教職者K

教育について考えるブログ。

いい先生の正体とこれから教員を目指す学生に贈る言葉。

 


今の学校に来てから,

 

「この人良い先生だなぁ~」

 

って思うことが多いんですよね。

 

なんというか,仕事してて

 

「この人に自分の子供任せたいな」

 

「この教科を教わるならこの先生に見てもらいたいな」

 

って思う確率が高いんですよ。

 

正直これまでいた学校では学校に1人か2人そういう人がいるかどうかって感じだったんですけど。

 

今いる学校は中高一貫進学校で,ある程度能力を買われた人が来てますから,当然ちゃ当然なのかも知んないんですけど。

 

ただ,段々そういう先生方の学歴が分かってきたんですけど,私がそう思うほとんどの方が

 

かなりの高学歴

 

なんですよね。

 

 

正直なところ

 

「え、なんで教員になったんですか?」

 

「あなただったらもっといくらでも給料いい仕事に就けますよね??」

 

「普通その大学を出て教員になりますか?」

 

っていうレベルの学力の人が教員ていう仕事の可能性の大きさとか,やりがいに惹かれてこの仕事を選んできてるわけです。いるんですよね,そういう変わってる人(笑)

 

 

そこから私が思ったことなんですけど。

 

実は漠然と考えて来た「良い先生」っていうのは実は「本人が高学力の先生」だったんじゃないかなって。

 

自分が学生の頃漠然と「良い先生だな~」って思ってた人たちも実は,めちゃくちゃ勉強ができる人たちだったんじゃないかって。

 

そう思ったんですよ。

 

ほら小学校とかってそんなに難しいことやらないですし,そんなに教師の学力とかって指導力とは関係なさそうじゃないですか。むしろ熱意とかなのかなって。

 

でも今回の異動ではっきり分かったんですよね。

 

本当に良い教員になりたかったら,相当勉強できないとダメ

 

なんだなって。

 

更に頭いいだけじゃなくて,そこに加えてコミュニケーション能力も教育に対する熱意も求められますから,ある意味でこの中で認められるっていうのはもう相当難しい話になってくるんですよね。

 

不祥事ばっかりを伝えるニュースとかじゃ分からないと思いますけど,教員の世界もトップの世界は本当に優秀で,相当にキレる人たちがいるんですね。

 

だからこれから教員になろうかなっていう学生に言っておきたいんですけど。

 

今のうちにめっちゃ勉強しといたほうがいいよ

 

ってことは言っておきたいですね。

 

まずはこれが出来ることが良い教員になるために出来ることの第一歩なんじゃないかなって。

 

私自身,良い教員になろう,もっと成長しようと思えば思うほど,学力っていう壁が自分の前に立ちはだかってきてるっていうことを感じてるんですよね。今更なんですけど、学生時代の勉強がいかに大切だったかを思い知らされてるわけです。

 

例えば社会の授業をもっと深めようと思ったらもっと歴史についての色んな本を読まないといけないわけですけど。

 

その本をまず自分が理解できているのかっていう読解力が求められるわけですね。

 

生徒指導にしてもそうで。

 

生徒指導のセオリーを色んな生徒に当てはめて最適解を目指すっていうのは,数学の公式を用いて問題を解く感覚に近いんじゃないかって思います。

 

更に最近,大手の塾を講師にした海外大学への進学に関する講義があったんですけど。

 

当たり前のように全部英語ですからね。

 

質問ももちろん英語ですよ。(もう黙るしかないですよね,私みたいなもんは!)

 

なのでね,勉強するなら脳が柔らかいうちに。

 

良い教員になろうと思ったら,なってからじゃ遅い

 

って割と本気で思うんですよ。

 

だからまぁ私も頑張りますわ。段々しんどくなってきてますけど。

 

この文章を読んでくれてる教員志望の大学生に送りますよ。

 

一緒に働ける日が来るように頑張ってくださいね。

 

私もあなたが追いつけないくらいに勉強するんで。

 

本日も読んでいただき,ありがとうございました!

教師の心の守り方

最近この本読みましてね。

というのも転勤してからというものの,

 

ちょっとやばいかもな…

 

と思う瞬間が私にもありまして。

 

これまでの数倍緊張しながら毎日を過ごしてるんですね。なので病気にならないためにも読んでみました。

 

この本に書いてあるんですけど,

 

異動二年目までと初任二年目まではうつ病の発症率が高い

 

みたいなんですね。

 

これ読んで、「やっぱり!」って思いましたよ。

 

だから初任者には特に気をかけて声をかけてあげないといけないし,世の中の人たちはもっと私に優しくすべきですよね。(すいません,回らないお寿司が食べたいです)

 

そしてこの本に書いてあるんですけど,

 

社会が成熟してくると専門性が求められ,保護者や生徒からの要求が高くなってくる

 

みたいなんですね。これを本当に感じます。

 

