教職者K

教育について考えるブログ。

じゃんけん列車に思うこと

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学校現場でよく行われるじゃんけん列車を最近職場の全校レクでやったのだが、やっていると必ず混じれない、というか交わろうとしない子がいる。

 

じゃんけんが進むと列がどんどん長くなっていく。全体に一体感が生まれ始める中で、1人で脇をウロウロする姿はどこか奇妙である。

 

けして周りから無視されるわけではない。むしろ周りの子も気を遣って交流を持ちに行こうとする。

 

しかし、その接触を自分から避ける。意図的に交わろうとしないだけであって、けして避けられているわけではないのだ。

 

もしかしたら列が極限まで長くなってから参戦する作戦なのかもしれないと思ったがそんなこともなくゲーム終了である。

 

全校で取り組んでいる際に全く参加しようとしない生徒が5、6人ほど壁の近くに残された。

 

こういう生徒の根底にあるのは自己顕示欲だとKは思っている。

 

もっと自分を見て欲しい、孤立している、周りとちょっと違う自分に気づいて欲しい。そういう思いなのではないだろうか。

 

こういう子にとって自分こそが注目される対象であって、それでいて真っ当な方法では注目を集められないからこういう方法を取る。

 

多くの問題行動を取る子ども達の心理にあるのは「どんなことでも良いから自分を見て欲しい」という感情であり、根底にあるのは自己顕示欲と自己肯定感の低さだと思っている。何もしないままの自分を肯定できないのである。

 

じゃんけん列車に入らない子がいる時、当然こちらとしては声をかけるべきか、サポートすべきかという判断を求められる訳だが、Kは放っておくべきだと思っている。

 

混じらないという選択をとった子に対して声をかけてしまうのは、本人の負の部分を強化してしまうことにつながる気がするのである。

 

その方法で人に構ってもらえる経験をすべきでないと思う。これで自分の欲求が満たされればまた同じようなやり方で自分に注目を集めるだろう。

 

だからこういう場面では放っておいて、それとは別の本当に素晴らしい行為を行った時にしっかり認めてあげるべきではないか。

 

例えば自主的に掃除したりするなど、献身的な活動している時に認めてあげてその自己肯定感を満たしてあげることが大事なんじゃないかと思う。

 

なんにせよ、自分が主役じゃないと気がすまないヤツが多すぎると思う。

 

世の中で毎回自分が主役になれる訳じゃないし、そういう態度を取れば取るほど周りからの信用を失うのだが、その事が分かっていない。

 

教育とは難しいものである。