教職者K

30代教員の日々の徒然。

GIGAスクールは本当に必要なのか?

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この前見た講演とセットで行われた研究授業が,かなりICTを取り入れていたんですよ。

 

4人に一台タブレットがあって。

 

先生はタブレットを通じて資料を配布して,生徒たちはそれを読み取る。

 

話し合って考えたものをタブレットで提出。それを先生は画面上で提示しながら話を進めます。そんなチョークを一切使わない授業だったんですね。(保護者の人とかはそういうの見ると安心するんでしょうけど)

 

このように今教育現場にICTやタブレットが行きわたろうとしています。

 

GIGAスクール構想によって今年度中に一人一台タブレットが行きわたります。

 

これにかかる予算が約2,292億円。 これは文部科学省全体の補正予算の8割ほどという莫大な規模の改革なわけです。(GO TO ITとも言えますね)

 

これによる個別最適化や,万が一の休校時のオンラインによる学びの保障を目指しているわけなのですが,私は教育現場へのタブレットの介入に完全に賛成しているわけではないので,この前の授業を見ていて感じたことについて書いてみたいと思います。

 

まず,興味関心を引き出すという意味では,タブレットの面白さはあると思います。

 

その授業では生徒達から出た発言から「すぐにグーグルアースにして調べ,現地の様子を見る」という作業が入ったのですが,これが面白い。

 

教科書で見る農園がどのようなものになっているのか,その規模の大きさや実態が一目で分かり,大人の目から見ても面白いものになっていました。

 

平面的でない資料としてのICTの活用はとても面白いと思います。

 

一方で私が疑問に感じたのはグループ学習の場面。

 

これはその授業の形態にもよるのでしょうが,タブレットで班で回答を作成し,提出している時に,タブレットを持っていない子が何もしていないのです。

 

いわばスポーツで言うと,4人組のうちの一人が最新のマシンでトレーニングしており,それ以外の子が何もしていない状態。

 

「だったらみんなで腕立て伏せした方がいいよね」,というのが私の感想なのです。

 

しかし,これはタブレットの問題というよりも「答えを一つにまとめる」という学習過程の問題だったのかもしれません。出来る子が一人でやっていて実は他の子が何もしていないのです。(よって私は答えをまとめるということは授業内で行いません)

 

「んじゃあタブレットが一人一台になったら,みんなが一斉に最新のマシンでトレーニング出来るから解決するじゃん」

 

という人もいるでしょう。

 

それはその通りなのですが,同時に私は生徒達のつながりが間接的になると感じました。

 

画面を介しての話し合いなので子ども達の視線が合わないのです。「共同」作業ではなく,個人による学習(作業)になりがちなのかなと。

 

今の世の中では機械が発達してきています。そして,「個で何かをする」というのは機械の得意分野なわけですよね。

 

しかしながら「共同」して他の人と考えを出し合い,ミックスしてその場の最適解を見出すというのは人間にしか出来ないことなわけであり,今育てていかなければならない力なわけです。

 

だからこそ授業内においても人がつながる場面を設定し,そのような力を育てていくことが大事なわけですが,タブレットはそれを間接的にしてしまう可能性があると思います。

 

タブレットに集中して他の子と共同しない子が出てきそう)

 

実はタブレットを通じて伸ばしやすい能力は,今の時代には必要でない単純な技能(機械で代用できる能力)なのではないかと思うのです。

 

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

 この本にもありますが,どこまでいってもパソコンはただの計算機なのです。

 

電卓で学力が伸びるなんてことがあるでしょうか。

 

このような理由から私はGIGAスクール構想は本当の意味で学力を伸ばすのか

といえばかなり懐疑的です。

 

そんな私の疑問を県内のICT研究の先駆者であるH先輩にオンライン飲みしながらぶつけてみたんですけど。(←失礼か)

 

H先輩からは

 

「(ICTの活用が)出来るけど選択肢としてとらないのと,出来ないのは違うよ」

 

と言われ,そこにはっとしました。

 

その通りで,教員側がICTという選択肢もとれるようにしておくことが大事で,そもそも教員が敬遠してしまったら子ども達の宝の持ち腐れになってしまいます。

 

なので,ICTの勉強もしておき,本当に必要になる場面で的確に使える,がベストなのだと思います。

 

例えば,私は「1年間の家計を計算する」という授業を3年生でやっているのですが,このお金の計算を自分の頭でやっているとあまりに時間がかかります。

 

細かい計算で授業が終わってしまい,本質的にやりたい「家計とはどのようになりたっているか」「家のお金はどのように流れているのか」までたどり着くことが出来ません。

 

しかし,これもタブレットを使えば電卓で一発。さらに家計簿アプリなんかを使えば視覚的にもかなりすっきりして進めることが出来るかもしれません。

 

このように確かに計算機が有効な場面はあるのです。

 

よって結論なのですが、「入ってくる以上勉強しておく」「必要な場面で的確に使える」これが教員のスタンスとしてベストなのかもしれないと思っています。

 

進む以上この変化を楽しみたいと思います。勉強しますわ。

 

本日も読んでいただき,ありがとうございました!