最近サラタメさんの動画で、太平洋戦争における日本の敗因ってやつを見ていて。
そもそも日本とアメリカの考え方の違いが面白いなって思ったんですよね。
日本はとにかく職人技に頼る。
それこそ戦争時も芸術的な飛行テクニックをもつパイロットを育てあげて、その個人技に頼るのが日本。
対するアメリカは、「誰が乗ってもいいシステムづくり」に力を入れていた。
つまりは飛行機の性能を上げる方に力を入れた訳です。
日本のやり方はパイロットが死亡したら終了ですが、アメリカはパイロットの技能を前提としていないので、誰が乗っても戦闘を継続する事が可能なわけで。
この考え方の違いが勝敗を分けたと言っている訳ですね。
そしてこれを聴きながら、私は同じ事が学校にも言えると思ったんですよ。
というのも日本の学校は先生たちの職人技に頼りがちです。
だから、すごい先生が抜けてしまうと、「次その部をもてる先生がいない」「手のかかるあの子をもてる担任がいない」ということになってしまう。
先日もまさにそういう事があって。
私のいる学校は式典の看板をずっとベテランの国語の先生が得意の習字を生かして書いてきたのですが、その先生が退職されたことによって本当に困ってしまいました。
看板は式典の顔なので、やったことない人間が作ってもいまいちサマにならないんですよ。
でもこれがもう業者に印刷まで頼んだ看板があったら、誰が職員になっても問題なく持続していけるんだろうなって思ったわけですね。
他にも授業なんかまさにそうで。
日本は先生たちの職人的技能を上げようとしているのに対して,海外については「下手な授業聴くより上手い先生の授業をオンラインでみんなが聞いた方がいいよね」っていうシステムそのものをととのえようとしている国が多い。
私は「うまい先生が対面でやることが最も教育効果が高い」っていうところは疑わないんですけど。
でも教員採用試験の倍率が下がってきていて,能力の高い教員がそもそも減ってる&コロナで対面の良さを思うように生かせない,というダブルパンチの現状を考えると,上手い先生の授業をみんなで見て,あんまり授業得意でない先生たちはそれでついて行けない子を励ますとかの方がうまくいくのかなとも思ったりします。
何にせよ,私も最近年とって来て,「自分の教室だけ良ければいい」「自分の部活だけ勝てればいい」とはあんまり思わなくなってきたんですよ。
自分が直接関われない他の子の満足度も考えてあげないといけないなと。
そうなると,そもそもシステムそのものを見直す必要があるんじゃないかなって思うので書いておきますね。
まぁ結論は特にないんですけど,そんなことを思ったので書いておきます。
読んでいただき,ありがとうございました!