教職者K

教育について考えるブログ。

これから私が目指すところ。

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最近ある人から言われた言葉がここ最近私の頭の中に残っている。

 

それが

 

「今はあんまり分からないと思うけど,教員は40代から差が露骨になっていくよ」

 

という言葉である。

 

つまり,20代,30代で積み重ねてきたものが40代では昇進という形で目に見えやすくなってくるという意味だ。

 

この言葉から私が思ったのは「自分はそもそも昇進がしたいのか?」ということなのである。

 

何回か考えてみるのだが,そこに私はあんまり関心が無い。

 

 

もともと子ども達と関わりたくて選んだ仕事だが,教員は昇進するほどに子ども達から離れていくという構図になっていて,その管理職のやりがいがどこにあるのかいまいち自分にはわからないのだ。

 

さらに「学校全体で起きたことに対して責任を負う」,というのが適当な性格の私にはかなりしんどいと思う。

 

クラスの30人に対処するだけでも手一杯なのだから、学年や学校となるともう責任が重すぎる。

 

私は毎日好き勝手にブログ書いているぐらいの生活がちょうどいいのである。

 

だとしたら私はどこを目指して今後生きていくのだろうか。

 

忘年会の準備として今年一年を振り返っていたらその一つの答えみたいなものを見つけた気がするので書いておきたいーーーーーーーーー。

 

 

今年自分の中で胸が熱くなるシーンがあったのだが,それがある先生が退職するシーンだったのである。

 

管理職にはならず,ずっと現場で子ども達のすぐそばにいる先生だった。

 

男気のある人で,管理職から我々が納得できないことを言われると,「ちょっと俺が言って来るから」と言って我々の気持ちを管理職に向かって代弁してくれる。

 

なかなか若手には出来ないことなので,こういう存在がとてもありがたかったのである。

 

更には年配でありながら率先して体育祭の準備などに取り掛かり,協力してくれる。疲れている職員を見れば差し入れを入れてくれるような思いやりのある人だった。

 

 

そんな先生が退職されるということで,今年の離任式にはたくさんの卒業生が来た。

 

 

そしてみんなが注目する中で先生はこんな挨拶をしたのである。

 

 

「もう死んでしまったけれど…,40年間無事に勤め上げられる丈夫な体に生んでくれた両親に感謝したい」

 

涙で言葉をつまらせながら,そう挨拶していた。普段強い姿ばかり見せていたその先生が泣く姿を初めて見て,私も目頭が熱くなったのだった。

 

たくさんの職員や教え子に惜しまれて去っていく先生。

 

 

ここに一つの答えがあるんじゃないかと私は思ったのである。

 

今の段階で「もっとお金が欲しいな」とか「人より認められたいな」という気持ちは私の中にも確かにある。

 

でも結局肩書きやお金なんていうものは人生の後半にはひどく小さい価値観になってしまうのではないか。

 

 

少なからず私はその先生の姿からこんなにも豊かな人生があるのだな,と思ったのである。

 

 

 

 

「去るときに惜しまれる人」

 

 

これから先自分の人生がどういう方向に向かっていくのかは分からないが,

 

 

少なからずそんな人に私もなりたいなと思っている。