教職者K

教育について考えるブログ。

荒れる学校の特徴について。

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今年も人事異動が終わり、新しい学年がスタートしようとしている。

 

新しい先生達との出会いも同時に始まっているわけなのだが,今年に関していえば明らかに只者では無い雰囲気を醸し出している方々がいて,非常に勉強になりそうである。

 

生徒指導のプロみたいな先生からはこんなことを言われた。

 

 

仕事をする上では「分担が決まっていない仕事」が必ず発生する。

 

そこをどれだけ「やってもいいよ」という気持ちをもてるか人がいるかが、いい学校の条件なのだそうだ。

 

なんとなく分かる。子ども達はいろんな繋がりをもっているから、教員側もそういうつながりの強固さが大事なのだろう。

 

この言葉から私が思い出したのが以前、別の教頭先生から言われたことだ。

 

同じ学年の先生が生徒指導関係で保護者を学校に呼んだことがあった。

 

私は自分のクラスの話では無いし、それほど重要案件だとも思わなかったので帰宅したのだが、

 

教頭先生からは次の日に

 

「あぁいう時に絶対に帰るな」

 

「1人にしたらダメだ。1人でやってると思ったら潰れる。」

 

とお叱りを受けたことがある。

 

あの時はいまいち納得しなかったが、確かに今にして思えばそうかもしれない。

 

「この子は私の担当じゃ無い」という意識が私の中にどこかあり、それが日ごろの生活の中でももしかしたら出ていたのかもしれないと思う。

 

しかし、難しいと思うのだが、この考え方というのは働き方改革と非常に相性が悪いということである。

 

私思ったのだが、

 

みんなが自分の担当以外のこともやろうと思える職場というのは、

 

そもそも個人個人にゆとりがある職場

 

なのではないだろうか。

 

つまり、教職員がゆとりをもって仕事が出来るような環境を整えておくことが、お互いにカバーし合えるような職場づくりのためにも最重要であるように思うのである。

 

そしてこの考え方は家庭でも言えると思う。

 

「皿洗いは妻の仕事」

 

「風呂洗いは夫の仕事」

 

そうやって決めるのは悪くないだろうが、「決めてない仕事」が発生した時にどれだけ自発的に出来るかが、いい家族なのではないだろうか。

 

 

私は縦割りという仕事分担が実は効率的なもののように見えて、職場の人間関係や子供達への影響を良くないものにしているのではないかと最初の言葉から考えたのである。

 

自分にゆとりをもって積極的に他の仕事も気を利かせて取り組む。

 

そんな人になりたいものである。