塾の先生と最近たまたまお話をする機会があって。
その中で
「学校の先生達は音読をやらせなさ過ぎる」
っていうことを言われたんですけど、この指摘っていうのは実は私も感じていたところなんですよね。
私も色んな授業見てますけど、音読させてる場面が確かに少ないなって。
これは最近の学校の研究対象として発問の工夫とか、ICTの研究なんかに意識がいきがちで、そもそも音読の価値が軽視されがちになってるところに原因があるのかもしれません。
ただ音読って学習者が主体になる学習ですし、読み方と内容理解の両方が伴わないとうまく読めないっていう結構高度な学習方法なんですよね。
(ほら、大人がロシア語の文章出されても手も足もでないじゃないですか。)
なので、言葉を少しずつ増やしている子供たちが声に出しながら確認していく作業は非常に重要ですし、声に出すことで日本語独特のリズムの良さに気づくこともある訳で。
現に子ども達が主体的で良い授業ほど音読の場面が多い気がします。
ちなみに音読について、東京大学の名誉教授である佐藤学先生は、
「音読はたどたどしいのが良い」
「スラスラ読めてる音読は実は子ども達が何も考えてない証拠だからダメ」
と言っています。子ども達が物語を考えて、味わいながら読むとどうしても読み方がたどたどしくなると。
実際うちの子どもは、今ちょうどひらがなが読めるようになって、絵本とかを自分で読もうとしてるんですけど、これが物凄くたどたどしいんですよ。
読みと文章の意味をなんとか繋げながら読むから、これがものすごく時間がかかるんですけど、こういう時に子どもの能力ってのは伸びるみたいなんですね。
これは筋トレで例えると、60キロのベンチプレス出来る人は少しずつ扱う重量重くしないとそれ以上の筋肉の発達はない訳で。20キロでやったらスイスイ持ち上がるけど、そこに成長はない訳ですよ。
だから大人としては子供が読んだ時にちょっとたどたどしくなるような文章を選んで、大人が補助しながら読ませるってのが難易度としてちょうどいいのかもしれないなって私は思っております。
ということで音読に関する指摘ってのは実はすごく大切な気がしたので書いておきますね。
誰かの参考になれば幸いです。
読んでいただき、ありがとうございました!
追伸
今年もこのブログをのぞいてくださり、ありがとうございます。なかなか更新出来てませんが、たまに覗いて貰えると幸いです。今年もどうぞよろしくお願いいたします!