(世の中コロナウィルスで大変な時なんですけどね、私らしく全然関係ないこと書いておこうと思います。)
今回は,私の好きな人の話を書こうかなと。
これもう恥ずかしいですし,本当に誰にも言いたくないんですけど…
私、
野村監督
が好きだったんですよね。
テレビに出てると自然と追ってしまうというか、すごく勉強になるなぁ〜っていう目でみていて。
ちょっと今回は以下の本を参考にしてその魅力を私なりに書いてみたいと思います。
私が野村監督が好きな理由。
野村監督って三冠王とか,名監督とかすごく華やかなイメージがありますけど,
もともとは家がものすごく貧しくて,お金を稼ぐことを目的にプロの世界に入っているんですね。
しかも南海に契約金0のテスト生として入団しているんですよ。だから三冠王なんて絶対に取れないだろうっていうポジションからのスタートなんです。
しかも本人は巨人の大ファンだったわけで,出来れば巨人に入りたいと思うわけですが、巨人は他の選手が活躍していたため断念します。
そして,
捕手層が薄く高齢化していた南海なら一軍のレギュラーになりやすいと考えて入団する
わけですよ。こういうところに頭脳を感じるわけです。
しかも入団してからもどうやったら凡人の自分がプロに勝てるかを徹底して考え続けるわけですね。
バッターの集中を途切らせるために,補球をしながらぶつぶつ呟いてみたり。
バッターの癖をビデオで擦り切れるまで見て,どう攻略するか研究したり。
(今では当たり前ですけど,それが当時はやっている人が少なかったわけです)
当時まだあまり認知されていなかった「筋力トレーニング」を積極的に取り入れてみたり。
そうやって足りない部分を頭で補っていった人なんですよ。
私は
もって生まれた力の差を「知恵と経験」でひっくり返すようなストーリーが大好き
なんですけど,まさにそれを体現したような選手であり,名監督であったように思うのです。
競技は違いますが,その姿勢を本当に尊敬していました。
好きな言葉。
本当にその言葉からも名監督だったことが伺えます。いくつか私が好きな言葉を紹介します。
「才能には限界があるが,頭脳に限界はない」
まさに野村監督を体現するような言葉です。才能を頭脳で越えようとするその姿勢は私もバレーを教える上で常に大切にしたいと思っています。
「自分−仕事=ゼロでは良い仕事は出来ない」
野村監督は仕事が全てになってしまうと、引退をした時、その人は人生を見失ってしまうから,それだけではダメなんだということを常に意識されていたそうです。
そのために,
「人は何のために生まれてくると思う?」
と選手達には常に問い,人生を生きる目的意識,引退後の人生設計をもたせることを心がけていたそうです。
これは私自身も本当に心掛けなければならないことだと思っていて。
部活に熱心な先生ほど
「スポーツしか出来ない生徒を育てがち」
だと思うんです。
だからスポーツは上手いけど,引退したり,怪我をしたらうまくいかない,それ以外のことはほとんど出来ない,という生徒がたまにいるんです。
でも
人生ってスポーツ出来なくなってからの時間の方が圧倒的に長い
んですよね。そういう視点をもって指導ができるのかどうかっていうのが,選手にとって一生を左右すると思うんですよ。
プロのように結果がまず求められる世界で勝ち負けだけに捉われることの問題点に気づき,そうならないように指導していく野村監督の素晴らしさはこんなところにも表れているんじゃないかなと思います。
最後に。
一言で言うと,ハングリーでノーブル,つまり「貪欲で高貴な気概をもっていた人」だったんだなぁと思います。
人を育てること,野球に貢献することが野村監督にとって気概だったのではないでしょうか。
そうでなければ三冠王をとってお金が手に入った時点で野球を辞めているはずですから。
それからも長きにわたって日本の球界に貢献されたことはそれ以外の気概に,大いなる価値を見出されていたからなのではないかと思います。
なので野村監督の姿からは学ぶことが本当にたくさんありました。偉大なリーダーを失ったと今月の私は本当に悲しい思いでいっぱいでしたね。
まだまだ足元にも及びませんが,私もこんな人になれるように残りの人生を走りたいなと思っております。
野村監督のご冥福を祈ります。