白眉最良

中学校教員が書くエッセーのようなもの。

関係性迷子

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アメトークを見ていた。

 

「人見知り芸人」という括りのトークの中では「美容師との会話が辛い」などのエピソードが披露されていた。

 

先日も書いたように私も理容師との会話に悩んでいる。

 

 

トークの中には共感できるものが多かった。

 

 

そこから「自分はもしかして人見知りなのか?」という問いが生まれたのである。

 

気になって人見知りの定義をネットで調べてみた。

 

『見慣れない相手や初対面の人、あるいは新しい環境に対して、不安や緊張、恥ずかしさを感じてしまい、自分から積極的に会話や関わりを持つことができない状態』

 

とのことらしい。

 

これはちょっと違うかもしれない、と思った。なぜなら私は初対面の相手には気にせず話をするタイプだからである。

 

気になればどんどん質問するし、妻から「もうやめといて」と言われることも多い。また三者面談での会話に困ったこともない。つまり、上の説明がその定義なら、私はけして人見知りではない。

 

ではどんな場面で私の人見知りらしきものは発動するか。

 

まず出張の時。職場の人間と帰りの電車が同じになりたくない。電車の中でどんなトークをしたらいいのか考えるとそれだけで神経がすり減る。

 

だから、何も出ないのにトイレに行ったり、あえてコンビニに寄って何も買わないで時間差を作ったりしている。

 

出かけた際に、昔の教え子、保護者、同僚とたまたま会ってしまった時もドキッとする。出来るだけ気づかれないように、そして気づいていないフリをする。そちら側に顔を向けないようにしてやり過ごしている。

 

このように私の人見知りはむしろ知り合いに対して発動される特殊能力である。

 

発動条件は、相手との距離感が近すぎず、遠すぎないこと。そして、職場という共通のルールが適用されない場所であることだ。

 

私は、知っている人との関係性が普段と違う場面に置かれると、どう振る舞えばいいのか分からなくなるのだと思う。相手が自分をどんな立場で見ているのか、いちいち探ってしまうのだ。

 

これについて私は「人見知り」と差別化し、「関係性迷子」と呼ぶことにした。

 

そういった意味では同級生に対してもそうで、すでに同級の時期ははるか過去に過ぎているため、どんなスタンスで関わればいいのか分からないでいる。

 

今度出張で海外に行く予定がある。昔の同級生が住んでいるので連絡を取ってみたいが、関係性迷子の私はその勇気が持てないでいる。

 

このような定義でいくと、「街中で同級生に会う」は私の考えうる最悪のケース。もはや何を話していいか分からない。ラビリンスである。

 

 

私が故郷を離れて働いているのは、そんな状況になりたくないからなのかもしれない。

 

文学界から名前を変えろと言われた。

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先日文芸思潮のエッセイ賞で奨励賞だったと書いた。

 

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さらにそこから連絡が来て「雑誌に載せるのでデータを送って欲しい」という旨だった。

 

ところが、そこにはもう一枚紙が入っていて、こんな内容だった。

 

『この雑誌は純文学系の雑誌として、重厚な文学作品を輩出することを旨としております。この編集方針に基づき、編集部からあなたのペンネームがこりすぎているのではないかという意見がありました。大変失礼を申し上げますが、お使いのペンネームは、純文学としては、くだけた印象を与えます。ご不快な思いをさせて申し訳ございませんが、ペンネームを、今一度お考えいただけませんでしょうか』

 

ちなみに私は『suno』というペンネームでこの作品を出していた。これは私の本名に紐付くものであり、昔から呼ばれ慣れてきた名前でもある。またどこか「あの。」ちゃんのような可愛らしさがあると思っていたのである。

 

しかし、それは文学的にいうと「早く変えろ」ということらしい。純文学とは私のようなふざけた男からするとかなり厳しく敷居の高い世界のようである。

 

かくして私はペンネームを考えなければならなくなったのだ。

 

