつけて欲しい。(DMでも構わない)

 

 

これらでコメント欄が溢れかえれば、私はそれで満足なのである。

 

ちょっとツイッターもしてないし、そこまでは出来ない…という方については、

 

「最近こういういい旦那さんを見つけてしまいましてね…」

 

と身近な人3人に話をこの話をして欲しい。

 

私はそれだけで満足なのである。

 

 

追伸

このブログ子育ての備忘録みたいにしてるとこありますからね。こんな内容ですが、ご容赦ください。笑