教職者K

教育について考えるブログ。

子どもに残してあげられる財産。

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最近娘(5歳)の言葉が急に増えたなって感じるんですよ。

 

幼稚園に行ったり、ひらがな覚えたりしたからでしょうか。今まで会話の中になかった用語がどんどん入るようになってきた。

 

最近は「おさるのジョージ」ばかり見ているからでしょうか。

 

「ねぇねぇパパ、ピニャータつくろ〜」

 

とか、さも当たり前の単語であるかのようにピニャータとか言ってくるんですよね。

 

なんやねん、ピニャータって。こっちはよくわからん訳ですよ。

 

(※ピニャータ…メキシコのくす玉みたいなやつ。バンバン叩いて壊してなかのお菓子を取る遊び。)

 

つい最近も娘が外で遊んではしゃいでいる時に私はスマホいじってたんですけど。

 

その時娘から

 

「へぇ〜。子どもに『見て!』って言われてるのに、スマホイジるんだ。パパってそういう人なんだ。ふ〜ん」

 

って言われましてね。

 

もう恐ろしいなって思いましたね。この自然にイヤミを言う感じ。そしてその感じが妻そっくりなんですよ。

 

今までは妻だけ気をつけていれば良かったのに、その対象が増えた感じ。下手に何かやるとすぐに娘が厳しいことを言ってくるわけです。家の中に監視の目がいっぱいで嫌になっちゃう。

 

改めて子どもの言語習得の1番の教材は家庭の中にある言語なのだと思わされましたね。

 

実際に妻の実家(田舎)に行って帰ってきた時の娘の言葉は明らかにちょっと祖父母の影響が入って少し語尾が変わってますからね。

 

だから改めて家庭で使う言葉には気をつけないといけないと思いました。

 

パワハラやセクハラなど、色んなことが問題になる世の中で、人権感覚っていうのはイコール言語感覚だったりします。

 

「キモい」「ウザイ」「死ね」とか当たり前のように使う子がいますが、やっぱりヤンチャな兄弟とかが上にいて、家庭でその言葉を使うことが当たり前になっている事が多いように思います。

 

そしてその感覚が染み付いて大人になってしまうと、今の世の中では色んな場面で本人の不利益になってしまう事が考えられます。

 

だから、癖にしないためにも、やはり大人が使う言葉には気をつけなければいけません。

 

そういえばここからちょっと言葉とはズレるかもしれませんが思い出したことがあって。

 

私が中学生くらいの頃に北朝鮮拉致問題が発覚しました。

 

横田めぐみさんのお父様がテレビで会見してたんですよ。

 

事情もよくよく分かってない幼稚な私は、泣いて言葉にならない横田さんの姿を見て、

 

「はっきり喋れないんか」

 

とテレビに向かって言いました。

 

もっと面白いバラエティーが見たかったし、正直に思ったことを言ってしまったのです。

 

これにうちの父親が死ぬほど怒ったんですよね。

 

「お前にこの人の気持ちがわかるか!ふざけるな!今のは絶対許さんぞ!」

 

夜中でしたけど、めちゃくちゃ怒鳴られたのを覚えています。

 

言葉のチョイスとして適切だったかは別として、今思うとそういう時にはしっかりと怒る父親の言葉みたいなのが少しずつ私の人権感覚を育ててくれたんじゃないかなと思います。

 

 

まぁなんにせよ、子どもの前で見せる大人の姿ってのが我々に残せる財産の一つだと思うんですよ。

 

そしてそれはお金を残すより、価値があるものなんじゃないかと思うので書いておきます。

 

誰かの参考になれば幸いです。

 

読んでいただき、ありがとうございました。