振り返ってみると、私はこのペンネームというものをブログでもコロコロ変えてきた。公務員であるため身バレしたくないからである。

 

リリーフランキー、ナンシー関といったアングラな世界の書き手が好きな私は、カタカナのペンネームに憧れてきた。

 

だからかつては「ラビット〇〇(〇〇は本名)』「スノ・セントリズム」「スノ・ヘンドリクス」という名前にしていた時期もある。おそらくなのだが、これも純文学という高尚な世界からしたら「舐めてんのか」と言われる可能性が高い。

 

かくして私はペンネームどうするのか問題に悩まされているのである。

 

色々と迷ったのだが、今回から私はペンネームを「須藤マツリ」で行くことにした。

 

ルーツは過去の体験にある。私は15年ほど前にスリランカという国に住んでいたのだが、そこで「スドゥマッリ」と呼ばれていたのだ。

 

「スドゥ」は白、「マッリ」は弟を意味する。彼らは親しい人を、そんなふうにあだ名をつけて呼ぶのだ。私はその名前をつけられた時、仲間として受け入れられた気がした。

 

私が文章を書くきっかけになったのも、あの頃の生活を残しておきたいという思いからだった。今読み返してみても当時書いていた文章はとがっていて、あの頃の気持ちを忘れてはいけないな、と思わされる。

 

だから、「スドゥマッリ」という言葉をそのまま日本語っぽくすることにした。私は男だが、ぱっと見が女性っぽくて、身バレしにくそうな点も良いんじゃないかと思っている。

 

今後はしばらくこのペンネームでやってみようかと思い、このブログのペンネームも須藤マツリに変えてみた。

 

純文学にふさわしい名前なのかどうかは、これから書く文章で証明していくことにする。

 

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コーヒーは普通だった。

 

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毎日飲むコーヒーだが、こだわりはない。

 

職場には月1500円で利用できるコーヒーサーバーがあり、毎日3、4杯ほど飲んでいる。

 

カップを置いてボタンを押せばすぐにコーヒーが出てくる。味はどちらかというとイマイチ。なんというか濃いし、いがらっぽくて好みではない。それでも楽だからこれを飲んでいる。

 

中にはこだわっている人もいて、豆をひいてその場で淹れて飲む人もいる。美味そうだし、洒落てるなと思う。

 

ただ、それによって必要になる時間が私には面倒くさい。家でも基本はインスタント。それが最も早くカフェインを摂る手段だからだ。

 

また基本的にケチなのでカフェでコーヒーを飲むという行為に金をかける意味が分からなかった。

 

一杯500円、安くても300円はするだろうか。すでにコーヒーには月1500円課金しているので、さらなる出費は避けたいところである。

 

ただこの前は出張に行く前に時間があり、寒かったので仕方なくスターバックスへ入った。

 

メニューを手渡されたのだが、そもそもホットコーヒーがどこにあるのかすら分からない。どこを探しても「ice」の文字。中年に優しくないシステムである。

 

仕方なく、「これ、普通のホットコーヒーどれですか?」という質問を店員さんにした。まさか自分がホットコーヒーを頼むことに苦労するとは思わなかった。

「こちらです」

示されたコーヒーをトールサイズで頼む。すると今度は「豆はどちらにしますか?」と笑顔で聞かれた。目の前のメニューには3種類の豆とその説明が並んでいた。

 

分かんねぇ…。普通のコーヒーが飲みたかっただけなのに。

 

3種類の豆の説明を読むが全く分からない。

 

「一番普通っぽいのどれですか?」と聞いたら「これだと思います」と真ん中の豆をオススメされた。

 

かくしてようやく一杯のコーヒーを五百円で購入した。席に座り、読みたかった小説を読む。

 

朝から通勤する人たちを横目に飲むコーヒーは、特別美味しいわけではなかった。それでも、なんだか気分が良かった。気づけば1時間ほどで小説を読み終えていた。

 

