私はここ数年、アートというものが教育において今もっとも必要とされているジャンルなんじゃないかという気がしているのです。
教科で言うと小学校なら図画工作。中学校で言うと美術の分野です。なぜテストにもならないこの教科が重要なのか、そして学校教育や家庭においてどう取り組んでいくべきなのかを書いてみたいと思います。
なぜアートなのか。
まず、なぜアートが重要なのかですが、山口周氏は世界のエリート層がこぞってアートを通じて美意識を磨いていることを取り上げています。
それは論理には限界があるからであり、論理が同じであるならば美意識の高いものが選ばれるからです。
例えばスマートフォンにしても基本的な機能はどれも変わらないでしょう。それがアイフォンが他の機種を置き去りにして世界でシェアを広げたのは、アップルという製品には工業製品としての美しさがあったからでしょう。
スティーブ・ジョブズがカリグラフィーを学んでおり、当時のコンピューターのフォントに対して美しさを感じていなかったのは有名な話です。
また論理で考えた結果行き着くものは、飛びつく頃にはレッドオーシャンになっています。タピオカが流行っている、今はYouTubeが儲かるらしい、そうやってみんながロジックで飛びついた時にはもう競争の激化が起こっており、大きな成功は難しくなります。
なので成功を手に入れようと思ったら自分自身の美意識を鍛え、論理に頼らない自分なりの美しさを追求する必要があるのです。
またルールが追いつかない世の中だからというのも美意識を鍛える理由として挙げられます。現代は変化が激しく、特にネットの世界では法が追いついていないという現状があります。
最近ニュースではオンラインカジノをやっていた芸人さんについて話題になっていますが、あれはまさに典型的な例であると言えます。違法であるかどうかが一見してグレーであるがゆえに、このような騒動になっていると言えるでしょう。
このように世の中のスピードが速くて方が追いつかず、十分な啓発がされない世の中だからこそ、自分なりの美意識で判断するしかない。
アートはそのような美意識を鍛える上で有効だと考えられている訳ですね。
AIの脅威に負けない人材づくり
生成系AIが登場して少しずつ時間が経ってきていますが、これらが人間に与える影響も分かってきています。
トゥルク大学などが2023年に発表した試験では、56人の人間と3種類のAIを戦わせて、「どっちが創造性が高いか?」を調べたそうな。
その結果、ChatGPTに創造性で勝てる人間は9.4%しかいなかったそうな。
つまりこのことから分かるのは90%の人間はchat GPTよりも創造性が低いっていうことなんですね。
これから先、生成系AIがあることによる人員の削減や職業の消滅はどんどん進むんじゃないかなと思います。
正直なところ子ども達が私にしてくるような質問に対する答えもchat GPTの方が膨大なデータから返してくれますから、教員というのも下手したらもう要らない所まで来ているのではないかと思うくらいです。
なのでこれまでの過去のデータに基づく論理によるアプローチを極めても、生成系AIには勝てない
わけですよ。
だとしたら論理に頼らない個人の美意識に基づくアウトプットができるかどうかというのが、今後の世の中を生きていけるかどうかという上で非常に重要だと言えます。
アートは平等
このようなアートの教育での研究は進んでいて、アメリカのハイテックハイという学校ではプロジェクト型学習の成果をアートで表現する試みが進んでいます。
単純に学習の発表としないことで色んな場面で生徒の活躍が引き出せる訳です。
このように、アートというのは他のジャンルよりも平等であると言えるのです。
数学の問題なら明確な答えがあり、それが解ける子と解けない子の間で見えないヒエラルキーのようなものが生まれます。
一方でアートには答えがない。それが何に見えるのかさえも本人の判断に委ねられます。このように皆んなが平等に話し合いのテーブルに立てるのがアートだと思うのです。
今外国籍児童の子が増えてある現状もありますが、アートを通じて多文化を理解することにもつながるのではないかと考えています。
学力も上がる
またアートや音楽で学力も上がるという研究の結果もあるんですね。
ヨーク大学などの調査で、およそ25,000人以上の高校生を10年にわたって追いかけた研究があります。
具体的には、学校の内外でアート活動を行っていた子供たちを追跡して、音楽、ダンス、演劇、芸術レッスンなどの活動を行なってた人たちの変化を見ていったんだそうな。