特に今ネットでいくらでも検索できるし勉強できる時代ですから。保護者も生徒も知識がすごいんですよ。

 

障害のある子の保護者さんとかはめちゃくちゃ勉強してますからね。ちなみに私が相手してる保護者っていうのは医者とか弁護士っていう知識層で,まぁ色々と知っているわけですし,こちらの力量なんて一発で見抜かれます。

 

一方で教育界は多忙感から採用試験の倍率は落ち続けているわけで。

 

なので,

 

保護者や子ども達のニーズに教員の能力が追い付かない状況がいたるところで生まれてる

 

んですよ。

 

部活でも生徒指導でもそうなんですけど,意外とクレームがついてるパターンて,大体そういうパターンで。

 

保護者や子ども達の方が言ってること全うだったりするんですよ。

 

ただ教員が人員不足から専門外のもの持たされてたりするのが日常茶飯事なので、知識が無かったり,行き過ぎた指導になったりしてクレームに繋がってるわけですね。

 

そしてそういう対応だったり教員間でのトラブルだったりでどんどん多忙になって気持ちを病んでしまう先生が出ていると。

 

そして,一人抜けると他の人間がカバーに回る必要が出てきて。もうみんないっぱいいっぱいになるという負の循環が始まるわけです。

 

なので,この本にはまずは教員という仕事は「感情労働」であるということを意識すべきだと書いてありました。

 

感情労働とは感情によって左右される仕事で,こだわり始めたら上限なく出来てしまう仕事のこと)

 

そして自分に出来る防衛手段をとるべきであると。

 

しっかり寝る、運動する、アルコールに頼らない,休む時は休む。

 

そういう人間としての健康的な生活を心がけるぐらいしか自分に出来ることはないのかもしれません。

 

(あとは管理職とか教育委員会がうまくアプローチできるかってとこでしょう)

 

そして私が感じた何よりの防御策は

 

勉強し続ける

 

って事じゃないかなと思うんですね。これが最大の防御なんじゃないかなと。

 

やっぱり不勉強は見抜かれますからね。そこにおごりがあると付け込まれちゃいますから。

 

「攻撃は最大の防御」ってよく言いますし,しっかり勉強して専門職としての知識をつけておくことが防御になるのではないかと思います。

 

ただそれで勉強しすぎると体を壊すってのがこの仕事の難しいところかもしれませんな。

 

まっとりあえず気分転換しながら頑張りますわ。

 

読んでいただき,ありがとうございました!

 

共通テストの未来。

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今年の共通テストで女子生徒によるカンニングが話題だったじゃないですか。

 

そこから考えたことがあったのでまとめてみます。

 

AIがどんどんと発達するこれからの時代、学力として求められるのは、

 

「探究 共同 創造」

 

であると東京大学名誉教授である佐藤学氏は言っていて。

 

これはほぼ間違ってないと思うんですね。

 

コンピューターは計算は非常に強いけど、何かに興味をもったり、コンピューター同士で対話したり、新しい創造をしたりすることは出来ないですから。

 

だから、これからの子供たちはこの3つの力を育てて行くことが大事だと言われている訳です。

 

そしてそこから、私が思ったのが、

 

実は共通テストでカンニングしていた子ほど、そういう力はあったんじゃないか

 

 

という事なのです。

 

確かにやり方は褒められたものではないし、絶対に許されないことです。

 

しかしながら、周りの人に協力を求めたり、なんとか試験を切り抜ける方法を考えたりと、実社会において役に立つのはこういう考え方が出来る人間なのではないかとも思ったのです。

 

あくまで現行の共通テストのやり方の上において問題になってるだけで。そういう力も測れるようなテストのあり方に変えていく必要があると思うんですね。

 

私が思うに、これからの時代、まず入試はグループ単位があっていいんじゃないでしょうか。

 

そのグループの中での貢献度やその場における創造性、探求的な態度を見られる。

 

どんなに能力高くてもコミュニケーション取れなかったら社会の中で発揮出来ないですから。これは非常に大事な能力だと思いますね。

 

グループを作らせておいて、難しい課題をボンッと与えて、解くまでの過程を見る。

 

もちろんスマホの持ち込みなんかもOKにします。必要な時に必要な資料を検索できるのか、というのはとても重要な能力だと思うからです。

 

もちろん問題はあって、

 

採点が超難しい

 

というのは出てくるでしょう。

 

しかしながらそこにこそコンピューターに出来ない領域があるとも思うのです。

 

そして入試が完全にそう変わったら、日頃の学校の授業や塾の授業も変わらざるを得ません。

 

権威的に教え込む授業が全く価値を失う訳ですから。日頃からコミュニケーションが頻繁に行われるものになるでしょうし、定期テストの代わりにグループによるプレゼンなんていう形も出てくるかも知れません。

 

何にせよ、見方を変えるとあの女子生徒によるカンニングはそんな現行の共通テストに対する問題提起のようにも見えると思ったのです。

 

