さて先日は卒業式だったのである。
コロナのために異例の対応となった今年の卒業式。
備忘録として私が感じたことを書いておきたいと思うーーーーーーーーーー。
私がいる学校では卒業式の参加者は卒業生と教職員のみ。
保護者は子ども達の義務教育の最後の姿が見られない卒業式となった。
近隣の学校では「なぜ保護者が入れないのか」と結構な数のクレームが入ったらしい。
しかし,私のいるところでは
「先生達だって苦渋の決断なんだから」
「こればっかりは仕方ないよ」
と多くの保護者の方が理解を示してくださり,クレームはゼロだった。ありがたいことである。
生徒がいないために準備は教員の手によって行われた。
いつも通り紅白幕を壁に取り付け,卒業生が通る緋毛氈を敷いていく。
席はいつもより遠く設置しているためバラバラ。さらに,事前に教職員が噴霧器をもって体育館内をすべて消毒である。
祝電と書きかけになってしまった後輩からのメッセージを掲示して卒業生を待つ。
いつもだったらバタバタの職員室も今年は在校生がいないために変にゆとりがあった。
式は全員マスク着用。晴れの舞台だが,その姿はなんだか異様である。
短縮化のため,代表者が証書を受け取る学校もあったようだが,私のところでは教職員の意向もあり,証書の受け取りは一人ずつ行われた。
自分の学年ではないが,3年間授業で関わった生徒達である。
一年生の頃を思い出すと、その成長が思い出されて少し目が潤んだ。
合唱もやった。この時だけマスクを外して生徒達は歌う。
この時歌った「時を越えて」という曲の歌詞が,妙にこの日にぴったりだなと思ったのだった。
この日の喜びと この日の悔しさを
忘れないように 深く胸に刻み込もう
精一杯の声を出した この瞬間がいつかきっと
君が生きていく力に 変わる時が来るから
この日の悔しさや卒業という喜びが,いつか子ども達の力に変わるといいな,とそんなことを思ったのだった。
歌いながらボロボロ泣く生徒達。
私自身,親も見られない子ども達の姿を見ているというこの仕事の責任の重さを改めて感じた瞬間だった。
合唱が終わり,泣きながら退場していく生徒達に向けて職員が手を叩く。
こんな形の終わりになってしまったが,君たちの未来が素晴らしいものになることを祈っている。
生徒達には「時を越えて羽ばたいて」欲しいものである。