教職者K

教育について考えるブログ。

何故上司はいつも無能なのか。

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生徒にとってはいい先生でも、管理職になったり、教育委員会など行政の立場に行った途端にうまくいかなくなってしまう人は多い。

 

現場と管理職ではそもそも求められる能力がまるで違うのである。

 

名プレイヤーが必ずしも名監督ではないように、いい担任がいい管理職になるとは限らないのが教育の世界なのだ。

 

部活で散々好成績をあげ、名声を上げた先生が管理職になった途端にただの偏屈親父になってしまったなんていうのもよく聞く話である。

 

「なぜ上司はいつも無能なのか」

 

というのはどこの世界でもよく聞く話だが、これはピーターの法則というもので説明がつくという。

 

答えは簡単で

 

「優秀だったらもっと上に行ってるから」

 

である。

 

つまり、現場では認められたが、管理職としてはイマイチな人達が中間管理職として留まり続けることになる。

 

もちろん素晴らしい人もいるが、そういう人はあっという間に更に昇進して居なくなってしまうのが世の常なのである。

 

結果的にはその職務に対しての能力が少し足らない人間がその役職に留まり続けることになってしまう。

 

だから管理職として引き上げる際には、プレイヤーとして優秀かどうかだけでなく、管理職としての適性があるのかを責任を持って偉い人達には見てほしい。

 

そんなことを私は下の立場から偉そうに思っているのである。

 

私は思うのだが、一つの分野で成果を上げるのはそれほど難しい事ではないと思うし、実は安易に評価してはいけないんじゃないだろうか。

 

例えば部活動で勝ち上がることについても、たまたま子ども達が良かったり、本人がやってきた得意な競技であることもあるだろう。その年の相手チームが良くないことだってある。

 

しかし、それよりも

 

「やった事ないことでもやれてしまうか」

 

が本当の優秀さなんじゃないかと思うのだ。

 

例えば教員の中には経験のないスポーツでもそれなりに教えてしまう教員がいたりするのだが、こういう人は本当に能力が高い人だと思う。

 

他にも道徳の授業が上手い人というのは能力が高いのではないかと思っている。

 

というのも、道徳という教科を専門に勉強している学生はいないからである。

 

誰もが教員になってから勉強してこの科目を教えることになる。

 

だから、ここで人の心に響くものを作れるかどうかというのは色んな分野で通用する力なんじゃないかと思うのだ。(ちなみに私は道徳自信ないぞ⭐︎)

 

このように、少なくとも二つ以上の離れた分野で成果を挙げられる人というのは、本当に能力の高い人だし、管理職としてもうまくやっていける人なんじゃないだろうか。

 

何にせよ、どんな上司かで現場のパフォーマンスが変わるのは間違いない。

 

しっかりした人選を頼むよ、と偉そうに私は思っているのである。