思いついたので、書いておきます。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

ゴールデンウィークは神が与えし休息点。

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なんでしょうね、転勤してからやたら頭使うというか。

 

もっと言うなら自分てこのままじゃやばいと思うことが多いんですよね。

 

例えば部活については全く経験がないので、高校の専門で競技やって来た先生がついでに中学生も面倒見てくれてるんですけど。

 

驚いたことに、

 

メニューが全部英語

 

なんですよ。

 

子どもたちはその先生が作った英語のメニュー表を見ながらどんどん練習を進めていきます。

 

これは英語の勉強をする

 

という狙いもあるようですが。

 

それ以上に

 

課題を理解するために子供達がコミュニケーション取る必要がある

 

 

っていうところに狙いがあるんですね。

 

どうしたって分からない用語が出て来ますから、そこについてはみんなで話し合う必要がある。

 

そして、そういう時に既にそのスタイルで経験して来た上級生が教える側に自然と回る訳です。

 

スポーツの技能が高くない子でもこういう場面で人の役に立てれば自己有用感につながりますから、これは実によく出来た仕掛けです。

 

そして実はこれ、私も思いついたことがあったんですけど。

 

でも、自分の英語能力が追いつかなそうで、自信無くてやらなかったんですよね。。

 

だから実際やっちゃう人って凄いなって。

 

そしてこれをやってるその先生っていうのは、英語科では無く、数学の先生で。

 

それでいて私より年下ですから、こりゃ凄いなと。

 

こういう風に周りの先生達の能力の高さに圧倒されてしまう場面が結構あるんですよ。

 

 

学年主任の先生は年度が始まるとすぐに、子供1人ずつ面談をはじめています。

 

手間もかかりますし、これはかなり大変な作業なんですけど。でもしっかり計画立てて着実に進めてるんですね。

 

そしてミーティングをする際に生徒は先生に一枚プリントを出すんですね。

 

『私は「   」について「   」だと思うんですけど、先生はどう思いますか?』

 

生徒達はこれを埋めて主任との面談に臨むわけです。

 

これがもう子ども達の書く内容がめちゃくちゃレベル高い訳ですよ。

 

進学校ですから、アート、数学、哲学、経済なんかの話題を生徒は切り出して来るんですけど。

 

主任もどんな球来ても打ち返す自信があるんでしょうね。(W大出身のスペックの高さをさりげなく見せてくるわけですよ。)

 

それでいて、子ども達の興味関心なんかも分かるという良問になってるわけです。

 

(私がやったら多分ほとんどの問題でボケて誤魔化すでしょう。)

 

隣のクラスの先生は発問2つでものすごく子どもたちが盛り上がっていたんですけど。

 

東大の入試問題で授業やってるわけです。

 

(こういうの喜ぶ子たちなんですよ。普通の問題じゃもう満足出来ないんですね。)

 

だからここの教員は気持ちだけじゃやっていけないなって。

 

勉強してないと子どもからも教員からもすぐに不勉強を見抜かれちゃうんですよね。

 

やりたい事を実現するための能力を持った人たちに囲まれてる状況っていうのはかなりありがたいですし、本当に毎日勉強になるんですけど。

 

 

でも、改めて

 

 

なんでここに来ちゃったのかな?

 

 

って思うというか。

 

周りの教員のレベルが高くて自信無くすっていう初めての経験をしてるわけです。

 

そしてその反面、こういう場を与えられるのを待ってたなって思うんですよ。

 

毎日ワクワクしてますよ。まだ成長出来るわって。

 

ま、頑張ります。

 

すごい教員になりますんで、まぁ見ててください。

 

(このブログをみなさんには「島耕作」みたいな気持ちで見ていただいて。私の成長を楽しんでいただけたらと思います)

 

本日も読んでいただき、ありがとうございました!

「一年生になったら」に対する考察。

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4月だからなんでしょうね。

 

スーパーで買い物してたら「一年生になったら」が聞こえてきたんですよ。

 

あの友達100人できるかなってやつです。

 

あの曲に関しては友達100人作っておいて、富士山の上で100人でおにぎりを食べるってことは

 

その時点で1人ハブかれてる

 

ってことが言われてますけど。(自分を入れて101人のはず)

 

私は教員なんで、もっと教員ぽい目線で考えちゃいましたね。

 

まず一年生と言っても富士山に小学一年生を登頂させるのは至難の業でしょう。それを100人となるとそれはもうほとんど不可能なレベルですね。

 

最低でも中1、いや高一でも苦しいぐらいだと思います。本当は大学一年生ぐらいが妥当でしょう。

 

(しかし、ここでは私が中学校教員なので、中学生の想定で話を進めます。)

 

まず100人ということは、3クラスであると予想されます。

 

そうなると担任3人と、学年主任と副主任、いざという時のために養護教諭。さらに学校代表として校長or教頭どちらかがつくチーム編成でしょうね。

 