なんというか、朝から外でコーヒーを飲み、小説を読む時間のなんと豊かなことか。ここにクロワッサンかマフィンなんかがあったら最高だろう。ケチだから買わないが。

 

また次の出張の時が来たら、その時はパソコンを持ってくるのも良いかもしれない。

 

スタバでMacBookを開く人達の気持ちが初めて少し分かった気がした。

 

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四十にして惑わず

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今年で40になるのだが、何とも不思議な年齢だなと思う。

 

子供達から見れば明らかなおじさん。すでに生徒とは全く話題が合わないので、自分でもおじさんという自覚はある。

 

ただ、世の中的に見るとまだまだ若手と受け取られることも多い。恐ろしき高齢化社会。若さとは相対的なもののようである。

 

そんな中途半端な私はどこで髪を切るか、に迷い続けてきた経緯がある。

 

過去に何度も書いたが、千円カット、美容室、と放浪を繰り返してきた。

【その記事はこちら】

 

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しかし、しっくり来る場所に出会えていない。

 

そんな私が最近出会ったのが近所の理容室だ。価格は4500円とけして安くない。しかし、ここ半年そこに通うようになっている。

 

その理由がいくつかある。

 

まず第一にネット予約が出来る。これがデカい。

 

私は電話連絡が辛いのである。出来れば人と話したくない。それに、こちらの希望する日時が空いていなかった場合、そこから電話口で調整するのがめんどくさいのである。

 

最初から「ここが空いてますよー!」と隠すことなく向こうから提示してくれるネット予約の何とありがたいことか。

 

そして二つ目にこの理容室はおそらく30代の若手がやっている割にオラオラしていない。若い人が行く理容室の中には店先でタバコを吸っていたり、首筋からタトゥーが見えていたりと、ガラがよろしくないお店が多いのだ。

 

元々ビビリな私はどうしてもそんな店には行けない。なぜリラックスする場所である理容室に緊張しにいかなければならないのか。

 

そんな点で最近行っている店は店の作りは洒落ているが入りやすい雰囲気があるのである。

 

そしてなんといっても顔剃り。髭剃りなんて時間が勿体無いと思っていたが、いざやってもらうと古い角質が落ちて肌がモッチモチになる。

 

さらに普段はできないところまでカミソリが入る。額や眉間など、細かい部分は家のT字カミソリでは処理が難しい。そうやって整えられたあとは眉毛もスッキリし、顔が上がっているのが分かる。

 

そしてなんと言っても店員が無口なのだ。これが良かった。トークに気を遣ってしまう私という人間にとってこの理容師は無口で、マッサージに集中できるありがたい存在だったのである。

 

ここが私のベストプレイス。

 

そう思い、ここに通うようになった。

 

しかし、どうだろうか。困ったことに慣れてきたせいか最近になって理容師が私に話しかけるようになってしまったのである。うぉー、無口なのが良かったのにー!

 

Tシャツにハットというスタイルを崩さないその理容師さんは筋トレにハマっているらしく、私にその報告をしてくる。

 

「クレアチンを摂るようにしていて、あとビタミンCとマルチビタミン。ビタミンについては…」

 

「トレーニングは週5日、分割法で。胸はインクラインをメインにして…」

 

話の内容はマニアックでそれお客さんにする? と首をかしげたくもなる。

 

ただ残念なことに私は筋トレオタクなので分かってしまうのである。

 

筋トレの知識でマウントを取り合うようなことは避けたいので、私のスタンスとしては「ランニングにハマっている人」を貫いている。

 

向こうは多分私のことを有酸素系の人、と認識しているだろう。私は正しくは「筋トレをゴリゴリやってきたが、最近になって走り始めた有酸素系の人」なのだが、まぁ良い。

 

最近は仲良くなりつつあり、彼はスイーツ作りにハマっているという情報もゲットした。

 

次回、理容室に行ったら何の話をされるのだろう。筋トレか、スイーツか。それとも、私が隠し続けている筋トレ歴について、そろそろ白状すべきなのだろうか。

 

不惑というが、迷ってばかりの40である。

 

【その他のエッセイはこちらから】

 

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最近ハマっていることの話。

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最近ランニングにハマっているのである。あの鈍足で知られた私が、である。

 

きっかけはトレランの大会に出たことにある。

 

娘と一緒に何となく、近くの山で開催されていたトレラン大会の親子ペアの部に出てみたのだ。

 

距離は1.5キロ。それほど長くない。おそらく何も問題ないと判断し、何も考えずにエントリーした。

 

「これスタートしたら、右ですか? 左ですか?」

 

スタート直前にそんなことを周りの人に聞いていたくらい、無知な状態でのスタートだった。

 

正解は左だった。集団についていき、少しの間道路を走ってから山へ入る。

 

すると目の前にあったのが急な坂。

 

これがまぁびっくりするくらい思いっきり斜面なのである。最初飛び出したキッズ達たが、上の方を見るともうみんな歩いていた。斜面を上るうちに私の心拍も一気に跳ね上がり、スマートウォッチはレッドゾーンを指していた。

 

折り返しになるまでに他のお父さん達の中にはすでにかなりへばってしまい、子供から「速くしてよ」と言われる人もいるくらいだった。

 

登り切ったと思ったら今度は下り坂。斜面を走る。これがまぁ怖いこと。一瞬も気が抜けない。下手したら転がり落ちそうなのである。

 

15分ほどで無事にゴールしたのだが、たかが1.5キロでも疲労感が半端じゃない。

 

これ20キロとか、レースによっては100キロのものもあるそうだが、正気の沙汰ではない。

 

ただ、走ってる間とにかく「生きてる!」って感じがしたのである。自然の中を走り、一歩一歩に頭を使う快感があった。今回はスキー場の斜面だったが、もっと山の中だったらより神経を使うだろう。それでいて道路よりも足への負担が少ない。

 

かくして来年はもう少し長いカテゴリーに出てみたくて練習することにしたのである。

 

サロモンのトレランシューズも買った。いざ履いて見ると、何と走りやすいことか。ここ数年膝の痛みに悩まされていたが、ちゃんとしたシューズを履くだけでこんなにも楽になるのかと驚いている。

 

また色々見るうちにウェアも欲しくなってきている。ビーニーをかぶって、ランニング用のベストを着て、そこに短パン、というスタイルをやりたい。だから、毎日のようにネットでトレラングッズを見つめている。そんな憧れが今私を突き動かしている。

 

トレーニング用のアプリを連動させ、朝の四時台からランニングに出かけたりしている。想像以上にランニングのアプリというのは充実していて、近くのルートをオススメしてくれたり、他の人のトレーニング状況を教えてくれたりする。世の中の人の走る量の多さとスピードに驚かされている。

 

そして、走りながら、身近にこんな場所があったのかと再発見する毎日だ。

 

ちなみに最近はグラベルランニングというジャンルがあるらしく、農道などの舗装されてない道を走ることを指すのだそうだ。妻の実家の周りは農道が多く、よく走っていたのだが、あれも「グラベルランニング」と名づければ何となくカッコよく思えてくるではないか。

 

スピードは遅いが、とにかく今はいろんなところを走ってみたくてウズウズしているところだ。

 

世の中はまだまだ私の知らない楽しいものに満ち溢れている。

 

 

 

 

最近ハマっていたモノたちを紹介します。

毎日日記を1ページ書くっていう事をここ3年くらい続けてるんですけど。

 

いつも使ってるペンがないとテンションがガタ落ちするってことに気づいたんですね。

 

適当に事務室にあるボールペン使って書くと、太いなぁ、インクのり悪いなぁ、書きにくいなぁ、って思ってしまってまぁ書く気にならない。

 

ここから文房具って思いのほか仕事の効率に関わってるんじゃないかなって思ったんですよ。

 

『弘法筆を選ばず』って言いますけど、私弘法じゃないよなって。

 

そこから今月はちょこちょこ文房具を買ったので紹介します。

まずはこちら。

もともとユニボールワンを愛用してるんですが、こちらはそれのFシリーズ。

 

軸に重さがあって普通のやつより安定する感じがします。

 

そうそう、この細さ、このインクのノリ。私は手帳書く時はやっぱりこれがいいんですよ。 

 

茜空っていう色を買って、リフィルを赤にして赤ペンとして使用してます。

そして次は筆箱。

 

私にはペンを無くしまくるっていう特性があるんですけど。

 

それは、ポケットに突っ込んでるからじゃないかっていう仮説を立てたわけです。

今まで何度ペンを洗ったことか。

 

この筆箱はコンパクトで閉めた時に薄い。それなのにペンが最大10本とUSBなんかも入る設計。私は本を読むとき付箋が欠かせないのですが、それもまとめていれています。

 

今のところペンは失くしていません。

 

ラストはこちら。DEXASのクリップボード。

まずビビッドな色味が最高です。私はオレンジをチョイスしました。

 

これ中に収納できるんです。

 

バレーボールの試合の時ってラインナップシートとかメンバー表とか小さい紙を管理するんですけど、それが普通のバインダーだといつの間にかぽろぽろ落ちるストレスがあったんです。

 

でもこれは中にがさっと入れておける。色も目立つし、なくす心配もない。一緒に紙をいれておいて、使う時に表にセットすればいい。研究授業でも使えそうだなと思っております。

 

特にこれアマゾンで購入したんですが、どうやらアメリカから来た様子。そのせいか受け取るのがすごく大変だったんです。英語表記じゃないと注文できず、ちゃんと打っているのにマンションの号数が勝手に抜けてしまう。

 

アマゾンにもクロネコヤマトにも電話かけまくってようやく手元に来ました。

 

その辺に思い入れもあるし、MADE IN USA ってあたりもテンション上がります。

 

ということで最近買った文房具でした。

 

皆様のお勧めがあれば教えてください。

 

読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

 

出してた公募の結果が出たぞって言う話。

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結果出たんで書くんですけど。

 

今年、私が取り組んでいたことの一つが、公募に出すことなんですね。

 

目標は、百万稼いでトルコに植毛しに行くことですね。

 

そんな中、最近一つ結果が出ました。

 

三次選考まで通っていた「文芸思潮エッセイ大賞」。

 

 

結果は、

 

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奨励賞。 

 

最優秀賞、優秀賞の次です。

 

賞金はありません。

 

トルコが遠のきました。

 

このままでは移植する側の毛根が先に無くなってしまいそうです。

 

ただ、人に読んでもらえる文章にはなっている。そう思えるだけの自信は、もらいました。

 

そして、久しぶりに自分の提出した文章を読み返してみたら、甘さを感じたんですね。書き出しに工夫がないし、説明しすぎている。タイトルどおり「まだ拭ける」な、これ。今さらながら、そんなことを思いました。

 

出す前に気づければよかったんですが、出す時には気づけませんでした。

 

まあ、これも一つの成長なのかもしれません。

 

さて、私がトルコに行けるのは、いつの日になるのでしょうか。

 

また頑張ります。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

タピオカを買うたびに唱える呪文

白いコースターに置いたタピオカミルクティ

今年も文化祭があった。

 

無事に終わってホッとしていたのだが、例年と違ったのは、今年は初めて妻子が遊びに来たことだった。

 

それによって初めて、外から見た時の文化祭を知ることが出来た。

 

ちなみにうちの妻は着いてすぐ入り口で高校生たちが販売していたタピオカミルクティーを買ったという。

 

なんでも原宿ではストローを刺すときに、「ベビタッピ!」と店員と一緒に言うサービスが流行っているらしい。

 

それに倣って文化祭では「○○タッピ!」(○○は校名)と一緒にいうサービスがあったようなのである。

 

