最近この本読んでるんですけど。
全ての教育関係者に読んでいただきたいくらいオススメです。それぐらい日頃子ども達を見ていて思い当たることが多く書かれていました。
最近不登校の子達が急増していますが、その要因を筆者は
思い通りにならない事に耐えられないから
と書いていました。
ここにすごく同意したのです。
今の子はいじめとか、経済的な理由とか学業不信というよりも、この「思い通りにならない事に耐えられない」事が要因で学校に来ない子が多いように思います。
筆者は自分の要求と環境が与える事のズレこそが欲求不満に対する耐性の強化につながると言っていますが、そういう「思い通りにならない経験」をそもそも今の子達はあまりにしてきていないのではないかと思います。
全部思い通りにやってきて、学校で集団生活が始まると自分の欲求が通らなくなる。それに耐えられないから行きたくない。
大人になって社会人になれば尚更です。新人の思い通りに動いてくれる会社なんてありませんが、そういう体験をしてきていないので、すぐに会社を辞めたりしてしまう若者が増えているのではないかと思いました。
では、なぜ子ども達の「思い通りにいかない」体験が減ったのか。その要因として考えたことを書いておきます。
少子化
まず少子化です。うちの子を見ていても思いますが、兄弟がいるだけで思うようにいかない場面ていっぱい出るんですよ。
親にかまって貰いたいけど、下の子の世話で親は手が離せないとか。
おもちゃで遊びたいけど兄ちゃんに取られるとか。
そんな状況の中でなんとか自分の気持ちをコントロールして生活していかないといけないわけです。
しかし、今は少子化で極めてそういう経験が減っているのではないでしょうか。
なので、子ども達はやりたいことをやりたいようにやらせてもらって育つわけですね。
親の教育力の低下
また共働きもあって親も忙しかったり、少子化で一人の子への思い入れが強すぎて、「子どもが苦しんでいるのに親が耐えられない」ケースも以前よりずっと増えたように思います。
私自身も「なぜうちの子がリレーの選手じゃないのか」と明らかにタイム的に遅れているにもかかわらず保護者からクレームを受けた事があります。
また「うちの子がレギュラーじゃないなんて!」と学校にクレームが来ることもしょっちゅうあります。
そうやって親が子どもの「うまくいかない体験」をプラスに活用できない。学校に意見を言えば何とかなるのではないかと考える。
結果的に子ども達の高すぎる自己評価はいつまでも修正されなくなってしまうまま育っていくわけです。
地域の教育力の低下
また地域の影響もあると思います。
私自身、小学校の頃に外で遊んでいて地域の方から「ここは遊ぶ所じゃないよ」と注意を受けて、追い払われた事が何度かありました。今思えばそれが「思い通りにならない体験」だったように思うのです。
それが今はどうか。地域の方のクレームがまず学校に来るのです。「公園の使い方が悪いから指導してほしい」「登下校のマナーが悪い」そういったことを指導してほしいという要求が学校に電話でかかってきます。
人間関係が希薄になっているからでしょうか。他人の子供に関わりたくないという大人が増えているように思います。
結果的に子ども達はその場で「思い通りにいかない」という体験をしないまま、あとでなんとなく先生たちから注意を受けるわけです。
これでは「マナーの悪さについて指導された」わけであり、「思い通りにいかない体験」をしているとは言えなくなってしまいます。
社会の変化
また社会も変わりました。フリースクールがたくさんできて、それらが学校の出席として認められるようになってきました。
思い通りにいかない体験をしていない子達は思い通りにいかない体験をせずに大人になれるようになってきてるわけですね。
そして大人になって初めて思い通りにいかない体験をして挫折する。
これが果たして子ども達にとって幸せなことなのか、今の流れが日本の未来にとって本当に有益なのか私には分かりません。
これにコロナによる人との関わりや体験活動の減少も加わってさらに子供達を取り巻く環境というのは本人にとって居心地の良いものになっていると言えます。
私のいる学校(進学校)でもテストで点数が思ったほど取れなくて不登校になる子が多く出ますが、自分の高すぎる理想を叶えられない事に耐えられないのが要因であると思います。
こんな風に子ども達に必要な負荷を与えない世の中になってきている事がかえって子ども達の将来を狭めていると言っていいでしょう。
そんな中で大人は何をすべきか。
課題は学校ではなく、家庭にあるような気がしてなりません。
私自身も親として子どもとの関わり方を考えさせられる一冊でした。なので、興味のある方にはぜひ読んでいただけたらと思います。
皆様の参考になれば幸いです。
本日も読んでいただき、ありがとうございました。