なので、この時の100人というのは生徒93名と職員7名と考えるのが妥当でしょう。

 

欠席した7名というのは、不登校やコロナ不安、そして金銭面による負担の大きさからの欠席です。必ずそういうご家庭はありますからね。

 

そして中学一年生だったとしても富士山に登ろうと思ったら綿密な計画が必要でしょう。

 

体力を考えると大人でも2日は必要な山ですから。

 

1日目は五合目までバスで行って、登り始めて、八合目まで着いたところで山小屋に分散で休憩。

 

山小屋はめちゃくちゃ狭いですから、ここで「密」をどう避けるのかという説明を事前に保護者に丁寧にする必要があるでしょう。

 

そして2日目に頂上まで登り、下山して帰校するルートになるかなと。

 

まぁ正直かなり無理をすれば行けなくも無いんじゃないかって思うんですけど。

 

しかしながら、2日にわたる行程で、富士山の上で持参したおにぎりを食べさせるのは難しいと言えるでしょう。

 

2日にわたる行程になるので、日を跨いでしまったおにぎりを子供達に食べさせるのがこのご時世で許されるとは思えないからです。

 

また体力を使い果たしてヘトヘトの子供達に果たしておにぎりだけで足りるでしょうか。

 

調理することも難しいと考えると、山小屋に事前予約しておいて、

 

カレー(1400円)

 

を昼飯としてみんなで食べるというのがリアルなラインなんじゃないかなと思いましたね。

 

 

とりあえず休日にスーパー行ったらそんなこと思いついたので書いておきます。

 

いよいよ今週から本格的に仕事が始まりますけど、今のところはこんなこと考えるくらいの余裕があります。

 

さて、どうなりますかね。

 

ま、頑張りまーす。

 

読んでいただき、ありがとうございました!

 

うまくいかない先生の特徴ワースト1

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これまで色んなタイプの先生を見てきたんですけど。うまくいかない先生には共通点がある気がしたので書いてみます。

 

うまくいかない先生達の共通点。

 

それが、

 

手数がやたら多い

 

ということです。

 

授業にしてもやたら喋る。

 

子ども達が考えてる時も喋る。しかしながらその言葉が子供達に入っていないんです。

 

 

生徒指導についてもそうで、やたら話す割にはクリティカルな言葉が出てこないんですね。そしてうまくいかなくなって悩む。

 

これはボクシングで例えると、素人がやたらパンチ振り回してすぐ疲れてしまっているような状態です。

 

一方でうまい人は相手の出方見ながら一打一打確実なパンチを放りますよね。

 

学年集会みたいに全体で話す場でもそうなんですけど、沢山語ったかどうかは問題ではなく、どれだけ子ども達の心に残ったか、響いたかが大事なわけですね。

 

では、なんでそういう先生達は一方的に話をしようとするんでしょうか。

 

それはですね、

 

子どもから出てくる言葉に対応する自信がないから

 

っていうのが根底にあるんだと思うんですね。

 

子供達っていうのは、訳のわからんことを言ったり、理屈がとおらない発言をしたりしますから、そこをうまく交わしてパンチを放る自信がない。

 

そうなると、攻められたくないから一方的に話すことが多くなるわけですよ。

 

そして、そうなってしまうと自分の発言を挟み込む隙間が無くなってしまうので、対応してもらえない子ども達は嫌になる一方なんですよね。

 

んじゃお前(私)の話は端的なのかっていう話なんですけど。

 

 

私は話が短いことに関しては自信があるんですよね。

 

以前同僚から

 

「君の話は桃太郎で言うと、登場した段階で鬼倒してる」

 

って言われる事もあるぐらいで。朝の会も帰りの会も最速でどのクラスよりも速く終わります。

 

(←それでいいのかっていう問題はありますね)

 

また最近保護者の方と話しててこんなこと言われたんですよ。

 

「以前先生から面談の時に

 

『君は、これまでの人生で努力したことが一度もないんだね』

 

って息子に言われたんですけど。あれは本当に的確でその通りだと思いました。言いにくいことはっきり言ってもらってありがとうございました」

 

これ聞いて

 

控えめに言ってかなりひどいこと言ってたんだな

 

って自分自身にかなり引いたんですけど。

 

 

でもまぁその子との関係性の上にある言葉だし、結果的に感謝されてるからよしとしようかなと。

 

 

だから、まぁ短い言葉でも相手に伝わることが大事だし、そういう意味で日頃から小説読んだり、短歌見たりしてそういうワードとかを自分の中にストックしておくことが大事だと思うんですね。

 

めちゃくちゃ長い名言って見たこと無いじゃないですか。

 

なので、日頃から使えそうな言葉にアンテナを張っているってのが逆にいうと教師としてうまくいくために必要だと思うので書いておきます。

 

さて、今日は年休とったんですけど、本でも読みますかね。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございました!

