(写真は不適切な関係のインコ)
最近見てるドラマに『不適切にもほどがある』があるのである。
38年前を行ったり来たりしながら、現代との違いを取り扱っていくのだが、見ていて私は特に学校のシーンに懐かしさを感じるのである。
ドラマで描かれているシーンは私が義務教育を受けるより少し前の話だが、それでも今思うと明らかにアウトなものが私の学校生活の中にも普通にあったと思う。
私が小学校3.4年の頃の担任は定年間近のじいちゃんだったのだが、この先生は普通に教室でたばこ吸っていた。
あと、合唱の授業の後は自分が音取りで使った鍵盤ハーモニカのノズルの部分を教室で振り回して唾を撒き散らしてみんな悲鳴あげていた。
男女が同じ教室で適当に着替えていたし、その場に先生もいた。
「先生なんでいるんですか?」という女子からの問いに先生は「発育のチェックしてんだよ!」と普通に答えるのだった。
みんな「最低ー!」「きゃー!」とか言いながらそれで笑って許されていたのである。
実際その先生の合唱指導は今思い出しても素晴らしかったと思うし、ユーモアのある人だったので、みんなそのおじいちゃん先生が好きだったと思う。
でも、今なら一つでも一発アウト。
即懲戒免職and教育委員会による謝罪確定案件である。
時代は変わったなと思う。
あらゆるもの、少しでも人が傷つくものは厳しく線が引かれるようになった。
最近のニュースだと兵庫県の校長先生がMサイズのカップにLサイズを入れるという窃盗を繰り返し、懲戒免職、退職金なしという厳しい処分を受ける事となったのが衝撃的だった。
やったことは決して許されることでは無いが、果たしてこれまでの数十年にわたる功績や貢献が全て無視されるほどのものなのだろうか、と私は疑問だ。
多様性を認めよう、と声高に言い始めたのは現代の方が多様性が認められていないからじゃないかと最近思うのだ。
「多様性を認めよう」という現代社会はミスをする、という人間の多様性を許容してくれない。
ある退職を控えた先生は定年か延長か迷ったが、辞める決断をしたらしい。
「今の学校はつまらなくなった」
「自分みたいな不適格教員は退くしかない」
その先生はそう言っていた。
確かに物言いがストレートで、ちょっと時代にあってない指導をしてしまうところはある。
しかしながら、これまで学校を守ってきた先生が行き場をなくしている様子はどことなく悲しく見えたし、「今の学校はつまらなくなった」という言葉は私の心に刺さった。
私自身、思い返すと部活がやりたくて教員になった。
それが今の部活動はどうか。
夏は熱中症があるからやっちゃダメ。
職員会議中は怪我の危険があるから練習禁止。
たくさんやると保護者も子どもも負担になり、次の顧問になる人間が迷惑をこうむる。
もうあらゆる事ががんじがらめで、自分のカラーを出すことが出来ない。
じゃあ自由に練習できればそれで良いのか、というと、それはそれで家庭の方がキツイ。
昔と違って核家族だし、父親が子育てに参加するのが当たり前になってきている世の中だから、休日も部活となると歪みが家庭に出る。だから部活は昔に戻るべきだとは言わない。
だが、一つ言えるのは今の部活は私がかつて夢中になり、自分が教員を目指すきっかけになったものでは無くなってきているということだ。
昔の方が良かったとは言わない。
これまで嫌な思いをしてきた人たちが声を上げられるようになったのも良いことだと思う。
一方で現代社会の方が良いかといえばそうでも無いと思う。
このがんじがらめの社会の中でどうしたら「面白い学校」を作れるのか。
そんな事を考える今日この頃である。