娘が不登校になった。

もうかれこれ2週間、学校に行きたくないと泣く娘を何とかなだめて学校に連れて行き、早退するということを繰り返している。
学校に行きたくない理由を聞いても、
「国語やだ。」
「算数やだ。面倒臭い」
「音楽も嫌」
とバラバラで何が根底にあるのかいまいち分からない。
私が最初に考えたのが、学習不安である。不登校の要因の第一位はこの学習不安である。小学校に入って2週間だが、すでに他の子についていけなくなってしまったか。
確認するためにも先生に電話してみたが、一年生の今の単元は遊びながら学習するようなもので差がつくような内容ではないという。手を挙げて発言するなどの姿もあり、先生の目から見ても差は感じないと。
また他の子とのトラブルもないという。むしろ学校に来た際は掃除を一番最初に終わらせるなど、かなりしっかりしているという。
そこから考えた次の要因。
それが、
完璧主義
である。うちの子はプライドが高く、人前で完璧でないと気が済まないところがあるのである。もしかしたら小学校に行き始めたことでそんな完璧な自分像が崩れ始めたことが嫌なのかもしれない。
ちなみに「音楽が嫌」という発言に対してどういうところが嫌なのか、聞いてみたところ、
「みんなが歌ってる曲が分からないのが嫌だった」
という発言が出てきた。どうやら自由に童謡を歌う時間があったそうなのだが、他の子が歌い始めた曲に自分が知らない曲があったのが嫌だったらしい。
すかさず私は訂正した。
「全部を知ってるなんてことは難しいよ」
「知らないことがあるからこれから勉強していくんだよ」
「知らないことっていうのは恥ずかしいことじゃないよ」
そう伝えると彼女はこう答えたのである。
「でも、アレクサは全部歌えるじゃん」
この言葉でようやくわかった気がした。
彼女はアレクサになりたかったのだ。何でもできるすごい人でいたかったのだと思う。
凄い自分でいたい。
他の人より優れていたい。
なんでもできる完璧な自分でいたい。
でもそうじゃないから辛いーーーーーー。
どうやら完璧主義というのが彼女の根底にある不登校の原因であることは間違いないらしい。
もともと家ではかなりだらしないタイプの人である。家の中の自分と学校で演じている自分の差に疲れてしまったところもあるだろう。
私はアメリカの神学者であるニーバーのつくった『ニーバーの祈り』を思い出していた。
神よ、変えられるものについてはそれに立ち向かう勇気を
変えることのできないものについてはそれを受け入れる落ち着きを
そして両者を見極めるための賢さを
私に与えたまえ
まさにそんな感じ。幼い彼女はこの勇気も落ち着きも賢さもまだないのである。神よ、どうか彼女に分別を与えたまえ。
要因がわかったので妻はすぐさま図書館に行き、
「失敗してもいいんだよ」的なメッセージのある絵本をたくさん借りてきた。
また私もこの「娘は完璧を演じたいから学校に行きたがらない説」を先生に電話で伝えた。
そうしたら先生もこれについて納得したようで、
「そういえば、生活の時間に植物の土をこぼして泣いたんです。他の子もみんなこぼしてるけど、彼女の場合はそれが許せなかったんですね」
「私も今までできたことを褒めてばかりいましたが、これからは失敗を認めるような声をかけようと思います」
と言ってくださった。
そうして取り組んだ日のこと。
娘はようやく、
「今日は辛くなかった」
「明日は5時間まで行けるかも」
そう言って笑顔で元気に帰ってきたのである。この言葉がいかに我々夫婦にとって嬉しかったか。
そしてその発言から彼女は「行かない」のではなく、「行きたいけど行けない」状態だったのだと気づいた。
サボりでも何でもなく、本当は行きたいけれど、行けないが正解だったのだ。
彼女の辛さに気づいてあげられず、何とか学校に行かせようとしていたことが、娘をさらに苦しめてしまっていたのだと大いに反省した。
彼女の感情を理解した今、我々はきっと明日からは学校に行けるだろうと踏んだのである。
しかし、どうだろうか。
次の日もまた朝から娘は「学校に行きたくない」と言って布団で大泣きしたのである。
すでにその影響は本人だけでなく、弟にまで出ていて泣き叫ぶ姉をずっと見ているからか、弟まで情緒不安定になってきている。
もはや休ませるべきなのだろうか。
今日(日曜日)の夜はどう出てくるのだろうか。
毎日そんなことばかり考えている。
(続きはこちらから↓)