名前について考えていたらもう訳分かんなくなってきて。
一周回って「そもそもどこからがキラキラネームなの?」みたいな疑問まで湧いてきてしまったんですよ。
良かれと思ってつけたら周りから「それはないわ」とか言われたくないじゃないですか。
だから何がキラキラネームなのか考えたくてこんな本を読んだんですよね。
これとても面白かったです。
タイトルはこんな感じですけど,ようは日本の名前の歴史を追った一冊になっていました。
この本によると
・少子化に伴い、親が子に個性を求めるようになった
・親戚が名づけに関わらなくなった
このあたりがキラキラネームが出現しやすくなってきた背景にあるようで。
更には国際化やジェンダー的な考え方の進歩により更に多様な名前が見られるようになってきたようです。
そんな名前ですが,
古代では
名前を教えること=身を許すこと
であったようで。
男と女が
男「頼む、名前を教えておくれ」
女「ダメよ~ダメダメ。」
みたいなことを歌で繰り返して来たようです。
(現代社会も個人情報に厳しいですけど,むしろ古代の方がプライバシーに厳しいんじゃないかって思いましたよね。)
あと昔は実名で呼ばれることはほぼなく,実名は書くときに用いられるものであるために,読み方は意味が無いそうで。
徳川慶喜も「けいき」と呼ぼうが「よしのぶ」と呼ぼうが実は正解なのだそうです。(そもそもあんまり呼ぶことを想定してなかったから)
また中世でも人とは違う漢字をつけるタイプのキラキラネームが流行っていたみたいで。
そのあたりのことを徒然草の著者である吉田兼好は痛烈に批判しているんですよ。
人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益無き事なり。何事も珍しき事を求め,異説を好むは、浅才の人の必ずあることなりとぞ。(徒然草より)
(やたら見慣れない文字付けるのって意味無いよね。何でも珍しいことばっかり求めて、人と違う方向行こうとするのはバカがやることだよね。)
これを見て私は思ったんですよね。
もう言ってることが
ひろゆきみたいだなって。
(どうしましょう,画角まで一緒ですよ)
つまり、この本から分かったことなんですけど,キラキラネームに対する議論は今に始まった話ではないってことなんですよ。
いつの時代も子に幸せに生きて欲しい,ちょっと人と違うしゃれた名前をつけてあげたいっていう親の願いはあって。
時代の変化に合わせて名前のメインストリームも常に変化するわけなんですけど,その中でも特に飛躍が大きいものがキラキラネームと今の世の中では呼ばれているわけなんですよね。
なので名前っていうのはそもそもカルチャーなんだなって。
だからそんな自分の背負ってるカルチャーが表れるのが子どもの名前なんじゃないかなって本を読んで思ったわけです。
名前を付ける上で参考になったかって言われればそうでもないですけど笑
しかしながら面白かったのでお勧めです。
興味のある方いましたら是非どうぞ。
読んでいただき,ありがとうございました!