多分高校生側もそれを40近い外部者にやるのは迷いがあっただろう。かといってやらないならやらないで気を悪くする人もいる。

 

よって、ストローを刺す際に「○○タッピ!」と男子高校生と40近いうちの妻は声を合わせることになったわけである。

 

「じゃあ、行きますよ~、せーの!」

「○○タッピ!」高校生

「○○タッピ!」主婦

 

しかもこの時、妻は子供の分も合わせて三杯買っている。

 

よって「○○タッピ!」をうちの妻は人前で3回唱えることになったわけである。

40近い人間にこれを3回も言わせる文化祭ってすごい。

 

また娘も衝撃を受けたらしい。

 

タピオカ屋の前には無表情で「タピオカ」と書いてある段ボールを掲げた女の子がいたようなのだ。

 

それがうちの娘と目があうと、その段ボールをくるっとひっくり返し、そこには「買え」という二文字があったそうな。

 

娘にとっては最近ようやく読めるようになったこの「買」という漢字。それによって娘は混乱したと言う。

 

「なんで私は命令されてるの?」

 

ごもっともである。悪いのは君じゃない。

 

そしてタピオカを飲んでいる間は美術部にしつこい勧誘を受けたという。

 

「どうっすか? キーホルダー作れますよ」

「いやタピオカ飲んでるんで」

「タピオカ飲んででも全然いいんで、来てください」

 

やっていることが悪質なキャッチである。そのまま美術室へ連れていかれ、キーホルダーづくりをしたという。

 

こうやって聞いていると、学校と言うのは世間一般で許されないようなことが「学生だから」という理由で許容されている不思議な空間だなと改めて感じる。

 

ちなみに私が家に帰ると、娘は空の容器にストローを指し、「じゃあ一緒に言ってくださいね~、○○タッピ!」と繰り返していた。

 

ちなみに紙の裏表に「タピオカ」「買え」の二文字を書いて私に見せることもしていた。

 

どうやら娘にとって、今年の文化祭はかなり印象に残ったらしい。

 

まあ、楽しんでもらえたのなら、それでいい。

 

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塩の辛さは舐めてみればすぐ分かる。

ステンレス製のおろし金と岩塩セット

 

「塩の辛さは舐めてみればすぐ分かる」っていう言葉があります。

 

私はこの言葉が結構大事だと思ってるんです。

 

というのも、教員は物事を理解させる上で説明に頼りがちなところがあるから。

 

言葉でいくら言っても、塩の辛さは説明できません。

 

だからこそ、説明することよりも、体験させることの大切さを忘れてはいけないと思っていますーーーーーー。

 

つい先日、娘に水色の自転車を買いました。

 

水色のようなかわいい色が娘は大好きで、ランドセルも紫色。洋服もそうであらゆるものを自分の好きな色で固めています。

 

先日は購入したばかりの水色の自転車に満足げに乗りながら娘はこう言ったのでした。

 

「どうして大人は水色の自転車に乗らないの? こんなにかわいいのに」

 

「大人はどうしてかわいい色を使わないの? 使えばもっと可愛くなるのに」

 

「こんなにかわいい色を使わないなんてもったいない」

 

そう本心から言ったのでした。

 

私は少し考えてこう答えました。

 

「かわいい色っていうのは、子供っぽい色でもあるんだよ」

 

「大人がかわいい色を使いすぎるとちょっと幼く見えちゃうっていうか…」

 

そう説明したのですが娘は「そんなことないのに。もっと可愛い色を大人もいっぱい使ったらいいのに」と納得しません。

 

どうやら娘の中で「可愛い色を集める=その人も可愛くなる」という理論はかなり強固なもののようなのです。

 

しかし、どうでしょうか。そのタイミングで奇跡が起こったのです。

 

自転車に乗る娘の目の前を、全身ピンク色のおじさんが自転車で通り過ぎたのです。

 

