サニブラウンが日本新記録を出したと話題だが,学校でも今,夏の大会に向けて陸上部の練習が盛んに行われているのである。
少子化の影響で多くの学校は陸上部をすでに廃部にしている(うちはあるが)。
なので,陸上大会にはすでに負けてしまった部活動から「もう少し頑張りたい」という生徒や元々足に自信がある生徒が参加するわけである。
子ども達は「部活の最後にもう一花咲かせたい」やる気をもって集まってくるのでいい。
しかし,教員側からすると「誰がその子達の面倒を見るのか」というのが問題になってくるわけである。
普段陸上部がない学校では特設の陸上部を作ることになり,教員もほかの部活を見ているわけなので,このような時期だけ掛け持ちで陸上部の子達の面倒を見ることになる。
大抵借りだされるのは若手でものが言いやすい教員だ。当然私も駆り出され,最近放課後は陸上部の練習についている。
しかし、これがまぁ,
言うことない
のである。
だってわからないのだもの。やったこともないのだもの。
子ども達の方が断然詳しい。走り方のフォームも何もわからないので,とりあえず一緒に走ってみたりするのだが,子ども達から走り方のおかしさを指摘されている始末である。(勉強になります)
私にはバレーボールという専門競技があるからまだいいが,ない先生達は本当に大変だなぁとこういう時に思う。
どんなスポーツにも通ずるような基礎的なトレーニングならまだいい。しかし,もう「砲丸なげ」などとなると言えることははっきり言って何もない。
よって私にできることは怪我をしないように見守るだけである。
なので練習中に私はこの重いものをただただ投げ飛ばすというシンプルな競技を思いついた古代ギリシャ人を妄想したりしている。
きっとただの力自慢達がその場で出てきて石を投げ飛ばし,騒ぐ程度の競技だったんだろう。
出場してくるのはきっとヘラクレスみたいな名前の奴らである。まず間違いなく練習なんかしていない。それが砲丸投げのスタートだったはずなのだ。
それがここまでフォームが徹底され,ルールまで厳格化されているわけである。この砲丸を投げるために青春の全てをかけている人だっているのである。人間の進化というのは恐ろしいものだと改めて思う。
さらにこの理屈で言ったら、あの有名な
「さくらんぼの種飛ばし大会」
も今のような牧歌的なものではいられなくなるんじゃないかと私は予想している。
きっとタネの飛ばし方について,
「あのタネを吐き出す時のフォームが…」
とか
「タネを飛ばすには肺活量のトレーニングが有効」
とか
「規定のタネのサイズを超えているので失格です」
とかを未来の人間達は言い始めるに違いない。なんて真面目なんだ人類よ。もっと適当に生きてみてはいかがか。
陸上部の練習で言えることがなさすぎるのでそんなことを妄想している最近である。
追伸
教えられることがないときってやっぱり辛いですね。勉強しようにもすぐ終わっちゃうのでモチベーションが…。全国の先生方お疲れ様です。今日も読んでくださりありがとうございました!