教職者K

教育について考えるブログ。

健全な負い目をいかに与えるか。

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最近チェーン店ではなく、地元のお店で買い物する事が多いんですよね。

 

というのも、顔を出すと色々とサービスをしてもらってしまうからです。

 

家の近くにケーキ屋さんがあるんですけど。

 

妻が自分と子どもにケーキを一個ずつ買って、私には安いシュークリームを買って帰ろうとしたところ、

 

「シュークリーム2個サービスでつけてあげる。それでシュークリームだけで包んであげるから!そうしたらパパにケーキ食べた事バレないよ!」

 

と店員の奥さんからアドバイスをされたそうな。

 

シュークリームをサービスでつけるだけでなく、悪知恵まで授けてくれたわけですね。

 

他にも閉店間際に近所のお弁当屋さんで夕飯買ったら「これもう残っても困るから!」って色々と別にお惣菜をつけてもらったわけです。

 

 

こうなるとサービスしてもらえるから行く、というよりも、

 

そこまでしてもらって悪いな、何かお返ししなきゃな

 

という、いわば健全な負い目みたいなものを感じるようになるわけで。

 

なのでせめてまたあそこで買い物しよう、と足が向くようになっているわけです。

 

心理学にも返報性の原理ってものがありますから、まさしくそういう心理になっているわけですね。

 

そしてこれは教育の世界でも同じように大切なのではないかと思うのです。

 

単純に授業をやる、ただ子どもを見てるでも給料は貰えますし、法的には問題ないのかもしれません。

 

ただ、そこに少しのサービスを負担のない範囲で載せてあげる。

 

そういう関わりをする事がいざという時に「まぁ先生に世話になってるしな」「ちょっと協力してやるか」という気にさせるのではないかと思うのです。

 

例えそれが自分に対して返ってこなかったとしても未来の子ども達に対してだったり、学校に貢献しようという気持ちで学校に返っていくのだとしたら、価値があるんじゃないでしょうか。

 

私はいまだに中学頃の先生が卒業式で「学級通信最終号」としてプレゼントしてくれた詩集を大切にしていますし、そこに載っている詩をはっきりと覚えています。

 

そしてそういう受けた恩みたいなものが、今次の世代に向けて「自分も何かしてあげなくちゃ」という気持ちにさせてくれているのではないかと思うのです。

 

近所のお店のサービスからそんな事を考えたので書いておきます。

 

世の中ってそんな風な計算しきれないもので成り立ってるところありますよね。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございました。