授業中に他の先生の授業見て回ったりしてるんですけど、寝てる生徒をちらほら見かけるんですよね。
「噺家殺すにゃ刃物はいらぬ、アクビひとつで即死する」という言葉があります。話で客を楽しませる落語家にとっては客のあくびが刃物以上に傷つくものであるということを表した言葉ですね。
これは教員でも全く同じだと思います。自分が一生懸命授業してるのに、寝られたり、別の教科の勉強されるのはやっぱり辛いものですよ。
生徒にとっても日中の集中できる時間を無駄にしている事になりますし、学校で学習しなかった分を家で夜やるなんていうのは生活リズムを崩してしまう原因にもなります。
だから授業中に寝ているというのは子どもにとっても教員にとっても不幸な事なんですよね。
なのでそういう子に対して「寝ている生徒はちゃんと起こして授業に取り組ませましょう」なんていう指導主事の先生もいるんですけど、私はちょっと違うと思っています。
我々はプロなんですから、受けたいと思う授業をつくるか、起きていないといけない状況を作ってしまう事が大事なんだと考えているからです。
研究授業でいい授業をやったり、大人が見てもすごいような理論立てされた授業をするのは素晴らしいことだと思います。しかし、そういう特別な場で色んな大人に囲まれている場所で子ども達が集中しているの当たり前のことでしかないと思うのです。
研究授業のような特別な授業よりもはるかに回数の多い日常の授業の中で子ども達がいかに集中しているか。その事の方がよほど大事ではないでしょうか。
どれほど立派なことを言っていても普段の生活の中で寝ている子が多い授業をやってしまう教員を私はプロとは認めません。同時に自分自身もそういう授業をしないように最大限頑張らなくてはいけないと思っています。
なので今回は子ども達を授業に集中させる上で私が大切だと思っている事を書いてみたいと思います。
そもそもなぜ寝るのかを考える
そもそもなぜ授業中に子ども達は寝るのでしょうか。その理由を考えてみることが大切だと思います。いくつか理由が考えられると思いますが、今回は私が考える代表的な理由を3つ挙げたいと思います。
一つ目は、分からないから。授業内容についていけないとどうしたって起きている事は辛くなります。大人だってアラビア語で授業をされたら1時間集中はもたないでしょう。学力が低い子がその分からなさから離脱したりすることはよくあります。普通の市町村立の学校で一番多いのがこのパターンですね。
そして二つ目は、簡単すぎるから。実はこっちのパターンもあるのです。内容が簡単すぎると子ども達は舐めてかかります。授業を聞いているよりも自分でやった方が効率がいいと思いますし、それなら自分に必要な事をやった方がいいと別の教科の学習を始める子もいます。
私が今勤務している学校は進学校なので、少しでも意味がない、自分に利益がないと感じたらみんなすぐにそっぽを向いて別のことを始めます。高学力の子達ほどその辺の時間を無駄にしない意識が高いですからね。
三つ目は教員側に隙があるから。
上の二つもそうなんですが、このパターンもあります。1時間まるまる黒板を見ながら自分で喋り続ける、教卓前に張り付いたまま一度も机間指導しない、など教員側の工夫の無さが空間全体のゆるさにつながり、集中を生み出せていないこともあります。
ちなみに子ども自身の体調が優れないパターンもあります。最近は起立性調節障害で朝起きられなかったり、朝の早い時間帯にどうしても調子が上がらない子もいます。また午後や体育の水泳の後はどんな子でも疲れからガクッと集中力が落ちるものです。ナルコレプシーなど本人の意思とは無関係に寝てしまう病気もあります。
しかし、それらの体調の管理は医療や家庭、本人がどうすべきか考える領域であり、教員が考えることでは無いと思うのです。相手の体調や具合変える事は教員にはできません。教員は教員の範疇である授業の作り方に集中すべきだと思うのです。
こんな風にまずは寝ている子の背景にあるものがなんなのかを考え、そこから適切な手段を考える必要があると思います。
すぐ活動に入る
まず隙を作らないためにもすぐに子ども達が主体になる活動に入ることが大切です。教員は真面目な人が多いので、説明が丁寧すぎる人が多いんですね。
良かれと思ってやっている丁寧すぎる説明がどんどん子ども達の集中力を奪ってしまう。授業を観察していると、先生が説明するほどに子ども達の顔が下がっていきます。やる気満々で来ている子どもたちの心が最初の説明の段階で折られてしまう事がとても多いです。目の前に面白そうなおもちゃがあるのに、15分も説明されたら興奮が冷めてしまうのも当然でしょう。
教育学者である佐藤学先生は「5分以内に活動に入る。学級崩壊しているなら3分以内」とおっしゃっていますが、これはまさしくその通りだと思います。多少失敗してもいいから子ども達に投げてまずやらせてみる。授業始まりの一番集中力の高い状態を崩させないことが大事だと思います。
私も授業ではまず前時に何をやったかペア同士で対話させて確認させ、その後すぐに今日の学習課題を確認して子ども達の活動に移ります。大体3分くらいで子どもが主体となるようにいつも意識してやっています。
発問は2つ
また集中を保つためにも発問は2つがベストだと思います。どんなに面白い発問でも一つだとどうしても50分はもたなくて間延びするんです。感覚的にも1つの問題に対して子ども達が集中できるのは20分ほどです。
だから発問は2つが丁度いいんです。20分が2つで40分。導入の説明やまとめに10分使うと、50分授業の完成です。
ちなみに子どもに隙を与えないためなら3つとか4つとか発問は多い方が良いのではないかという考えもあるでしょう。しかし、3つも4つも発問できる授業というのは実は内容が薄い事が多いです。内容が即答できるものでないと、そこまで発問は詰め込めません。
これでは子ども達は集中しないし、考えるまでもないと思ってしまいます。かえって子ども達を置き去りにしてしまう可能性がありますから、やはり発問は2つ。少なくて心配な場合は補助発問を生徒の発言への切り返しとして用意しておくと良いでしょう。
発問に徹底的にこだわる
先ほど発問は2つと書きました。江戸時代の武士達は研ぎ澄まされた刀と脇差の2本を持っていたといいますが、教員も考え抜かれた発問を2問もって授業に臨むのがいいと思います。
そしてこの時出すものはちょっと難しいものが良いと思います。先ほども述べましたが、簡単すぎると子ども達は集中しないからです。
難しい問題だと低学力の子は辛いのではないか、という意見もあると思いますが、低学力の子は普通の問題ができないことが苦しいのです。みんなが解ける問題を自分だけが解けなかったら自尊心が傷つけられるのは当然です。その点問題が難しければ解けないことが当たり前ですから、恥ずかしくありません。
それに、そういう難しい問題で生徒達が煮詰まっている時には、低学力の子が思いつきで言う突拍子もない事が会話を進めるきっかけになったりもするのが難しい問題の面白い所です。
なので、今私がいる学校は進学校なので、東大や京大の問題を持ってきて解かせています。普通の問題じゃなくてこういうものの方が喜ばれるんですよね。
また発問のパターンとしては高難易度のものの他にも「自分の考えが出るもの」や「対立が生まれるもの」、「よく考えたら不思議だと思うもの」なども子ども達は喜びます。
私も社会科で歴史を担当していますが、歴史は確定した事実を扱うので子ども達が考える幅があまりありません。
しかし、そんな中でも「戊辰戦争の時に自分が生きていたら、旧幕府軍と新政府のどっちにつく?」なんてちょっと捻るだけで対立が生まれます。
「武器はどっちが多いんだろう」「そもそも人数はどっちが多いのかな」と子ども達の疑問が広がっていくので、考えられるように資料を用意しておきます。そうなればもう自分意見を言いたくてうずうずしてきます。
また公民の授業でも最初に「スーパーの中で買うジュースは99円なのに、一歩外に出て自販機で買う同じジュースが160円なのはなんで?」と聞いてしまう。
日頃目にしているものでも改めて問われると答えられない事はいくらでもあります。そんなよく考えたら答えられない問題も子ども達を参加させるためには必要だと思います。
参加できる場面をつくる
また低学力の子もいるので、私の授業ではクイズを入れたりすることで、全員が参加する場面を作るようにしています。
例えば◯×だけなら学力関係なく参加する事ができますし、雑学的なクイズなら高学力の子も喜びます。
生徒指導的な観点から考えても授業の中に自分が参加できる瞬間があるというのはとても大切な事だと思います。そんなどんな学力の子でも参加できる瞬間をデザインするというのも一つの手でしょう。
英語なんかはクイズのバリエーションがとても多いジャンルなのでパターンをいくつか持っておいて損はないと思います。
対話を使う
また集中するためにも話さないといけない状況を作ってしまう事が大事です。
話しながら眠る事は出来ないので、対話を促したり、対話できる場を設定するというのはアクティブに授業を受けるためにもとても重要なのです。
またこれらは低学力の子にも有効です。低学力の子がなぜ離脱するかと言えば、分からないからなんですね。そういう子に対しては、周りの子に頼れる状況を作ってあげることで集中が持続します。
ちなみにできる子にとっても説明しなくてはならないことが学習になります。自分自身が解けるということと、人に説明するということでは難易度が変わるんですね。分からない子に分かるように説明するには言葉を大分噛み砕かなければならないですし、多角的に問題を見つめるきっかけにもなります。
なので、対話というのは学びを深めるためにも必要不可欠ですし、高学力・低学力の子の双方にとってメリットのある仕掛けです。なので、授業には必ずこの対話を促す場面を入れておきたいですね。
指名する
また当てられたら寝られないので、指名をする事も重要です。
ただ経験の浅い先生の授業を見ていると、この指名がクイズ大会になっていることが多いです。先生が当てて、生徒が答える。これも確かに集中を保つためには必要ですが、当てられている生徒以外は暇になってしまいます。
だからこそ、一つの発言から他の生徒につなげる事が大切です。
「って言ってるけど今のどう思う?」
「そういえばそれ前の授業で勉強したよね?なんだっけ〇〇くん?」
そうやって隙を作らせない事が大事だと思います。
私はバラエティー番組が好きでよく見るのですが、売れてる芸人さんなんかは本当にその辺が上手です。
演者が答えて笑いが起きてる場面では、あとは答えれば笑いになるような言葉やタイミングで司会者が出演者にパスを出しています。
我々は教育者ですから単純に起こしておくという意味だけでなく、「次この子に当てたら全体の学びになる」というナイスパスを目指したいものです。
ICTは利用場面を考える
ギガスクールとともにタブレットが授業で使われる機会が多くなってきました。
その事は変化としてはとても良い事だと思うのですが、どうしたって目の前にあるタブレットを子ども達はいじりたくなるものです。
後ろから授業を観察していると先生が説明している間にネット検索したり、部活の連絡をチェックしていたり。(ひどい時はYouTubeみていたり)
やはりタブレットはメリットも大きいですが、子どもの集中が途切れる原因にもなっていると思うのです。
これから先タブレットを使った授業は前提になっていくでしょう。しかしながら、教員が適切に期間指導したり、グループの場面で周りの目がある状態で使わせるなど利用場面は考える必要があると思います。
何にせよ、子どもと教員双方のリテラシーの向上が必要ですね。
最後に
私が思いつくところをつらつらと書いてみました。他にも立ったり座ったり、音読させたりして動きを入れるのも一つでしょう。(ただ学びが途切れる要因にもなりかねないので、今回は省きました)
何にせよその1時間、子ども達が全力で取り組んでいるかがとても大事だと思います。
スポーツの練習では必死にやっているかどうかは動きを見ていればすぐに分かりますし、強いチームほど練習の活動量が多いのは当たり前のことです。
だからこそ、自分の授業の中で生徒の思考の活動量が多くなっているかどうかはこだわりたい所ですね。
私は上記のことを意識して授業をやっていますが、他の先生方の授業より寝ている生徒が少ない自信があります。
なので、今回はこんな記事を書いてみました。皆様の授業づくりの役に立てれば幸いです。
読んでいただき、ありがとうございました。