道徳が教科化されまして。
学校現場は戸惑いを感じているわけです。
教科化されたってことは,評価がつくっていうことですから,道徳の教科についても他の科目と同じように評価をつけなければならないわけです。
その評価なんですが,数字ではなく文章表記になります。
「道徳 1」
なんてつけられた日にはもう他の教科ができないこと以上にショックというか,人間の根幹を担うみたいなところですから,文章表記とは言えどういう評価を下すのかについてはどうしてもこちらも神経質になるわけです。
さらに,評価をだす以上、
クラスごとに差がつくのはマズイよね
という話になってくるわけです。
これまで私は自分の好きな教材(子どもたちが食いつきそうなもの)を持ってきて道徳の授業を構成してきたのですが,評価が伴うことになってからこれができなくなってしまったわけです。
内容は他のクラスと横並び。教科書の内容を他のクラスと同じようにやっているわけですよ。
そして毎週教科書通りに授業を構成するんですが,これが私自身疑問を感じてしまってなかなか入ってこないんですーーーーーーーー。
例えば今日扱ったのは山登りに関する教材です。
明日に山登りを控えた中学生たちなんですが,
「20;30消灯」
と先生から言われるわけです。
せっかくの校外学習です。トランプがしたくなってしまったやんちゃな生徒たちはどうにか夜更かしができないかと考え始めます。
ただ黙って夜更かしするのもよくないと判断して先生に、
「お願いします,トランプさせてください」
「明日は絶対にそれでもやりきりますから」
みたいなことを約束するわけです。
それでも先生は「よし」と言ってくれない。最終的には先生の許可を得ずにトランプをしてしまい,夜更かししてしまいます。
次の日,寝不足でふらふらになっているその子たちはなんとか登山をやりきります。
「あの人たちはやっぱり体力あるわねぇ」と賞賛する生徒もいる中で,ある子は,
「あいつらは山に来る資格がない」
と言い放つわけです。
この一件についてどう思うかを生徒たちに問う教材なんですね。
色々と切り取り方はあるんでしょうけど,私が一番感じたのは,
なんか押し付けがましいな。
ってことなんですよ。
なんというか,
「教師の言うこと聞いとかないと痛い目にあうでしょ」
「周りと合わせないとやっぱダメだよね」
って言いたいのかなって思っちゃったんですよね。
というかそもそも、
20;30就寝て。
寝るはず無いでしょうって。最近の子どもたちが。
スマホ見てたら23時なんて余裕で過ぎますよ。
その辺考慮せずに20時半には寝なさいっていう教師の理屈を押し付けてるあたりがちょっと嫌だったんですよ。
もちろん,山ですし,災害もありますし,いざという時に病院に行ける環境でもないので,神経質にもなるんでしょうけど,それで寝るかねないかはもう提示だけしてあとは本人たちの判断の問題なんじゃかなって思うんですよ。
なんでそこまで介入したがるのかなって私は思っちゃうんですよね。
もちろん体力のこと考えたら寝てた方がいいに決まってますけど,例えばそれで失敗して山登りできないことの方が本人にとって学ぶことが多いんじゃないかなって。
山の上の景色を楽しむことよりもみんなでのトランプがいい思い出になることもあっていいでしょって思うんですよ。もしかしたらそこから名作がうまれるかもしれないじゃないですか。(曲とか小説とかでね)
もちろん,健康とか安全を求めるのなら20;30に寝かせた方がいいんでしょうけど,そういう,
「みんなそうでなけらばならない」
って言う気持ちが私はいじめの正体だと思ってるんですよね。(前にそのことについて書いた記事はこちらから)
なので最近は私自身も腑に落ちないまま授業やっているので正直なところ一貫性はあまりないものになってしまっているかもしれません。
だから最近思うんですけど,道徳の授業は,
名作のビデオでも見せて,感想を自由に書かせた方がいいんじゃないかな
って。
いろんな価値観を認めていかなきゃいけない現代社会において,道徳はそれぐらい答えを求めないものじゃないといけないんじゃないかと私は思っているわけです。
もちろんそこに評価はいらないだろうっていうのが私の意見なんですよね。
追伸
教員の働き方改革を考えたらまず最初にカットできるのが道徳かもと私は思っているわけです。実際行事準備に使う学校も多いですからね。その辺考えて欲しいものです。今日も読んでくださりありがとうございました!