教員採用試験の倍率がとんでもなく低迷してますね。各自治体が採用試験の実施時期を早めたりしてますが、やればやるほど「人が足りません!」て感じが前面に出てて余計に受ける側からすると不安になりそうですけどね。
ただ個人的にはそんなに悪い仕事だと思ってないので、この仕事の良いところだと感じているところを書いてみます。
体を動かせる
まずこれ。普通に仕事するだけでめっちゃ歩いてます。
私の場合毎日15000歩くらい。活動量多いと25000歩くらいいってます。
これが休日になるとガクッと5000歩くらいになるので、いかに授業で机間しながら歩き回ったり、子どもらと動いてることで気づかないうちに体動かしてるかってことなんですよね。
あと最近、トレーニング下手にやらせると過重な負担を強いたとか言われるので、ある程度一緒にやってます。
指導者が子どもと一緒にトレーニングやってるわけですから、これもうパワハラでもなんでもないですし、子どもにトレーニングしながら自分も鍛えちゃってるわけですね。
体づくりは長い目で見て最も重要な事項ですから、健康的な生活になると思いますね。
給料がいい
あと給料も良いと思います。
私も幾度となく転職サイトみたりしてますが、それで比較する他の仕事より良い。
同年代の給料の中央値と比べても、それより給料が良いから、わざわざリスク犯してまで転職しなくて良いかなと思ってしまいます。
最後まで勤めれば退職金でぼーんと振り込まれますから、老後二千万問題なんて言いますけど、最悪貯めとかなくても勤め上げてさえいればなんとかなるんじゃないかと思ってますね。
なんぼしんどいと言っても、潰れる心配なくて給料安定しているのはありがたいことですね。
さらに今後教職調整額が増加したり、部活が副業扱いになる可能性が高いので、そうなればさらに給料は増えるでしょう。
ここから先、給料面では更に期待ができるんじゃないかと思います。
季節感がある
あとこれ行政に出向になった人がよく言うんですけど、「学校には季節があった」と。
その季節ごとに節目になるイベントが用意されてますからね。
一方で行政職はそういうのがなくて同じようなことを繰り返します。ずっと夏休みだと曜日の感覚が無くなっていくみたいな感じですかね。これが結構辛いようです。
私が思うにその核心というのは
自分が前に進めているのか、分からなくなること
なんじゃないかなって。
一つずつ行事を消化して行って前に進めている感覚だったり、その度に充実感を得ることが実は人生を楽しく生きるために結構大事なのかもしれません。
夏には春には入学式があって、夏休みがあって、秋は文化的活動があって、それが明けると卒業が待ってる。
このリズムはなかなか良いものだと思います。
学びがある
あとこれすごく大きいんですけど、教員てやりながら自分も勉強できる職業なんですよ。
日頃の授業教えながら自分自身も考えるわけで。
また子どもらと活動すると新しく知ることがたくさんあります。
この前も子ども達と石の採掘をするフィールドワークに行ってきたんですけど。
地学の専門家の先生からこんな話を聞きました。
「これは安山岩というとてもポピュラーな石ですが、これと同じものが世界中の山で発見されてます。そして名前を決める際にどこの山を名称として採用するかが問題になり、アンデス山脈が採用されました。だから英語でアンデサイト。安山岩っていう名前はアンデスから来てるわけですね」
これ聞いた時に教科書で見ていた安山岩にそんなストーリーがあったのかとすごく感動しました。
そして今見ている安山岩と同じものが南アメリカ大陸でも出るのだと思うと不思議な気持ちになりましたね。
教育やりながら大学で学び直したりすることもできますし、研修の機会と与えられますから、自分を高めていけるっていう利点はあると思いますね。
過重労働は無くなっていく(はず)
まぁ採用試験の倍率が落ちてる1番の要因は忙しさだと思うんですけど、これはもう間違いなく忙しいですし、ストレスもあります。そこは否定しません。
でも私が教員になってからのこの10年でもかなり改革は進んでいると思うんですよね。
当たり前に土日やっていた部活が減り、私がいるところでは令和8年からは休日の部活を無くすと明言しています。
さらにファックスのやり取りや出勤簿のような細かな業務もどんどん無くなってきています。
今次の学習指導要領の編集作業が行われていますが、間違いなく現在の状況を受けて内容は厳選されると思います。
個人的に思うに、家庭科って必要かなって最近思うんですよね。家庭科は元々は学校がスタートした時に女子の就学率を上げる目的でスタートした経緯があるわけです。
家の手伝いで学校に女子が来ないので、学校に来れば料理や裁縫が学べるっていうのが学校に来させる口実になっていたわけです。
時代が変わった今、料理はしなくても生きていけるし、裁縫っていりますかね。技能としてあって困らないとは思いますが、本当に義務教育としてまで必要なのかは見直しが必要だと思います。
また英語についてもこれだけAIが進化してきてる事を考えると今後もずっと必要なのかは疑問ですし、社会についても自分でいくらでも調べられる時代ですから、もっと内容を厳選して、あとは子ども達の自主的な学習に任せても良いのかもしれません。
なので技術の進歩と時代の変化によってここから教員の労働問題は長い目で見れば確実に改善が図られていくと思うわけです。
ただそれも安定的に人材が入ってくればの話であって、ここからさらに志願者が減っていけば、どれだけ技術や待遇の改善が計られたところで状況は苦しくなる一方でしょう。
Twitterなどを見ればネガティブな言葉が並ぶので若い人達からすると敬遠したくなる気持ちも分かりますが、辞めてる人間より辞めてない人間の方が多いですし、現状の待遇に満足してる辞めない人間はわざわざ発信しないですからね。
その辺のところ冷静に見極めて決めたら良いんじゃないかなって思いますね。
ということで最近思っていた事について書いてみました。誰かの参考になれば幸いです。
読んでいただき、ありがとうございました。