 

最近一番のそれな。

最近島田紳助さんの言葉の切り抜き動画にハマってんですよ。


www.youtube.com

 

この人引退しちゃいましたけど,本当に物事に対する洞察が凄いなって。

 

そしてそれを面白おかしく伝える話術には本当に勉強になるものがあります。

 

そして私が色々と見ている中で一番

 

「それな!」

 

と思ったことをちょっと備忘録代わりに書いておきたいと思います。

 

紳助さんは上の動画の中で,仕事をすることをF1チームの車に乗ることに例えてこんな風に言っているんですね。

 

「俺(乗る車は)なんでもええねん」

 

「番組のスタッフというのは,優秀なスタッフがいたら,ぼんくらなスタッフもおる」

 

「新番組やってくださいって言われたら,車のF1チームに乗るのと一緒」

 

「その時にいつもマジで思ってることは,」

 

そのあかん車のベストタイムは俺が出さないといけないってこと

 

これ聴いたときにですね、私もう本当に

 

それ〜!それ,それ~!

 

って膝バンバン叩いちゃいましたよ。

 

一方で対談してるまっちゃんていうのはマシンづくり,つまり番組の構成から徹底的にこだわって乗るタイプなんですよね。(ガキ使とかめちゃくちゃこだわってるじゃないですか)

 

でも紳助さんはそうじゃなくて,与えられたものに乗る。それを自分が一番面白くすることにやりがいを感じて居るわけです。

 

そしてこの考え方っていうのは私たち教師にも近いものがあるって思ってんですよ。

 

毎回クラスを任せられますけど,当然いい子もいれば,話が通らない子もいるわけで。こちら側から子どもを選ぶことは出来ないわけですよね。

 

でも,そのクラスのベストが出せるかどうかが大事って思うんですよね。

 

勿論事故ったりコースアウトなんかしちゃった日にはドライバーとしての力量が低いと言わざるを得ないでしょう。(いじめによる重大事案や,不祥事なんかがこれにあたるといえるでしょう)

 

バレーにしてもそうで,最終的にどこまで勝てたかどうか,全国大会まで行けたかどうか,ではなくてそのチームのベストを引き出せたかどうかっていうのが指導者の力の見せどころだと思うわけです。

 

この紳助さんの考え方っていうのは,そんな日ごろから私が感じて居たことをとてもクリティカルに表現してる名言だなと思ったんですよね。

 

そしてこれは同時に思ったことなんですけど。

 

私がこれから乗ろうとしてる車(学校)というのはいわゆる高性能な車なわけで。

 

そうなってくると普通に走ってるだけじゃもうダメなんですよね。周りの人から見たときに

 

「え,中学生でそんなことやれちゃうの?」

 

っていうレベルのことをやらない以上,それはドライバ―として失格でしょう。だって車の性能が高いんだから。

 

他の人から見た時にそう思われるようなことをしないといけないんだなって,紳助さんの言葉から思ったので自分を鼓舞するためにも書いておきます。

 

能力の高い子達乗りこなして,

 

教育界のニキ・ラウダ

 

って呼ばせて見せますよ。

 

頑張りまーす◎

 

読んでいただき,ありがとうございました!

ここが凄いようちのボス。

 

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最近このブログを読んでいるというピタさんという方からメールもらいましてね。

 

前に書いた学活のデータくださいっていう内容だったんですわ。

 

suno200002000.hatenablog.com

 

全く知らない私みたいなもんにメールいきなり送るピタさんの行動力凄いなと思ったんですけどね。

 

さらにピタさんから

 

「やり手の校長先生についてもっと教えて欲しい」

 

っていうリクエストまでいただきましてね。(欲しがりますね~!)

 

確かに今のボスは私が過去出会った校長の中でも断トツで出来る人なんですよ。

 

今の学校でボスから学んだことはとても多いので,私の備忘録としても書いておきたいと思います。

 

題して,「ここが凄いようちのボス」です。どうぞお付き合いください。

 

成功率を上げる

まず成果をあげるためにやってることなんですけど,色んな取り組みの中で分かりやすいのはダンスかなと。

全国小・中学校リズムダンスふれあいコンクール

これ文科省主催でかなり大きい大会なんですね。しかも勝ち進むと芸能人なんかにも会えるので,子ども達は相当喜びますし,自信をつけます。

 

取り組み始めてからわずか2年ですが,すでに全国大会まで出場させているので,これはもう間違いなく成果と言えますね。

 

またそういった成果をメディアを通して発信することにも余念がありません。

 

こういったプラスを作る取り組みをまずしていますね。

失敗率を下げる

そしてプラスを作る作業以上に凄いと思うのが,マイナスを作らないこと。

 

学校では報道にもあるようにいじめの問題だったり,自殺だったり,教員の不祥事だったり色んな問題が起こります。

 

