こちらの本を読みましたので,今回は概要と私見を書きたいと思います。
日本の教育には格差が存在する。
本書の内容を一言でまとめると,「日本の教育には格差が存在する」。これです。
東大生の親が東大卒であったり高収入であったりするのはよく知られた話。
つまり,親が高SES(社会経済的背景)をもっていると,子どもも自然と力を伸ばしやすいと。
親が高SESであるほど,家に本などの文化資本があるので,それらを相続できるのも原因と考えられます。家庭内で使っている語彙も数が多いのでしょう。すでに生後1年未満で学力差が見られるというのです。
もちろん例外はあるのでしょうが,やはり両親が大学を出ているかどうか,などで子ども達の学歴に明確な差があるというのです。
つまり,日本でも生まれた環境によって子ども達の将来がある程度決まってしまっているという話なんですね。
家庭差と地域差
そして差が出るのは家庭だけではなく,生まれた地域によっても差があるというのです。
例えば田舎であればそもそも塾に行くという発想そのものが無い地域もあります。
概して都会の人ほど塾や習い事が当たり前になっている。
ちなみに私が見ていて思うのが同じ地域でも学区ごとにまた差があるということ。
同じ学校でも例えば公営住宅を抱えていたりする学区の場合,なかなか保護者の教育活動への協力を求められずPTA組織なども機能していないところがあったりします。
そして学校を見渡してみると,「荒れ」が結構な頻度で起こる学校があったりするのですが,正直なところ世帯の年収などとかなり相関関係があるように思います。
「意図的養育」と「放任的養育」
そして本の中ではそういった養育の方法として「意図的養育」と「放任的養育」があると書いているわけです。
高SESの親は「意図的な養育」をし,何かやるにも理由を考えさせ,習い事をするよう促す。結果的に子どもは早寝早起きでゲームやメディアへの時間も短くなる。
対して「放任的養育」では「子は自然に育つ」と考えて基本的に親は過去の経験から学校教育に無力感を感じており,「勉強を教えるのは専門科である教師の仕事」としてノータッチになっていると。
これ私の経験ですが,かなり熱心な親御さんは学校の教材や配列にも目を向けていたりします。
「この問題集の問題の並びだと,この構文は理解しづらくないですか…?」
なんて言ってくる方も。
それが良いことかどうかはまた別として,そうやって保護者が勉強を見ているのですから,やはりそういう家庭の子は勉強が出来るわけです。
この問題はどうしていくべきなのか。
ということで,日本の教育には格差があるようなのです。
私は「いっそ塾を無くしたらどうなんだろう?」ということを想像しました。
あのビートたけしも
『オイラはこれまで「学習塾」ってものの悪口をサンザン言ってきた。学校じゃないところで,隠れてコソコソ勉強するなんて裕福な家の子供だけが得する「ヤミ教育」じゃないかってね。』
とこの本の中で述べています。
私もそう思ったのですが,お隣韓国では教育の平等性を確保するために実際に塾を禁止したところ,
マンションで違法授業
なんてことが行われるようになってしまったそうなのです。
つまり,親からするとある意味で他の子と差をつけたくて習い事をさせているわけですから,
国が教育の平等を目指せば目指すほど,親の教育が過熱して格差を広げる可能性がある
のかも知れないと思いました。
「では義務教育を早めてみては?」
とも思ったのです。
問題になっている保育士さんの待遇も改善されるでしょうし,今現在は園ごとの養育方針にかなり差がある状態です。小学校スタートの段階までの学力差も変わるのではないかと。
そう思ってそのことをツイッターで書いたところ,
「そんなに勉強が大事ですか」
「やだやだ学校の先生って」
「勉強ばっかりの人生で子どもがかわいそう」
とまぁ,大炎上したんですよね。
私としては教育の平等を目指した上での発言だったんですが,なかなかそう受け取ってもらえず。
子どもは遊ぶべきで,早い段階で子どもに学習させたりすることに対して反対する層がいることが分かりました。(←勉強になった)
ちなみに著者は「教育格差の必修化」をして,教員免許を取る人たちにこの実態をまず知ってもらうべきとしていました。
確かに私も教員になって地域や家庭ごとに差があることに気づいたところがあります。
というか,多くの人がこの差があることを知らないまま大人になっているんじゃないでしょうか。
まずは知ることが大切なのかも知れないなと私も思いました。
ということで今回は「教育格差」について書いてみましたがいかがでしたでしょうか。
皆様の参考になれば幸いです。
本日も読んでくださりありがとうございました!