その結果、経済的に恵まれないが芸術に深く関わった経験がある若者は、そうでない若者に比べて、学校の成績が良い傾向にあることが分かったそうな。良い成績を修め、大学への入学率や達成率も高くなり、高校で芸術に触れた生徒は、そうした経験がない生徒に比べて、学士号を取得する可能性が3倍も高いことがわかったそうです。
また、高校時代にアート活動をした若年層は、ボランティア活動、投票、地元や学校の政治への関与など、市民意識の高い行動を示していたとのこと。
これが日本においてどの程度正しいのかは疑問ですが、少なからず、芸術が子ども達にとって有益であることは証明されつつあるようです。
では学校教育や家庭ではどのように子ども達にアートを伝えるべきでしょうか。
アウトプットに美意識を求める
まず日常的に行えるのが子ども達の作り出すものに美しさを求めることでしょう。
学校ではスライドを作ったり、模造紙にまとめる作業がありますが、そういった作業を丁寧にやらせること、アートとしてこだわらせることが大切なのではないかと思います。
私は高学力帯の子達を相手していますが、頭いい子って字が汚い子が多いんですよ。あんまり気にしてないというか、とにかくスピーディーなアウトプットをしているからか、字が雑です。
それはそれで物を考える時には良いと思うんですけど、人に見られる時はまたちょっと美しいものを作るようにこだわろう、という話をしています。
なので最近は模造紙を書くにしても教室に美術系の本をたくさん用意して、レタリングの参考にさせたり、プロの考えるキャッチコピーの参考にさせたりしています。
「もはや社会の授業じゃない」と感じている生徒もいるようですが、書いている内容はあくまで社会です。このように、社会という自分の専門教科にどうアートを絡めるかを考えています。
朝鑑賞
また朝鑑賞という取り組みも始まっています。朝のちょっとの時間にアートを見せて子ども達に話し合いをさせる取り組みですね。
この本によると具体的なステップは以下の7つ。
①1分静かに見る
②質問を投げかけて10秒はまつ
③否定する言葉は使わない
④おうむがえしや共感的な言い方をする
⑤具体化する(「どこからそう思った?」など)
⑥事実と意見を分ける
⑦題名にも着目する
この7つです。
先にも述べましたが、アートは答えがないですから序列がつかないんですよ。
だからこそ、教員も共に学ぶことができます。
どうしても他の教科には教員の専門性がありますから、教える側と教えられる側という構図が生まれます。しかし、アートには明確な答えがないからこそ教員も含めてみんなが平等になれる訳ですね。
これは家庭でもできるんじゃないかと思います。
美術館に行って「どれが好き?なんで?」と聞く。
タブレットに絵を出して「なんていうタイトルでしょう?」と聞いてみる。
アート写真カードを何枚か出して「今の自分の気分はどれ?」と聞いてみる。
色んなアプローチが考えられますし、子供からしたら大人が自分と対等に話をしてくれているというのは嬉しい経験なのではないかと思います。
長野県の東御市ではこの朝鑑賞を市教育委員会で採用し、義務教育校で実施しているとか。
今後私も少しずつやっていきたいと思っています。
追体験としてのアート
そしてラストはこちら。
広島の学生が取り組んでいる、原爆の被災者に聞き取りした内容をアートにしていく取り組み。
学生達は一年かけて被災者から話を聞き、当時の様子をアートにしていきます。
ただ話を聞くのではなく、感想を書くのでもなく、アートとして表現する。これは普通のアウトプット以上の追体験であると言えます。
原爆もそうですが、震災についてもどう語り継いでいくのかが大きな課題になっています。このような取り組みはとても有意義であると言えます。
一方であまりにその情報が鮮烈であったり、また絵の技術が稚拙であると、被災者の方達にとって失礼なものになってしまう可能性があります。
なので対象とする年齢や生徒についてはよく考える必要があると思います。美術部の高校生くらいが妥当なのかもしれませんね。
終わりに
最近感じているアートの大切さについて書いてみました。教室ではアートカードを使ってそのアートで俳句を読むなんて遊びをしてみたこともありましたが、本当に楽しそうに取り組んでいました。
「アートはわからない」という人も多いと思いますが、「分からないからこそ価値がある」訳ですね。分かってしまったらそれはもう論理であって、アートが真価を発揮するものではないのだと思います。
皆様の教育活動や子育ての参考になれば幸いです。
読んでいただき、ありがとうございました。