そういったことが起こると,他にどんなに良いことやっていても一気に信用を失ってしまうんですよね。

 

いわば不祥事はマイナスの掛け算なわけです。

 

なのでうちのボスはそうならないためにも徹底したリスク管理をしています。

 

例えば生徒指導案件だったり,不登校生徒への支援で甘いところがあれば,会議の段階で徹底的に詰めまくります。

 

「ここどうなってんの?」

 

「なんでそうしたの?」

 

「こういう可能性は考えられないの?」

 

「ここの聴き取りどうなってんの?甘くない?」

 

そうやって一つの案件に対して細かく質問していって,担当者が答えられないと「はい,もう一度最初からやり直してきて」となります。

 

ここはもう本当に厳しい。我々が気づかないような穴でも見つけますからね。

 

もしいじめ問題が発覚した際には学校がどういう対応をしていてのかが問われますから,その対応が学校として誠意を尽くしたものになるまで徹底して審議を行います。

 

他にもニュースから学校での事故や失敗例を引用したり,他の学校で不祥事が起きた際には新聞記事をコピーして全職員に配布したり。

 

あらゆる手段を使ってマイナスを減らす努力をしていますね。

 

まぁそこまでやっても起こるのが不祥事であり,事故なんでしょうけど。

 

ただそこまでに責任を果たしていたのかっていうのが管理職としての責任が問われるところなんでしょう。この辺の細やかなリスク管理は本当に勉強になります。

教員へのスキャフォールディング

スキャフォールディングというのは教育界で使われる言葉なんですけど。「足場掛け」みたいな意味でしてね。教師などの支援者が一時的に支援することで、学習者に問題解決の力をつけてもらうことを指します。

 

ボスはこれを教員に対してやるわけですね。

 

例えば先に書いたようなダンスの場合,ボスがやりたいと思ったとしても,ほとんどの教員はダンスなんて出来ません。

 

それなら先進的な学校に行って練習を見学できるように手配したり。

 

新しい学習指導要領に基づく評価ができるように講師を呼んだり。

 

研究に関する資料を集めて来てくれたり。そういう足場掛けを提示してくれるわけですね。

 

そしてそういった足場を作ってもらえれば教員は出来るわけです。

 

教員の能力が上がれば最終的にはそれは子ども達に還元されますから。そういった教員への支援も欠かしません。

常に最新を学ぶ 

あと他校を常に見て参考にしてますね。

 

先進的な学校の取り組みを常に見て,購入物やら時程やらも常に良いものを探っています。

 

学会にも入っていたり,ひっきりなしに誰かに電話しているので,常に最新の教育の動向が手に入るのでしょう。

 

そのおかげで前まであった校則が,ボスが来てからほぼ無くなりました。

 

いっそ髪染めてもなんでもいいでしょっていうぐらいまで行ったんですけど。

 

そこについては「流石にそれはやめときましょう」って生徒側から心配する声が上がったっていう。そういうレベルなんですよ。

 

学校の古い慣習を無くすためにも,常に新しいものをみる,こういう姿勢は大事やなと思います。

教育委員会との交渉

学校って教育委員会の管理下にありましてね。

 

なんか力関係的には「教育委員会>学校」みたいに思われてるところがあるんですけど。

 

うちのボスは全くそんなこと思ってなくて。

 

教育委員会と学校は対等」

 

もっというなら,

 

教育委員会は現場のために死ぬほど働け」

 

っていう考えの持ち主なんですね。

 

だからひたすら委員会に電話かけては要求しまくって色んな案件を通すんですよ。

 

それこそお金がかかることだったり,町全ての学校で統一しているために変えづらいものもあるわけなんですけど。

 

その辺も交渉して,学校発信で教育委員会の考えを変えさせてしまうわけですね。

 

もう私が見てる分には「学校(ボス)>教育委員会」というか。それぐらい,委員会より勉強してるっていう自信があるんでしょうね。

 

ちなみにボスの要求によって町全体が3期制から2期制に変わったので,これにより我々は成績処理の手間が一回分省けたわけです。働き方改革ですね。

働き方改革

上にもありますが,働き方改革にも熱心です。

 

一番すごいと思うのが,自分が毎日定時退勤するところ。

 

上司が残業してたりするのは,部下のモチベーションを下げるっていう研究があるみたいなんですけど。(昇進してもあぁなのか…という意味でね)

 

その点ボスはキチッと定時でスパッと帰りますからね。

 

(その代わり緊急時には何時であろうと駆けつけます。酒も飲まないプロ意識)

 

テストとかも減らしたり,業者に任せたり。

 

職員会議の資料も全部ネット上にして印刷する手間省いたり。

 

そんな働き方改革にも力を入れているわけです。

コミュニケーションを取りまくる

あとは職員室にドカッと座ってひたすらだれか捕まえて談笑してますね。

 

部屋によんで個別に話をしたり。そういう1on1のコミュニケーションの回数がこれまでの管理職よりもはるかに多い。

 

