「ちょっと相談してもいいですか」
子ども達と他の職員が下校した後に、2人だけになった職員室で話しかけてきたのは一組担任の一郎先生だ。
「あの…紅葉先生なんですけど。また小言言われたんですよ。「主体的で対話的で深い学び」を目指すべきとか言って来て。話し合いを促すためにも机の配置はコの字型にすべきって…」
じっくりと担任の話を聞くのも主任の仕事の一つだろう。正は手を止めて、一郎に向き合った。
「いつまで令和引きずってるんだって話ですよ。この時代にコの字型の机配置だなんて…
いや別に今のギャグとかじゃないですよ?もう今はサの字が学びのスタンダードなのに。まだカ行にいんのかって話ですよ」
一郎が興奮気味に話しているのは、同じ学年で2組を担任しているベテランの紅葉先生のことだ。
あの年代の人間はもう何を言っても変わらない、と正は思っている。これまでの指導が自分の人生そのものだからだ。教育の否定は人生の否定に等しい。
正はそう割り切って諦めているのだが、まだ若い一郎先生はある意味でまだ人はいつになっても変われると信じ続けているのだろう。
「もう主体的とか対話的とか古いでしょう。そういえば、今度の職員会議の資料も相変わらずワードで出してきたし…。まぁワードならまだ良いんですけど。この前引き継いだ体育祭の資料なんて『一太郎』でしたからね。令和通り越して平成ですよ。」
『平成』がすでにノスタルジーを感じさせるキーワードとして使われていることには正も驚きを感じたが、黙って話を聞くことにした。
「そもそもの話ですけど、紅葉(メープル)ってどう考えても読めないですよね。これ昔流行ってたとかいうキラキラネームってやつですか?歴史上の人物の「ひろゆき」も『一般的に読めない名前をつける親は頭が良くない可能性が高い。よって、読めない名前の子供は遺伝により頭が悪い可能性が高い』って名言残してますけど、その通りかもなって思いますよ。」
怒りがエスカレートして人格否定になって来ている。そろそろストップをかけるべきだろうか。
「一番納得いかないのは、この前生徒を殴ったらめちゃくちゃ紅葉先生から怒られたことです。これから日本は中国と戦争だってのに、そんな軟弱な教育してたら子ども達が生きていけないですよ。」
10年前に改憲した日本は、長らく揉めていた尖閣諸島での軍事衝突をきっかけに中国との全面戦争に突入しようとしている。一時期問題とされていた体罰も戦争を前にして再度その必要性が説かれるようになっていた。
「紅葉先生、今日も定時で上がるし。働き方改革、ワークライフバランスだなんていって、まだ令和が染み付いて抜けてないんですよ。もうそんな時代じゃないのに」
そういって一郎は紅葉のデスクに置いてある古いタブレット端末を指さした。20年以上前に行われた『ギガスクール』という教育政策以来、紅葉はこのiPadという昔からある端末を愛用している。無論、最近の若い先生達は誰も使わないが。
正はこの価値観の人達をまとめるのは大変だなと思いながら、時計を見上げた。時計の針はすでに夜中の12時を過ぎているーーーー。
この本読んでたら、ショートショートみたいなの書いてみたくなりまして。笑
タムラくんと話してて出てきた「俺らもいずれは老害」っていうのをテーマに書いてみました。
まぁなんとなく読んで頂けたら幸いです。
読んでいただき、ありがとうございました!