教職者K

教育について考えるブログ。

自分が覚えている授業を書いてみる。

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休校になって学校の大事さみたいなのが再確認されているじゃないですか。

 

だから改めて,

 

個人で勉強することと学校で学習することの価値ってのは何が違うのか

 

っていうのを見つめ直すいい機会なのではないかと個人的には思うんですね。

 

そして同時に、そこには

 

我々がどんな授業をすべきなのか

 

っていう一つの指針が示されていると思うんですよ。

 

思い出してみると私,

 

ほぼ学生時代の授業覚えてない

 

んですね。(そういう人多いのでは?)

 

ただその中でも唯一覚えている授業があるので,どんなものか振り返りながら書いてみたいと思いますーーーーーーーーーーー。

 

 

小学校6年生の時に社会の授業で先生が出した課題があったんですけど,

 

 

武田信玄村上義清はどっちが勝っただろう?」

 

っていう内容だったんですよ。

 

「圧倒的有名人である武田信玄」対「地元の武将村上義清

 

っていう戦いの構図で,兵力差や地形図などの資料からどっちが勝ったのかを予想するっていう授業だったんですよ。

 

私この授業を先生がやってた時,心の底で

 

勘弁してくれよ

 

って思ってたんですよね。

 

だって

 

調べれば終わり

 

じゃないですか。考える必要ありますかね。

 

今みたいにググるっていうのが一般的な時代じゃないですけど,先生が答えを教えてくれれば2秒で終わる課題じゃないですか。

 

それにこの問題教科書に載ってないですよね。

 

5時間も6時間もこれにかけて,更には跡地まで見学に行くので、

 

もう

 

理解できないな

 

と思っていたわけです。

 

 

つまり,当時の私(小6)にとって学習とは

 

 

効率よくテストの点数を取ること

 

 

であり,そうじゃないものは無駄だと考えていたわけです。

 

自分でも思いますが

 

 

クソガキ

 

ですね。

 

無駄なこと考えたくなかった私は,図書館で「マンガ武田信玄」を探して

 

武田信玄村上義清が戦い,武田信玄が勝った」

 

っていう一コマを見つけて,もう心をシャットダウンしたわけです。

 

 

みんなは先生が提示した資料見ながらあぁだこうだ言ってますけど,

 

 

もう私は考える意味が分からないですから,

 

 

武田信玄の勝ち。本にそう書いてあったから」

 

ってワークシートに書いて終わり。(クソガキです)

 

他の子が何言ってても耳に入ってきません。

 

最終的にこれは研究授業だったようで体育館で多勢の先生方が見ている状況だったんですが,そんな中でも私は一言も発せず。

 

「(だから,武田信玄の勝ちって言ってんだろー!)」

 

と内心で思っていたわけです。

 

そして議論が進み,他の子達は

 

「兵力の差はあったけど,村上義清が地形の利を生かしたと思う」

 

「やっぱり村上義清じゃないかな…?」

 

 

って村上義清寄りになっていって,

 

私はそれを聴きながらも

 

「(お前ら何言っちゃってんの?)」

 

「(本に書いてあんだから,考えるだけ無駄なのに…)」

 

 

 

って思ってたんですけど,最終的に先生が

 

 

「実はこれ,村上義清が勝ったんだよ」

 

って言ったんですよ。

 

教室は自分たちの予想通りの結末に「わー!」っと盛り上がって手を取り合ってお互いに喜びあってるわけなんですが,私の頭には「?」が浮かびます。

 

「(この教員は嘘をついております!)」

 

「(この場を盛り上げるためにこんな子供騙しの嘘をついております…!)」

 

ってもう一人で大混乱してる間に授業が終わったんですよ。

 

納得いかなかったんで,私はこのあともう一回図書館にいって「マンガ武田信玄」を読んだんですね。

 

 

実は最終的に武田信玄は,村上義清を打ち破るんですが,実は

 

 

そこに至るまでに何回か撃退に成功していて

 

 

漫画の中に一コマだけ,

 

村上義清はこの戦いで武田軍を撃退しました」

 

 

って書いてあるコマがあったのを私は見逃していたんですね。

 

 

その時の私のショックたるやなかったですね。

 

みんなが愚かなことしてると思ってたのに自分が一番愚かだったことに気づいたみたいな。裸の王様みたいな心境でしたね。

 

これが私の記憶の中でもっとも残っている授業なんですよ。

 

 

そしてここにみんなで教室で勉強する価値があるのかなって思うんですよ。

 

 

多分,これが私一人の経験だったらこんなに記憶に残ってないと思うんですよね。

 

というか、図書館に行ってまで調べてますから、実は興味あったんじゃないかと思うんです。

 

更に私はほとんど議論に参加してなかったですけど,他の子達はそのやり取りの中で「相互承認の感度」みたいなものを育んでいたのかもしれません。

 

私はその輪に入れなかったことが,今も寂しくて、この時のことを覚えているんじゃないかと思うんです。

 

つまり,

 

受験的なテクニックやノウハウは個人でも追求が出来るけど,

 

 

学問を通じた相互承認的な感動は集団でしか得られない

 

ってことだと思うんですよね。

 

だから学校で授業を教えるプロとしての教師ははその実現を目指さないといけないんじゃないかと思っているわけです。

 

休校が終わったらそんな瞬間を少しでも作れるような授業を目指したいなと思っております。

 

異論・反論お待ちしております。

 

読んでくださりありがとうございました!