ちょっと最近考えていたことを書いてみます。
前回も書いたんですが,今求められている授業っていうのは,
「主体的で」
「対話的で」
「深い学び」
のある授業なんですけど。
それぞれを達成するって
難しいんですよ。
例えば「対話的」一つとってもそうなんですけど,「隣の人と話してください」って言われてもなかなか話なんて出来ないじゃないですか。
大人でも緊張するのに子どもだったら尚更ですよね。
私のクラスもなかなか対話が出来ず…。
なので「どうしたら対話的なクラスになるのか」っていうのがいい授業を作る上でまずクリアしなければならないハードルになっていたわけです。
最近読んだこの本にそのヒントがある気がしたのでまとめておきますね。
この本の中では人を動かすのは,
「安心感」と「自己重要感」
だとしているわけです。
そして対話をしてみようという行動を起こさせるのはこの2つが満たされる時だと。
確かに考えてみると,学校でめちゃくちゃおとなしい子も家ではうるさかったりするんですよね。
それは
家族っていう存在が自分を攻撃しないっていう安心感があって,かつ自己重要感を満たしてくれる存在だから
だと思うんですよ。
つまり,対話が生まれるクラスになるには「安心感」と「自己重要感」がクラスの中で獲得できる状態になっている必要があるわけです。
そして本の中ではそれらを満たす対話の方法として
「どんなことでも絶対に否定しない」
そして
「最後まで聞く」
ことを挙げているわけです。
たしかに話を否定せずにちゃんと聞いてくれるクラスの人たちだったら話してみようかなって気になるじゃないですか。
だから対話的にするために必要なのは,実は「話す指導」じゃなくて
「聴く指導」
なんだなってことが改めて私の中でしっくり来たんですよね。
んじゃあどうやって生徒達の聞く姿勢を作っていくのかっていう話なんですけど。
まず教師がちゃんと生徒の話を否定せずに最後まで聞いてるのか
だと思うんですよね。
そういう視点で先生と子どもの会話を聞いていると結構否定しちゃっている先生が多い。(すいません、私も気をつけます)
それによって生徒の自己重要感が下がるから、「もうしゃべらなくていいや」となってしまっている。
もちろん子どもですから間違ったことも言うわけですね。でもそこをいかに自己重要感を下げないように自分のミスに気づかせるかが,大事になってくるわけです。
そして2つ目なんですけど,
「今なんて言ってた?」
とふいに聞いてみることだと思うんです。
授業中に聞いてない場面があったらさっとその子に
「今〇〇さんなんて言ってた?」
って聞いてみる。
そうやって聞いてないといけない雰囲気作りが大事なのかなと。
そして最後にこの本にもあるんですけど,対話を生まなくなるような発言をやめさせることなのかなと。
こちらの本の中ではその代表例として
「それは絶対違うでしょ」
とか
「今の言う意味あった?」
などが挙げられているんですけど。
そうやって「お前の意見は聞く価値ない」と言う雰囲気が出されてしまうと,自己重要感と安心感が下がりますから,やはり対話的なクラスにはなりません。
教員側が徹底してそういう聞く意志のない姿勢に対しては指導していくことが大事だと思います。
そして最終的にそういう子も自分の話を聞いてもらえる大事さが分かると聞くようになっていくんじゃないかと。
ということで私のクラスがなかなか対話的になっていなかったのでそんなことを考えていました。
少しずつですが私もこれらを意識して授業展開することで関係性が良くなってきていますし,対話も生まれているのかなと。
まぁまだまだですけどね。
「もっとこうしたらいいよ」というのがありましたら,皆様のご意見等頂ければ幸いです。
読んでくださり、ありがとうございました!