教職者K

教育について考えるブログ。

がんじがらめ。

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息苦しい世の中だなと思う。

 

インターネットの登場は世の中の小さなミスを許さなくした。

 

あっという間に情報は出回り,ミスをした人間が叩かれる。

 

昔はおおらかに見過ごされて来たことがどんどん許されなくなっている現代社会。

 

もともと私はとても大雑把で細かいことは全く気にしない性格だ。

 

そんな私と現代社会のこの神経質さは特に相性が悪いなと思うのであるーーーーーーーーーーーーー。

 

 

学校では冬休みの到来に向けて,通知表を作る忙しいシーズンである。

 

成績に関わるものなのでこれを作る作業は慎重を極める。

 

もちろん私もじっくりと成績を考え,ミスがないように確認し,一人ひとりに所見の文章を書いていく。

 

そしてこれを主任や教務,教頭に回し,何人もの目でミスがないかチェックするのである。

 

重要な作業であるのはもちろん理解しているのだが,若干納得できないことがある。

 

私の手もとに帰ってきた通知表にはこんなことが書いてあるのだ。

 

 

「2学期←2は全角にしてください」

「雑巾がけ←雑巾掛けに訂正」

「素晴らしい←すばらしいに訂正。」

「かぜ←風邪に訂正」

「「、」←全て「,」に変換を。」

 

これらを全て訂正し,その度に印刷をかけるのである。

 

 

これ……

 

 

いるだろうか?

 

 

大雑把な私はここにこだわる意味がいまいち理解できないのである。

 

 

もちろん名前のミスだったり,数値のミスがあってはならないのは分かる。それは教員の信用に関わる問題だからである。

 

 

しかし,例えば「かぜ」なのか「風邪」なのかが一体どれだけ教員の信用に関わるというのだろうか。

 

これが

 

「ちょっと,あなたのとこの通知表見せて…。あっやっぱり。

 

こっちは「風邪」って書いてあるのに,うちの子のは「かぜ」って書いてある。

 

やっぱりあの先生は信用ならないわ」

 

なんて言い出す保護者がいるならまだ分かるのである。

 

しかし,実際にそんな人がいたらかなりその人に問題があると言えるだろう。

 

このような公的文書の細かさは他の分野にも見られ,過去には入試用の文書全員分を,学年スタッフ全員が一人ずつ同じ文章をチェックしたこともあった。ちなみに全部で20回ほどチェックが入っていると思う。

 

もちろん公的な文書であるのでミスがあってはならないのは分かる。その姿勢は大事だろう。

 

しかし,もともと大雑把で「まず終わらせることが大事」だと考えている私にはその細かさが時に辛いのである。

 

文章を作る時にも細かいところを考えながら打たなければならないので,いまいちスピードが上がらない。

 

 

その点,ブログはいい。

 

 

自分の好き勝手に文章が書ける。ここは日頃がんじがらめにされている私が自由に自分の書きたいことを書けるストレス発散の場なのである。

 

 

しかし、どうだろうか。

 

最近そんな私の安息の地を脅かす人間が出て来たのである。

 

 

 

それが、

 

 

 

 

うちの父親である。

 

 

うちの父親は毎日このブログ,更にはTwitterまでチェックし,私の文章に誤字脱字がないかチェックしてくる。

 

さらに誤字を見つけるとラインまで送ってくるではないか。

 

 

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(何が「落ち着け」だ。偉そうに。)

 

なんということだろうか,私はようやく見つけたこの安息の地まで見張られ,がんじがらめにされているのである。

 

高度な情報社会である現代社会において,私の安息の地はどこにもありそうにない。

 

 

追伸

結局誤字があると,文章よりもそっちが気になっちゃうからやっぱりあっちゃいけないんですよね。なので正直ありがたいなと思っております。

 

皆様も誤字を見つけましたらご連絡願えればと思います笑

 

本日も読んでくださりありがとうございました!