では昨日の続きを書いていきたいと思います。
(わからない方はこちらから↓)
まず本の中ではゲームで子ども達を楽しませる一つのパターンとして,
「仮説→試行→歓喜」
が上げられているわけです。
つまり子ども達は、ゲームを前にして,
「こうじゃないかな??(仮説)」
↓
「よし、やってみよう(試行)」
↓
「あってた!!ゲーム超おもしろい!!(歓喜)」
となっているみたいなんです。
これはどういうことかを本の中ではマリオの例に従って説明しているのですが,
もしかしたらそのまま使うのが著作権的にもアウト?かもしれないので,今回はちょっと私の好きだった
で説明したいと思います。
(それでもダメそうな時はすぐ削除しますのでご指摘ください)
ドンキーコングでは最初に自分の家から主人公であるドンキーが飛び出してきてゲームがスタートするんですが,
(↑こんな感じ。なんて上手な絵。)
ここでいきなりプレイしている子ども達は仮説を立てることを迫られるわけです。
何かわかりますでしょうか?
ここで子ども達が立てる仮説、それは、
「右に行けばいいのかな?」
なんですよ。木やドンキーの顔の向きから子ども達はそう判断するわけです。
そして右に進んでみる(試行)
すると敵が出てきます。
すると子ども達は「っしゃあ!!」となるわけです。
なぜなら敵が出てくるというのは正しい方向に進めた証拠だから。(歓喜)
ということで,こんな最初のわずかなプレイの間にゲームというのは子ども達に達成感を与えてしまうのですね。「俺すごくね?天才じゃね?」と思わせてしまうわけです。
ちなみにこのドンキーコングなんですが、このスタートにも慣れてくると,
「あれ?右に進まないで家にもしかしたら戻れるんじゃね?」(仮説)
↓
「よし、今回は右に進まず家に戻ってみよう」
(試行)
↓
「うわっ家入れるし、一アップのアイテムあんじゃん!俺やっぱ天才じゃん」(歓喜)
となるように仕掛けがされているわけですよ。
とまぁゲームはこの「仮説」「試行」「歓喜」が短いスパンで繰り返し行われるようにデザインされているわけですね。
そして、これはそのまま勉強の面白さにも通ずるものがあると思います。
先生から問題が出されて、
「もしかしたら前の授業の公式を使うのかな?」
と子ども達は仮説を立て,
実際に
「よし、この前の三角形の面積の求め方の公式を,今回も使ってみよう」
と試行し,
最終的に
「よっしゃーー!!!あってたーーー!!」
となることは十分にあるので、このサイクルになれば勉強はかなり面白いはずなのです。
しかし、現実にはこうならないことが多いのです。
その理由を私なりに考えてみたのですが、それはゲームが一定の技能が習得できるまでは次のステージに進めない仕組みになっているからじゃないかと。
例えばポケモンで言えばジムリーダーを倒すまでは次の街に進めません。
でもその代わりジムリーダーを倒すレベルになっていれば次の街に進んでもある程度楽しめることが保証されているわけです。
ここが勉強とゲームの一つの違いなんじゃないかと。
日本の学校では子ども達は十分な習得がないままでも,次の学年に上がっていきます。
十分なレベルになっていないまま次のステージに進んでしまった子ども達は、
トンチンカンな仮説を立て、
ずれた試行をし、
最終的に全く違うゴールに辿りつくわけです。
悲しいことに1番の面白さである歓喜をなかなか味わえないのですね…。
なので,私は子ども達にめちゃくちゃ勧めているのですが,
見栄を張らず,分かるところまで戻る
ということを勉強を楽しむ上でも推奨しています。
なので私は中学生でも小学生のプリントをノートに挟んで渡します。ノートに挟むのはプライドがあるから。でも実際に中学生でも小3の問題が解けない子はざらにいるんですね。
他にも,今はAIが発達してきているので,個に応じたレベルの問題を出してくれるシステムを導入するのもいいと思います。(参考‘キュビナhttps://qubena.com/)
いわばゲームでいうレベル上げですよね。やりましたよね草むらにあえてつっこんでいくやつ?
そうやって個々人にあった問題でレベル上げを行い,
「仮説→試行→歓喜」
のサイクルを達成できるようにしてやることが勉強をやりたくなる上でも大切だと考えているわけです。
しかしですね、ゲームを作る上では
「仮説→試行→歓喜」
だけではダメなんだそうな…
さらにそこにはゲーム作りのテクニックがあったわけなんです…
(続きます)