教職者K

教育について考えるブログ。

学力格差こそが格差社会の始まりだ。

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いじめとか不登校とか教員の不祥事だとか、学校にはいろんな問題があると思うんですけど。

 

その中でも私が特に問題だと感じているのが「低学力」です。

 

学力が低い子、勉強をする事は諦めてしまった子が教室の中には何人かいるわけなんですが、現場で見てると本当にどうにかしてあげなければならないなと思っています。

 

なぜか。

 

その一つが低学力と不登校にかなり相関関係が見られるからです。

 

不登校の原因は対人関係や、学校になじめない、などいろいろあるんですが、かなり高い位置に「学習不安」が来たりします。

 

現に私が見ている不登校の子たちもいろんな事情を抱えていますが、そのほとんどの子が学習が苦手。

 

そういった子が不登校になってしまって学力がつかない、さらには対人コミュニケーションスキルも十分に育たないまま社会に出ていくことになるわけです。

 

これが今まで以上にこれから先の社会では大きな問題になっていくと思います。

 

何故ならここから先の社会で生まれてくる仕事は、今ある仕事よりも知的レベルが高いものだからです。

 

これまでそういった学習が苦手な子供達は大人になってから肉体労働という選択肢があったわけですが、そういった単純作業というのはこれから先の社会では機械やAIにどんどんその役割を奪われていってしまいます。

 

さらに技能系の仕事についたとしても、自分で課題を設定し、何が必要なのか考えて、そこから繰り返して能力を高めるというプロセスを欠いてしまった子供たちは技能系の職業についたとしても能力を伸ばすのが難しいのではないでしょうか。

 

結果未来はこれまで以上に学力による格差の激しい社会になるのではないかと思っているわけです。

 

(一見学歴社会ではないけど、実際能力差が決定的な格差になる社会です)

 

勉強が出来ないけど、部活でなんとかもっている生徒もいますが、今後部活が地域に移行していくことを考えると、部活の求心力みたいなものは下がるでしょうし、部活の力で引っ張っていくことは難しくなります。

 

学校の本業である学力で子ども達をなんとかするしかなくなっていくでしょう。

 

だからこの低学力の子供たちはどうにかしていく、というのはそのまま国の未来につながってていく話なんじゃないかと私は思うんですよ。

 

そのためにも大事かなっていうふうに思ってるのが、そもそも低学力の子が授業に参加しているかどうか。

 

授業中寝たり、関係ない話をしたり遊んでいたりしないか。

 

これが非常に大事なんじゃないかと思います。

 

もちろん家庭の教育力だとか、本人の資質とかに要因があるのももちろんなんですけれど、人を変えることができませんから、まずはこちらの授業を見直して低学力の子も参加できるようにしなければいけないなと強く思います。

 

そしてその鍵になるのが『グループ学習』かなと。

 

子ども達を見ていて1人では顔が下がる子が、グループだったら質問できるから参加出来るようになったり参加する場面がかなりあるんですね。

 

だったらこれをどんどんやるべきですね。

 

(しかしながら、今はコロナのせいで生徒同士のコミュニケーションが非常に取りにくい状況なのです…。全国の子達が今どんどん無気力になっているという実態…)

 

他にも低学力の子も参加できるようなクイズを出したり、興味をもつような課題を設定するなどやれることはあるはず。

 

コロナ禍ではありますが、こういう中で子供たちを育て、どういう教育を与えていくのかが日本の未来を作っていくことにつながっていくと思っています。

 

そんな風に思いながら頑張りたいと思います。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございました!