教職者K

教育について考えるブログ。

ポテトフライな男とスクラロースの女

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皆さん,ポテトフライってお好きだろうか。

 

あのどの料理にも付け合わせとして付いてくる定番のあれである。

 

そんなどこでも当たり前のように出てくるポテトフライなのだが,私はちょっとした健康オタクなので,基本的にとらないようにしている。

 


【絶対食うな】最もデブる「ヤバイ」食べ物ワースト3

 

こちらのブレイクスルー佐々木さんの動画にもあるが,その破壊力,体に与えるダメージはなかなかに大きい。

 

だから基本的に食べないようにしているのだが,やっかいなことに私の場合,人が食べているのまで気になってしまう時があるのである。

 

例えば小さい子とかが,ポテトフライを食べているのをみたりすると,「あぁ…あんなに小さい子が…ポテトフライを…」とちょっとそわそわしてしまうのだ。(自分も昔は散々食って来たくせに。)

 

言うなればあの細いポテトがタバコのように見えるのである。

 

健康を害するものを小さい子たちが何も考えずにとっているのを見ると,「いいかい,君達ポテトフライってのはね…」と講釈をたれたくなる。私もそういうめんどくさい中年になってしまったわけである。

 

もちろん,それぞれ人生にプライオリティーがあるだろう。だから他人様には好きなものを食べてもらって構わないのだが,問題は家族である。

 

私は妻がポテトフライを注文するのが嫌なのである。

 

妻はポテトフライが好きで,ことあるごとにポテトフライを食べたがるのである。だから私はそれをとにかくブロックしたい。

 

妻「ねぇ,フライドポテト食べていい?」

 

私「…今日はダメだな」

 

毎回そんな感じなのである。もちろんたまに許可はする。やっかいなことにそういう時は娘まで食べたがるので,「じゃあ,二本だけいいよ」と謎のポテトフライ許可を出してから子どもの口にポテトフライを運んでいる。

 

私はこれが家族の健康のためを思っての行為であり,別に悪いと思っていない。

 

しかしながら,これと同じことを人にやられると腹が立つのである。

 

私はポテトフライなのだが,妻は人工甘味料に厳しいのである。

 

例えば,私が妻に頼まれて飲み物をコンビニで買って帰ったとしよう。気を利かせて,新商品の目新しいドリンクを買って帰る。

 

私「これ!新発売だったよ!飲んでみて」

 

妻「……なにこれ。スクラロース入ってんじゃん。飲めない。もう一回行ってきてきて」

 

こういうことになるわけである。

 

人工甘味料健康被害をめちゃくちゃ気にしていて,全く口に運ぼうとしない。

 

私は口には出さないが「(うるせぇ…黙って飲んどけよ…)」と心の底から思っている。

 

ふと思ったのだが,ニーチェではないが「私がポテトフライを気にする時,妻もまたスクラロースを気にしている(深淵をのぞくとき,深淵もまたこちらをのぞいている)」のである。

 

我々夫婦は根本がかなり似ている。

 

似ているから腹が立つのだ。

 

相手に嫌なところを感じる時と言うのは,自分の中にその要素があると自覚するときなのかもしれない。

 

そんな哲学的なことを,回転すしでポテトフライを食べる妻を見ながら思った休日である。

 

(ちなみに全部は食べないようブロックしました)