教職者K

教育について考えるブログ。

これまでの授業をやめてみた。

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ブログ書いてないここ最近何してたんかって話なんですけど。

 

ちょっと自分の授業を見つめ直そうと思ったんですよね。

 

というのも,私の授業っていうのは基本の流れがパワーポイントで構成されていて。

 

それで資料とかを提示しながらポイントで発問を出して「ここ考えてみて」って感じでやっていくスタイルだったんですね。

 

これが3年間分作ってあるので,クラス変わってもすぐできるわけです。

 

時間がなくて準備が間に合わない時も去年のものを出してくればすぐ形になります。

 

映像があるので生徒からも好評で,これを毎年少しずつアップデートしながら使ってきたんですけど。

 

静岡に行って自分の授業をビデオで見た時に,これじゃだめなんだって思ったんですよ。

 

というのも,

 

 

 

生徒達同士がほとんど対話してない

 

んですね。

 

私が話をしている時はみんな楽しそうに聞いて笑ったりしてるんですけど,いざ発問をして生徒同士が話し合うくだりになると完全に「個」になってしまうんです。

 

文科省はアクティブラーニングを推し進めていますから,

 

「主体的」

「対話的」

「深い学び」

 

のある授業を作らないといけない。

 

でも私の授業っていうのは,

 

「主体的」◯

「対話的」×

「深い学び」△

 

みたいな感じだったんですよ。

 

 

その原因として教育学者の先生から、

 

「パワーポイントによる授業展開が良くないのかも」

 

って指摘されたんですよね。

 

結局プレゼンみたいな雰囲気が出てしまって私がリードする感じが生まれるから,それによって生徒同士の対話が生まれないんじゃないかと言われたわけです。

 

さらに山口周氏もTwitterでパワーポイントの問題点についてこう指摘してるんですよ。

 

山口周 on Twitter: "パワーポイントはクソ仕事の元凶です。人を「仕事してる気」にさせてしまう。パワーポイントを禁止にすれば仕事の質も上がるし能力も高まるのに…と思って調べてみたらAmazon本社では既に禁止だとのこと。さすが。文章と口頭で明快に説明するには整理された論理が必要ですからね。"

 

パワーポイントがあることで,逆にその枠に閉じこもってしまうのかなと。

 

なので、これまでのパワポに頼る授業やめました。

 

資料は手間でも全部印刷して,生徒達に渡してお互いに話をするよう促します。

 

あと教科書の内容重要単語とか無視してとにかく

 

「主体的になってるか」

「対話が生まれているか」

「学びが深くなっているか」

 

だけを考えて授業を再構成しているわけなんですね。

 

ちなみに最近は足利義満はなぜ出家したのか?」っていうテーマで資料をもとに生徒に対話しながら考えるように促したんですけど。

 

「僧侶だと武士も手を出せないからでは?」

 

とか

 

「中国との貿易がうまくいって利益が大きかったみたいだから,仏教もやってさらに気に入ってもらうため」

 

とか

 

「資料に太政大臣(朝廷のトップ),将軍(武士のトップ)になったって書いてあるから,次は仏教界のトップになって歯向かえる人が居ないようにしたかったんじゃないか」

 

とか

 

「うわっ金閣寺ってたしかに三層になってて,一階が貴族好みの造り,二階が武士好み,三階は禅宗様になってる!」

 

とか本当に多様な意見が出てきて。

 

最終的にチャイムが終わった後に

 

「今日めっちゃ面白かったわ…」

 

って子ども達が言ってったんですよね。

 

これ私の中でちょっと鳥肌立ったんですよ。今まで俺何してきたんだろうって思いましたよ。

 

これまでの授業は結局私が主役だったんじゃないかってすごく反省したんですよね。

 

ということで今後もそういう授業を作れるように精進したいと思います。死ぬほど教材研究しますわ。

 

ブログは自分の備忘録としてちょこちょこ書きますのでまた覗いてやってください!

 

読んでくださりありがとうございました!