教職者K

教育について考えるブログ。

教員の多忙解消に向けて。

教員の多忙さに伴う人員不足が話題である。

 

自民党は教職調整額の引き上げを提言し、現行の4%から10%への改訂を打ち出してきた。

 

これによって我々教員からすると給料アップが期待出来るわけだが、はっきり言ってこれは無意味な策だと思う。

 

問題は賃金の安さではなく、労働時間がやたら長いことだからである。

 

それを給与で解消しようとするこの提言は現状の長時間労働を肯定しているとも捉えられ、これでは物事の根本的な解決にはならないだろう。

 

また給与で解決するにしても、その額が妥当でない。

 

今の上乗せ4%は昭和の時代の勤務状況調査における月平均残業時間(約8時間)をもとに算出されたものである。

 

現代社会ではその10倍残業しているのだから、教職調整額は40%でも良いくらいなのである。(暴論)

 

これを10%に引き上げれば何とかなると考えてしまう政治家の感覚がそもそも心配である。

 

他にも心配な点はある。

 

先日他市町村の研修会に参加したのだが、そこでは教員1、2年目の若手教員のことを

 

「フレッシュ」

 

と当たり前のように呼んでいたのである。どうやらこれはこの市町村では統一された呼称のようで、

 

「フレッシュの皆さんは、積極的に研究授業をやって研鑽を積みましょう」

 

とか。

 

「以上で終わります。この後事務連絡がありますので、フレッシュの皆さんはこの場に残ってください」

 

とフレッシュという言葉が全く疑問をもたないまま使われていたのである。

 

私はあまりにもその「フレッシュ」という言葉のダサさが気になって研修の内容が頭に入ってこなかったのだ。

 

もっと言うなればそのダサさから,せっかく教育界に来てくれた新任者たちがこの場で辞めてしまうのではないかと心配にすらなったのである。

 

思い出してみると,こういう初任者にまつわるネーミングの問題は過去にも経験がある。

 

私が過去に居た市町村では異動して来た若手教員を対象に「至宝研修」なるものを実施していたのである。

 

至宝とはつまり,我々。我が町に来た宝という意味でのネーミング。その心意気はまぁ理解できる。

 

しかしながら当然そこをいじられるわけである。

 

学校に帰ると,

 

「お、至宝が帰ってきましたよ」

 

「さすが至宝ですね」

 

「至宝!ちょっと聞きたいことがあります」

 

となるのである。

 

(今思うとあの時辞めておくべきだったのかもしれない……。)

 

いやなんというか,こういう古い言葉のチョイスをする人間が全体の働き方改革を担っているのだと思うと改めてそりゃ進まんわなと思う。

 

以前私も管理職に子育てと部活動の両立が難しくなってきている旨を伝えたことがあったが「俺らはそれやってきてんだぞ」と言われて終わってしまった。

 

それに保護者にとっても子どもにとってもたくさん働く先生の方がいい先生なのは間違いないだろう。

 

改めて難しい問題だなと思う。教員の労働時間を減らすことは子どもの学力や学びの機会を減らしてしまうこととトレードオフの関係にあるのである。

 

なので,まずは手っ取り早く意識を変えるためにも名前の変更からしたらいいのではないかというのが私の提案である。

 

そうだなぁ放課後の部活(残業出ない),とか朝の勤務前のあいさつ運動とかは全部ひっくるめて「家庭崩壊タイム」とかにしたらどうか。

 

そうしたら「先生たち忙しそうだから外部のクラブに任せましょう」とかなんないだろうか。

 

まぁダメだな,とがりすぎてる。センスないわ。

 

どうやら私のセンスも働き方改革を進めるには向いていないようである。次の世代に同じことを求めることはしないように気をつけたいものである。