教職者K

教育について考えるブログ。

命と向き合う日。

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今日は東北にとってすごく大切な日です。

 

新聞にはここ最近、震災関連のことがずっと特集されていて。

 

昨日の記事ではある小学校の生徒が10年前から髪を切っていない子として紹介されていました。

 

足近くまで伸びた毛は風呂に入るにも1時間はかかるんだとか。

 

本人も面倒だと思っているけれど、切れない。

 

それは、津波で流されて亡くなった父親が撫でてくれていた髪だからなんですね。

 

髪を切ることが父親との思い出を一つ失うことにつながるので、どうしても出来ない。

 

どこかで切らないといけないと思いつつ、切れないままでいるその子の思い…。

 

想像しただけでちょっと目が潤んでしまいました。

 

他にも、あるお父さんは流されてしまった娘さんの車のタイヤを遊具として学校に寄贈し、そこにカモメの絵を描いていました。

 

震災から10年が経ちますが、

 

人によっては10年前の話ではないんだな

 

って改めて思いましたね。今も続いている話なんだなって。

 

同時にこの日というのは、私が常に自分がここにいる意味を考えさせられる日でもあります。

 

受け持つ子ども達も年度を追うごとに震災のことをあまり覚えていない世代に変わってきているのを感じます。

 

今日は学校でも、当時の先生を呼んで話を聞いたり、OBと現役生徒とで震災をテーマとしてディスカッションを企画したりしています。

 

すでに打ち合わせで当時のお話を聞いているのですが、この体験こそが自分にとっての今後の財産であると感じています。

 

ある方は、

 

「子ども、学生にしか出来ないことがある」

 

と力強く言っていました。

 

あの避難所の殺伐とした空気の中で、大人を手伝い、小さい子のために一緒に遊んでくれる学生の姿が希望だったと。

 

中学生から食事を受け取った高齢者の方に笑顔が戻る瞬間があったと。

 

大人はみんな冷静ではいられなかったけれど、日頃から学校でちゃんと教わっている子ども達が一番協力的だったし、人の役に立とうとしていたと。

 

そして、

 

「今日が3月10日かも知れないと思って準備しておく」

 

とも言っておられました。

 

そんな貴重なお話や体験を少しでも次の世代に繋がられるように、微力ではありますが私は私に出来る事をしたいと思います。

 

みんなが少しでも東北を思う、そんな日であれば良いですね。

 

東日本大震災で亡くなられた沢山の方々の冥福を祈ります。