今回は、越川慎司さんの著書『世界の一流は「休日」に何をしているのか』を読んで、感じたことや考えたことをまとめてみたいと思います。
日本人は“休み方”が下手
まず最初に感じたのは、「日本人は休み方が下手だなあ」ということです。
ヨーロッパでは、長期バカンスを取る文化が根付いていて、休日はしっかり休むものとして大切にされています。
対して、日本では「そもそも休みづらい」「休んでいても心が休まらない」というような働き方が根強く残っていると感じます。
私自身、教員として働いている中で、土日も部活動や授業の準備などで学校に出ている先生方を多く見てきました。
先日も、同僚の先生が「新年度準備で久しぶりに徹夜をした」と話していたのですが、私はその日ちょうど8時間睡眠をとっていたので、少し申し訳ない気持ちになったりもしました。
一生懸命働く姿勢は本当に素晴らしいと思います。
けれど、「それによって生産性が落ちてしまう瞬間もあるのでは?」ということも感じます。
疲れた状態で仕事を続けることが、かえって質の低下につながってしまう場合もありますよね。
また、上の立場の人が休まずに働いていると、下の立場の人は「自分も休んではいけない」と感じてしまう。
そうなると、全体としての働き方の健全性や持続可能性が失われてしまうのではないでしょうか。
「少ない資源で、より多くを」
本書では、Microsoftの哲学として「Do more with less(少ない資源で、より多くを)」という言葉が紹介されています。
限られた時間やリソースの中で、いかに効果的に成果を出すか。そのためにこそ、無駄なことをそぎ落とし、休日を“自分を整える時間”として活用することの大切さが語られていました。
一流の休日=「自己効力感」を高める時間
印象に残ったのは、「休日に自己効力感を高める」という視点です。
自己効力感とは、「自分にはできる」と思える感覚。休日にこの感覚を得ることが、次の一週間を前向きにスタートさせる原動力になるそうです。
自己効力感を高める4つの行動も紹介されていました。
1. 簡単な目標を設定して達成する
2. 新しいことにチャレンジする
3. 人とのつながりを大切にする
4. 自己内省の時間を持つ(読書、瞑想、ジャーナリングなど)
私自身、休日にやりたいことをノートに書き出して、達成感を得るようにしています。この習慣は、自己効力感という視点からも意味があるんだと再認識しました。
「新しいことに挑戦」が難しい理由
ただし、子育て世代にとって「新しいことにチャレンジする」って結構難しいですよね。
私も自然の中でやるスポーツ(自転車やトライアスロンなど)に興味があるのですが、子どもがまだ小さいので、なかなかその一歩が踏み出せません。
だから今は、「休日は子どもに新しい体験させてあげること」を目標にして、その準備期間として自分も少しずつやりたいことに向けて準備を整える段階かな、と思っています。
会議のあり方にもヒントが
本書では、Microsoft社の会議の進め方も紹介されていて、個人的に非常に参考になりました。
• 共有だけの内容はリモートで行う
• 意思決定が必要な場合のみ、関係者だけが参加する
• アジェンダ(議題)のない会議は開催しない
• 発言のないメンバーは参加しない
これだけ徹底されていると、会議そのものの「生産性」も格段に上がります。
一方、私の勤務する中高一貫校では、会議が非常に多いです。
中学校の会議、高校との調整会議、さらに本番の中学校・高校の会議…と、実質4本立ての構造になっており、これが意思決定の遅れや、アイデアの角が取れてしまう原因にもなっている気がします。
もちろん、丁寧に確認し合う文化には価値がありますが、「もう少しシンプルに、スピーディーに」という視点は常に持っていたいと感じました。
働き方も「アート」になりうる
また私は働き方もアートだと感じました。
アートの世界では、「どれだけ時間をかけたか」は評価に直結しません。
たとえば1年かけて準備した作品と、5分で描いた作品が同じ展示に並ぶ。評価されるのは“最終的なアウトプット”それのみです。
これは教育の現場にも通じる話です。
学校はついつい“無限に働いてしまう場所”になりがちだからこそ、「どれだけ働いたか」ではなく、「どれだけ価値を生み出せたか」という指標で動いていきたいなと思いました。
おわりに
越川慎司さんの『世界の一流は「休日」に何をしているのか』は、読みやすく、実践的なヒントが詰まった一冊でした。
「頑張ること」も大事だけれど、「休むこと」や「整えること」が結果的に生産性を高めてくれる。
そんな当たり前だけど見落としがちなことに、改めて気づかされました。
教育現場にいる自分だからこそ、こういった視点を持って働き方を見直していきたいと思います。
読んでくださってありがとうございました。