ピンクの自転車、ピンクのハット、ピンクのTシャツに、ピンクのパンツ、そして金髪の長髪。

 

この辺ではご当地タレントとして有名な方みたいなのですが、その姿を見た時の娘の衝撃的な顔はすごいものがありました。これは彼女にとって塩を舐めた瞬間だったのです。

 

全てピンク。

 

娘のこれまでの方程式によれば、これは完ぺきに「可愛い」状態です。

 

しかし、実際はどうか。

 

娘の顔には「可愛い」より先に「恐怖」が浮かんでいました。

 

そのあとはしばらく無言で自転車をこいでいました。

 

きっと娘は、この日初めて知ったのだと思います。

 

「可愛い」をいくら足していっても、必ずしも「可愛い」にはならないことを。

 

大人の「可愛い」は、足し算を間違えると、どうやら狂気になるらしいということを。

 

何より今回分かったのは、私が一生懸命説明するより、全身ピンクのおじさん一人のほうが、よっぽど教育効果があったということ。

 

教員としては、少し複雑な気持ちになった出来事でした。

 

 

私の夏の決心

暗闇に火花を散らす手持ち花火

なんだかソワソワする。

 

それはきっと夏休みが終わりに近づいているからだ。私の場合は明日から学校が始まり、子供たちが学校にやってくる。

 

またあのストレスフルな生活が始まるのかと思うと緊張する。

 

生徒も教師も夏休み明けに学校へ行きたくないのは同じだ。

 

気が立っているせいだろうか。最近は小さなことが気になってしまうのである。

 

例えば朝、「高速編物教室」という看板を見かけた。

 

いつも通っているし、いつも見ている。ただ今日については感じ方が違った。

 

「編み物っていうのはゆっくり時間をかけてやるからいいわけで…」

 

「高速でやるなら既製品を買った方がいいわけで…」

 

そんなことが頭に浮かんでしまうのである。いけない、いけない。

 

また「ハッピーハンド」というマッサージ屋さんの看板も急に気になってしまった。

 

「幸せなのはむしろ肩の方なわけで…」

 

「手の方はどちらかと言うと、タイアドになるわけで…」

 

自分でも思う。あまりに小さい。人間としての器が小さすぎる。

 

さらにスーパーの前では時計や金銀の出張買取をしていた。

 

前を通る時にこう声を掛けられたのだ。

 

「チラシ渡しておりますので、チラシ渡しま~す」

 

気になって仕方がなかった。前後で同じことを二回言っている。小説なら間違いなくカットすべき一文である。

 

さらにこの言葉からは「多少迷惑がられることも宣言しちゃえば堂々とやってよい」という厚かましさをどこか感じたのである。

 

「タバコ吸いますので、たばこ吸いま~す」

「ゴミありますので、捨てま~す」

 

これがまかり通るのはディストピアだろう。宣言すればよいというものではないのである。

 

そんなことをずっと考えてしまうくらい、今の私は不安定だ。

 

あぁ仕事に行きたくない。始まってほしくない。

 

最近は大江千里の「夏の決心」が頭の中でリピートしている。

 

『夏休みはやっぱり短い やりたいことが目の前にありすぎて』

 

まさにそんな感じ。

youtu.be

そしてその歌詞を見つめていたら、帰省した際に弟の息子(7歳)がふと言っていたこんな言葉を思い出した。

 

「あ~、夏休み楽しいこと多すぎ」

 

うちの子どもといとこ同士で遊びながら、彼は本心からそう言っていた。そういえば私も幼いころ、いとこたちが来るのが楽しみで楽しみでしょうがなかったのを思い出す。

 

私はこの一言がとても嬉しかった。

 

夏休みは終わってしまうけど、子どもたちに、楽しい夏休みを過ごしてもらうことはできたんじゃないかと思えたのだ。

 

さて、明日から仕事だ。

 

目の前の子ども達のためにも頑張ろうかと思う。

 

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