これ我ながら凄いこと思いついてるのかもなって思ってちょっと震えてるんですけどね。
ちょっとこれ読んでるみなさんにお伝えしたくてここに書いておくわけですーーーーーーーー。
学校で教員やってると,毎年必ずいじめの問題にぶつかる時があるんですね。
それでその度に指導したり,授業で何がいじめなのかとか,いじめをしてしまった時の罪の重さ,みたいなことをやるんですけど。
これ大概の子が、
既にわかってる
んですよね。
みんないじめは良くないってことを知っているし,何がいじめかも分かってるんです。授業やれば「いじめは許しちゃいけない」みたいなことをバンバンみんな書きますよ。
にも関わらずいじめに関する案件は毎年必ず出てくるわけです。多分いじめが全くないっていう学校は有りえないんじゃないかとすら思うんですよ。
なので,
「なぜ,いじめがいけないとみんな分かっているのに,やってしまうのか」
が私の中でずっと疑問だったんです。
もしかしてタバコやアルコ一ルみたいに中毒性があるのかな?とか考えてみたり。色々と考えた結果一つの答えに行き着いたんでちょっと書いておきますね。
私が考えたいじめがなくならない最大の理由,
それは…
「いじめは善意だから」
です。
「は?お前それでも教員なわけ?」
「いじめが善意なわけないだろ」
「あれが善意とか言っちゃってるお前マジ教師やめた方がいいよ」
って言ってる皆さん。まぁまぁまずは落ち着いて私の話を聞いてください。
私はいじめって善意からスタートするからなくならないんじゃないかって考えたんですよ。
ちょっと今回はわかりやすくするためにドラえもんの例を出したいと思うんですけどね。
例えばジャイアンて結構暴力的じゃないですか。
だから「みんながより楽しく遊ぶために(←善意)」ジャイアンに今日みんなが遊んでいる場所を教えない。(行動の原点はよりみんなを楽しませたいっていう善意ですよね。)
でも,これにジャイアンが気づいて,精神的な苦痛を訴えた瞬間に,これはいじめになるわけです。
他にもスネ夫の自慢話があまりにもひどいから,「自慢話を辞めてもらうために(←善意)」みんなスネ夫を無視する。
これもスネ夫が苦痛だと感じた瞬間にいじめです。
他にものび太があまりにもしっかりしていないから,「しっかりした生活を送らせるために(←善意)」のび太をみんなで注意する。
これものび太が「僕だけみんなからキツく言われる。いじめだ」って言った瞬間にいじめになります。
とまぁ、こんな風にですね、「もっと人を喜ばせたい」「いい方向に導きたい」って言う気持ちが実はいじめを引き寄せてるんじゃないかなって思うんですよ。
中学校だと、「他のグループの悪口」っていういじめがかなりの確率であるんですが、これも見方を変えれば、「自分たちのグループの結束を高める」っていう善意から来てるんですよね。
他にもほとんどの子が「周りを楽しませたい」っていう善意で暴力振るってみたり,過激なこと言ったりしてるわけです。
つまり,いじめを完全になくすっていうことは,人間から善意がなくなるってことに等しいと思うわけです。だからなくならないんじゃないかなって。
よく「教師がいじめに加担してた」ってニュースありますけど、あれも多分その空間の善意に乗っかっていた結果なんですよね。
だから私は,あの「いじめ許さない,絶対」みたいな善意のポスターが日本のいたるところに貼られていますけど,その強い善意が実はいじめの正体なんじゃないの?って考えているわけです。
なので私としてはいじめを起こさないようにするためにも,あんまりこちらの主義主張を押し通さないような緩やかなクラス経営が正解なんじゃないかって思ってるんですよね。
(あんまりこっちがルール決めすぎると,善意からそれ守れない子を排除したり矯正したりしようとする動きが出てくるんですよ)
だから,もっというならめちゃくちゃいい子達の集まりで,善意の塊のようなクラスの時こそ,そういういじめってあるのかもしれないなって思っていて。
常に注意して見て行かないといかんなっと思っているわけです。
追伸
子どもらの世界って狭いですから。テレビでみて受けてることをそのまんまやってみんなを楽しませたいんですよ(もちろん善意から)。ただそれが実は独善的なもんなんだよってことを教員も教えていかないといけないんじゃないかなって思いますね。今日も読んでくださりありがとうございました!