教職者K

教育について考えるブログ。

評価における建前と本音。

タムラくんに勧められてこの本読んだんですけど。

今評価の観点が指導要領の改定に伴って整理されてまして。

 

「新指導要領に伴ってどう子ども達を評価していくのか」がまさに今現場では求められているんですね。

 

我々がつける評価がそのまま子ども達の進路にも直結しますから。

 

私も本読んだり、国立教育政策所が出してる資料読んだりしてるんですけど。

 

https://www.nier.go.jp/kaihatsu/shidousiryou.html

 

(ダウンロードはタダなのでオススメです。テスト問題としても良問が載ってます)

 

ちょっと思うところを書きますね。

 

ようは

 

国が決めた3観点に基づいて、各学校で何をどう評価するかちゃんと決めてね

 

公正さが保たれるように偏りとかないようにしてね

 

って話だと思うんですね。

 

だから我々教員は

 

「ここでこういう発言が出てきたら、思考判断表現をAにしよう」

 

とか

 

「この態度では主体的に学びに向かっているとは言えないからCかな」

 

とか授業の場面場面で子ども達を評価して蓄積していき、それを数値の評定に反映する事を求められているんですね。

 

ただ、実際のところ、成績には説明責任が伴いますから、そう言ったものを基準にした評価が、

 

なかなか受け取り手である子供と保護者に分かってもらえない

 

ことがあるわけです。

 

何かクレームが来た時に、

 

「あなたのお子さんはこう書いて、我々の考えたA評価の基準に達していないからB評価なんです」

 

っていったところで、そもそもそれが理解できてないからクレームに来てるわけで。

 

説明したところで火に油なんですね。

 

そうなると結局テストの点数とかが誰もが納得しやすいんですよ。

 

「この項目でちょっと点数が足りなくて…」

 

とか

 

「この時の提出物のワークが出てないから、Cなんです」

 

って言われた方が納得しやすいじゃないですか。

 

でも実際のところワーク提出してるかどうかなんてのはその教科への意欲とか学びに向かう力とかでもなんでもなくて、ただの「まめさ」とか「計画性」の問題だと私は思うんですよ。

 

でもそうじゃない主体的な子ども達の態度っていうのは、結局数値化しにくいから評価に反映しにくいわけです。

 

なので多くの教員がテストの点と提出率に依存した評価を出しているっていうのが現状だと思いますね。

 

でも現実には

 

 

 

授業では深く考えて良い所までいくけど、テストの点は取れない

 

 

って言う子がいるわけで。

 

そういう子に加点してプラス評価する場合は良いんですけど、問題はその逆ですよね。マイナスにする場合。

 

例えばテストでめちゃくちゃ良い点数取ってるけど、授業に出なかったり、他の子と関わろうとしない子がいたとしましょう。

 

それは学びに向かう力っていう点では明らかにマイナスだと思うんですけど、それを評定に反映するとめちゃくちゃクレームが飛んできたりするわけです。

 

「なんで100点取ってるのに4なのよ!?」

 

ってのがあるわけですね。

 

もちろんクレームが来ないようにするために評定つけてる訳ではないんですけど。

 

でも結局点数に連動してるってのが誰もが納得しやすいんですよね。

 

 

例えば生徒同士話をしてて

 

 

「おれ理科4だった」

 

「え、嘘?!この前のテスト俺より低いのに?じゃあ俺なんで3な訳?」

 

ってなる。

 

結局誰もが納得しやすいのは数値なんですよね。

 

もちろん数字が全てではありませんから、そのままではいけないと思うんですけど。

 

数値でないものをしっかりと説明責任を果たして示すとなると、かなり労力と時間を要する訳で。

 

理想はあるけれど、実際にはかなりテストに依存した評価になってしまっているというのが、現実だと思います。

 

この点については私ももっと勉強せなあかんと思ってるので、いい話知ってたら教えてください。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございました!