教育におけるプロフェッショナルとは何か。
それは私が学生の頃からずっと考え続けているテーマである。
教育という営みは人間誰しもが携わるものであるわけだが、いったいその中におけるプロとアマの違いとはなんなのだろうか。
知識が多いこと、それだけではきっと教育のプロではないだろう。
(私は学生時代大学の先生って本当に教えるの下手クソだなとずっと思っていた)
いったい教育におけるプロフェッショナルとは何なのか。
そんな問いへの答えを見た気がするので書いておきたいーーーーーーー。
先日教室に入ると、国語の授業の後だったようで教室が墨だらけになっていた。
なんでも墨をひっくり返した生徒がいたようで、それが前の席の生徒にかかり、服が真っ黒になってしまっている。
こういう時教員は大変なのである。どう親に連絡すべきか。完全なる事故なのだが、連絡手段を一歩間違えるといじめとも取られかねない事案である。
私は頭を回転させ、急いでその子を着替えさせて、そのジャージを職員室に持ち込んだ。
職員室に入ると運の良いことに家庭科の先生がいるではないか。
ワラにもすがる思いでその先生に服を見せる。
「先生!これ…墨が…」
私の言葉を聞いて状況を察した先生は、立ち上がってテキパキと指示を出す。
「墨ね…大丈夫。」
「洗濯のりを用意して。なければ歯磨き粉!さぁ急いで!」
「あとお湯!」
「これは時間との勝負よ!」
なんと頼もしいことか。地獄で仏。職員室で家庭科の先生である。
言われるがままに机から自分の歯磨き粉を取り出して,差し出した私。
私は慌てているのだが,その先生の落ち着きたるや。墨汚れに立ち向かうその姿はまさしくプロフェッショナルである。
あまりにも頼もしく,私の中でだんだん漫画の中の姉御キャラのようにさえ見えてきた。
「歯磨き粉ありがとう。あんた…ほら、何ぼーっと突っ立ってんのよ、早く授業行きな!」
「で、でも…まだ墨が…」
「ここは私に任せて!あんたは早く授業に!」
「はい!」
そう言われて私は墨塗れの服を任せて次の授業に向かったのである。
そして1時間後戻ってくると墨だらけだった服が私の机の上に畳まれて置いてあったのであった。
しかも,広げてみると少しのシミも残っていないではないか。
私がジャージを広げていると,その先生が
「お代は特別にタダでいいわ」
とシティーハンターみたいなセリフを言ってきたのだった。
さらに,この後服を綺麗にしてもらった生徒がこの先生にお礼を言いに来たようなのだが,そのことについても
「あんた、いい生徒育ててるね…」
と私に言ってきた。
大惨事から始まってこの全員が幸せになるエンディング。誰一人不幸にしないこの力量,まさにプロフェッショナルである。
そしてこの姿を見ていて,私は「知識がある」だけでなく「知識を現実に活かすことが出来る」というのが一つの教育におけるプロフェッショナルの定義なのではないかと考えたのである。
そして,そんな風に思っていたところ,
教室で生徒が発表用に作っていた模造紙に灯油を誤ってかけてしまい,せっかく綺麗に仕上げたポスターの真ん中に握り拳ぐらいのシミが出来てしまうという事件が起こった。
ここはプロフェッショナルとして私も自分の知識を活かす時…
そう考えた私は社会科の教員としてこんなアドバイスをしたのだ。
「あのさ,そのシミに書き足して,オーストラリア大陸にしたらどうかな?」
どうだろうか,文脈とまるで関係ないオーストラリア大陸。私に出来るアドバイスはこれぐらいが限界である。
ちなみにそうアドバイスしたのだが,生徒達は全く反応せず,このシミをどうすべきかを悩んでいたのだった。
遠い。あまりにも遠いプロフェッショナルとの距離。
どうやら私が教育界の真のプロフェッショナルになるのにはまだ時間がかかりそうである。