教職者K

教育について考えるブログ。

高校球児達が坊主を抜け出せない3つの理由。

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さて本日は高校野球の話である。

 

私は部活動問題の本丸は甲子園にあると思っている。

 

なにせ,甲子園に出るような学校は圧倒的な長時間練習。文科省で提示している部活動ガイドラインなんぞ守っているところはどこにもないのである。

 

さらにはこのご時世に全員坊主という人権問題スレスレのことを当たり前にやっているのがあの場なのである。

 

私も教え子達が何人か甲子園を目指して強豪校に進学していったが,その練習時間は相当なもののようである。

 

寮に入って先輩が来る前に6時台からグラウンド整備し,朝練。授業はほとんど出席するだけ。早めに終わってそのあと8時過ぎまで練習である。

 

全て終わって宿舎に帰ると,もう寝るだけ。野球するか飯食ってるか,寝るかという生活である。

 

正直なところ子ども達が甲子園という場所に憧れをもつのはわかる。しかし,私は思うのである。

 

こんな生活をしていたら…

 

 

バカになってしまわないだろうか…。

 

だって野球しかしていないのである。偏った人間になるのは当然である。(というか偏っていないといけないのが甲子園なのである。もちろん勉強頑張っている子もいるのだろうが)

 

たしかにその努力には素晴らしいものがあると思う。しかし,変化の激しいこの時代を生き抜く上で1つのことにかける生き方はリスクが高すぎると思うのである。(教員側からしても絶対しんどいと思う。家庭なんて二の次もいいところだろう)

 

 

さらには,あの坊主頭。高野連では髪型は自由としているにも関わらず,相変わらず全員坊主である。

 

なぜこんなにも高校球児達は坊主から抜け出せないのか,その辺のところについて今日は書いてみたいと思う。

 

 

①「ショーシャンクの空に」的な価値観。

 

私は数ある映画の中でもこの「ショーシャンクの空に」という作品が大好きなのである。

 

 

この作品は受刑者が刑務所内で,酷い仕打ちを受けまくる。

 

もうそれは見るに耐えないような酷いものなのだが,主人公は一念発起して脱獄を決意する。

 

そして刑務官の目を盗んで脱獄に成功し,最後には…という作品である。

 

(もうめちゃくちゃ面白いので是非みていただきたい。)

 

私はこの作品が大好きであり,未だにこれを超える爽快感を映画で感じたことがない。なぜこんなにも面白いのか,それを深く考えてみたのだが,

 

 

それはやはり…

 

 

主人公がめちゃくちゃ苦しむから

 

なのである。

 

主人公が苦しんで苦しんで脱獄するからこそ,そこに圧倒的な開放感が生まれているのだ。

 

そう,物語というのは主人公が苦しんでいるからこそ面白くなるのである。これがもし,主人公が最初から天才で,何の苦労もなくラスボスまで倒していたとしたらどうだろうか。誰も感情移入などしないのである。

 

あのディズニーでさえも作品を作る際はまず,

 

「いかに主人公を痛めつけるか」

 

を考えて物語を構成しているという。(あのディズニーでさえそんなサディスティックなことを考えているのだ!)

 

こういう考え方が野球,というか学生のスポーツにもあるんじゃないかと思うのである。

 

つまり,見ている側からすると,球児達が悩んだり苦しんだりして,その上に勝利があった方が面白いのである。

 

きつい練習に悩み,レギュラー争いに苦しみ,そしておしゃれをしたいあの多感な年頃に坊主頭にすることに耐える。

 

その苦しみこそが見ているものの胸を打つのだ。だからこそ高校球児達には坊主頭が求められていると思うのである。

 

 ②武士道

 

先日職員室でこんな会話が上がった。

 

「私はあの尾木ママって人が大嫌い。教師やめた人間に教育を語られたくない」

 

と同僚が発言していた。

 

なるほど,この発言からもわかるように,日本人というのは

 

「何か1つにかける生き方」

 

がとても好きなようである。

 

その代表格がイチローだろう。一筋に野球をやるああいう生き方が日本人は大好きなのである。

 

これが海外だとどうか。マイケルジョーダンが野球をしたり,ボルトがサッカーに挑戦したり,とその辺とてもおおらかなのである。

 

しかしこれが日本だと話が変わってくる。もし大谷翔平が「来年からはバスケットに挑戦します」と言ったらちょっとファンが減るんじゃないかと思うのである。

 

 

これは思うに,剣を極めるという武士道が日本人のルーツにあるんじゃないかと思うのである。

 

日本人は武士が剣の片手間にそろばん弾いているような姿を見たくないし,認めないのである。

 

つまり,高校球児は脇芽をふらず,野球に打ち込んでいなければならない。

 

あの坊主頭にはそんな「僕は野球一筋です」といった無言の象徴性があるのだと思う。

 

③地域との密着性

 

なぜ学校の部活がここまで盛り上がるか。それは地域と学校が密着しているからなのである。

 

つまり,強豪チームというのは地元の誇り。選手達は地元に栄光を持ち帰るスターなのである。

 

勝って地元に帰ってくる姿はさながら戦争に勝って凱旋した戦士達のようである。

 

これがクラブチームと部活の大きな違いである。地域をまたいで構成されるクラブチームにこの熱狂は生まれない。

 

金足農業の快進撃がなぜあんなにも盛り上がったか。それは地元の子達で構成されたチームだからである。みんな自分と関係しているという親近感を抱くから熱狂が生まれやすい。これが地域をまたぐクラブチームだったら秋田のチームがどれだけ勝ち上がろうがあれほど盛り上がらなかっただろう。

 

よって地域が選手に期待するものが大きいのである。

 

つまりチーム内で「もう坊主はやめよう」という決まりごとができたとしても,周りがそれを許さない雰囲気がある。

 

「坊主じゃないから負けた」

「そんな頭で勝てるのか」

 

という周囲の声が必ずかかる。

 

ひいては駅で生徒が携帯電話を使っているだけで,

 

「野球部が携帯を駅で使ってるぞ。それで勝てるのか」

 

と学校に連絡が来たりするわけである。

 

 

つまり,部活動の問題はチームと監督だけの問題ではないのである。世の中全体があの坊主頭で白球を追いかける高校生達の姿を期待しているのである。

 

このことがいつまでも部活動の状況が変わらない1番の理由だろう。

 

寿命が短かったこれまではそんな1つにかける生き方でよかったかもしれない。しかし,今の子ども達は107歳まで生きると言われているのである。私には1つのことに全てをかける生き方はリスクが高すぎると思えて仕方ない。それでは絶対に変化に柔軟に対応できる人にならない。

 

今なお部活動の長時間練習やパワハラ的な指導が問題になっているが,最も影響力のある甲子園に出るようなチームがそのスタンスを変えない限り,世の中全体の部活動問題の解決はないと思っている。みんな強いチームの真似をしているのだ。

 

そのためには,周囲の学生スポーツを見る目がもう少し変わってくる必要もあるだろう。

 

「坊主はさすがにもう古いんじゃないかな…」

 

「いくら勝っててもガイドラインを無視したような長時間練習はダメだろう」

 

そんな風潮が世の中に生まれてくることを私は「ショーシャンクの空に」の,あの有名なポーズで祈っているのである。

 

 

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追伸

部活のあり方が今の社会にフィットしてないのは間違いないんですけど,その辺わかってない人が多いと思うんですよ。みんな昔ながらの姿を求めてるんですよね。でも甲子園出るようなチームがその辺変えたら絶対に流れ変わると思うんですよね。

今日も読んでくださりありがとうございました!