休み時間は校長室を開放して、生徒入れて談笑してます。

 

そしてそういうことしてるから細かい変化に気づくんですよね。

 

職員室や生徒の微妙な変化を見逃さない。そしてそれが危険につながりそうな時には,徹底して詰める。

 

それがリスク管理につながっているんでしょうね。

最後に

とりあえず思いついたことつらつら書いてきたんですけど。

 

こう書いてるとさぞかし,素晴らしい管理職に見えると思うんですよ。実際私は本当にすごい人だと思ってるんですけど。

 

ただ実はですね、

 

過去一番教員内の反発があったのも事実

 

なんですよね。めっちゃ反発もあったんですよ。

 

要はいきなり新しい仕事が増えたわけです。ダンスにせよ,メディア対応にせよ。

 

更に校則にしてもこれまでの規則で押さえ込むことに慣れ親しんだ層からしたら違和感があるわけで。「こんな髪型で本当にいいの?」「ルールを守る事を覚えさせる事も大事なんじゃないの?」という人もいるわけですよ。

 

なので特にこれまでの学校運営になれた年齢の高い層からは相当な反発があったんですよね。

 

型に当てはめて運営するタイプですから,自分のやり方にこだわりがある層からすると受け入れがたいわけです。

 

私なんかはもう会議における,そのやり取り見てブルっちゃってたんですけど。

 

当のボス本人はというとですね,

 

 

全く気にしてない

 

んですよね。

 

批判されるなんて少しも気にしてない。何言われてもケロッとしてます。

 

なんというか

 

メンタルが鬼

 

なんですよね。

 

なんというか,そこが一番見習いたいところかもしれません。

 

とりあえず思いついたところをつらつらと書いてみました。

 

また思いついたら書き足しますね。

 

読んでいただき,ありがとうございました!

 

 

 

審判になるなら野球の審判になりたい。

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甲子園やってるじゃないですか。

 

選手の高校生らしいひたむきな姿に注目が集まってるわけなんですけど。

 

でも私は改めて野球っていう競技のユニフォームの特異性を感じずにはいられなかったんですよね。(←どこ見てんだ)

 

まず帽子まで揃えるってレアだなと。

 

野外競技で帽子が必要なのは分かるんですけど、サッカーやラグビーでは絶対かぶらないじゃないですか。

 

テニスとかゴルフとか帽子のイメージある競技もありますけど、ユニフォームとして帽子まで統一してる競技って他にないなって。

 

坊主まで揃えてるのに、それをあえて帽子で隠すっていう。もうめちゃくちゃ特殊ですよね。

 

さらにシャツが前開きのボタン付きだったりするんですよ。

 

バレーじゃあり得ないですね。ボール追いかける時に胸から飛び込むので、危ないですから。前開きだとボタンが胸に当たって痛いんですね。

 

でも野球だってヘッドスライディングで胸から滑るのに危なくないのかなって。

 

さらにベルトですよ。スポーツしてるのにベルト。

 

日頃制服にもベルトしないような連中がしっかりとベルトを着用して試合に望んでるわけです。

 

加えて、夏の甲子園においてはめちゃくちゃ暑いにも関わらず長ズボン。

 

そしてそれを最終的に「靴下にイン」ってもう訳が分かりませんよ。

 

ロングソックスなんですし、いっそ短パンで良いのではないかって思っちゃうんですけど、その辺が野球のプライドなんですかね。ソフトボールとは違うぞっていう。俺たちは走りながらバントはしないぜっていうね。

 

改めて見た時にそんなてっぺんからつま先まで特殊性を保ってるのが野球っていう競技なんだなって思ったんですよ。

 

そして何より納得いかないのはやっぱり「監督も同じものを着る」ってことですよね。

 

還暦過ぎようがどんな爺さんだろうと選手と同じユニフォームを着用する。

 

私が女子部員と同じユニフォーム着てベンチに座ってたら教育委員会に連絡行きますよ。

 

それぐらいおかしな事が野球ではまかり通ってるんですよね。本当に不思議。

 

ただ同時に思ったのが、逆に審判の服装は野球が一番かっこいいんじゃないかって事なんです。

 

他の競技と比較してみたんですけど。

 

まず、サッカー、ラグビーはやりすぎです。

 

まぁ競技の特性上、審判も走らないといけないからなんでしょうけど、走る気満々の格好すぎて、ちょっと審判に必要な厳格さが足りないなと。

 

一方でバスケットは硬すぎるんですね。

 

同じように走る系の審判であるにもかかわらず、あのスラックスに襟付きシャツみたいなスタイルはあまりにフォーマルです。

 

バレーの審判については、あまり動かないのでそのスタイルには合理性があります。

 

しかしながら、胸の真ん中にワッペンてあたりがよろしくない。そもそも真ん中にワッペン付けてる人っていますかね。

 

バレーついては胸の真ん中にデカデカとワッペンがついていて、その審判の階級が一眼でわかるようになっているんですよ。

 

完全なるヒエラルキーが審判の世界でもあるわけですね。だから、なんだかブランド物を見せつけられているような気になってしまってちょっとゲンナリですわ。

 

その辺、野球の審判が一番ちょうど良いフォーマルなのではないかと思うのです。

 

襟付きのシャツにスラックスというカチッとしたスタイルをキャップで崩す…。

 

ドレスとカジュアルなバランスが取れてるなと。

 

いずれ審判になるなら、私は野球の審判が良いですわ。三振のコールとかもカッコいいし。

 

甲子園見てたらそんな事思いついたので書いておきます。

 

どうですか?皆さん。

 

今、最後まで読んだ事を後悔してるんじゃありませんか?

 

読んでいただき、ありがとうございました。

 

小学校の荒れの原因。

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新しく入ってくる子達の引き継ぎを小学校の先生達としたんですけど。

 

これがまぁ、かなり凄いみたいで。何度も保護者召喚してきた子達のようなんですね。

 

授業中の離席は当たり前。教師を無視しておしゃべりをし続ける。

 

注意をするとカッとなって暴れ出す事もあると。

 

(このケースからもわかるように、近年荒れは全国的に中学校から小学校に移行しているんですよ。)

 

よくよく聞いてると、一番手のかかる子は九九が出来ないし、時計も読めない。簡単な漢字も読めないみたいなんですね。

 

もはや、そういう子にとって授業はお経でしょう。

 

だから、ある意味で教室にいる事が奇跡だと私は聞いてて思ったんですね。

 

通級をしてみても、全然うまく行かなかったみたいなんですけど。

 

多分、その子は授業中は他の子に話しかける事で何とか自分を保っていたんだろうなって思いました。

 

そして、これはもう明らかな発達障害であると考えられます。

 

本来は特別支援教室でしかるべき支援を受ける子でしょう。

 

なので、

 

「どうしたらその子に障害があることを親に分かってもらえるか?」

 

を考える教師もいますが、私はそれは得策ではないと思います。

 

だってただでさえ学校に不信感を抱いている上に、さらに自分の子が

 

「あなたのお子さんちょっと障害を持っている疑いがあるので、一回病院で診てもらってください」

 

って言われたら、

 

「は?」 

 

ってなるじゃないですか。

 

もし自分にも思い当たる節があったり、学校を信用してたら受け入れられますけど、普通の子だと思ってるところにそんな事言われたら立ち直れないですよ。

 

もはや単なる侮辱だと取られかねません。

 

よって、より悪い方向に向かう可能性が高いと思います。

 

なので、

 

普通教室でどういう支援が出来るかを考えるべき

 

だと思います。

 

もしかしたら離席という状態を認めても良かったかもしれないし、

 

ICTを用いた支援ができたかもしれません。

 

ある子はスポーツが得意みたいなんですが、運動着を着ないことを理由に参加を認めてこなかったみたいなんですね。

 

私はちょっと違うんじゃないかなと。

 

どんな格好でもいいからまず運動させる。スポーツを通じて成長させることで、いずれその場に適した服装なんて出来るようになるんじゃないかなって。

 

 

格好なんてまずは何でもいいじゃないですか。

 

(とは言いつつも色んな考えがあるから難しいところですね)

 

少なからず何もせずに1時間見学させる事がその子にとって成長につながるとはとても思えないんですよ。

 

これは私自身本当に肝に銘じてることなんですけど。

 

 

障害そのものが問題行動に結びつくことってほぼない

 

 

んですね。

 

 

そういう子が暴れる時というのは、

 

 

障害と提供される教育(環境)のミスマッチ

 

 

が起きてる時なんです。

 

その子は男性の先生にかなり厳しく押さえつけられて来たみたいなんですけど、その事がかえって荒れを引き起こしたようです。

 

引き継ぎの話を聞いてるだけで、その子も先生達も可哀想だなって思いましたよね。

 

その子はその子で困ってるんだろうし、先生達もどうしていいか分からなくて困ってる。

 

今日本中にこういう教室があるんじゃないかなって思います。

 

だからこそ、私が今一番勉強しないといけないと思うのが特別支援教育なんですよね。

 

そういう課題を抱えている子が増えている一方で、障害のスペシャリストの教員がが学校に極めて少ないという問題があるわけで。

 

必然的に環境とのミスマッチが起こる確率が上がってしまっています。小学校の荒れの根本はここにあると私は考えています。

 

文科省も今後は特別支援教育を全ての教員に経験させると明言しているのはこういう背景からでしょう。

 

https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/38236

 

何にせよ、今の時代マストに必要なのが特別支援教育の知識だと思うわけで。

 

春休み中に本でも読んでおこうという自戒を込めて書いておきます。

 

読んでいただき、ありがとうございました!