最近授業について研究しているとある大学の先生から,
「他の先生に授業についてアドバイスをする時,
指導案に書かれてない授業者の意図を読み取ってあげられるかどうかで,
話の入り方が全然違います」
ってことを言われたんですね。
これ本当にその通りだと思った出来事があって。ちょっと書いておきます。
最近体育の先生からバレーボールの授業についてアドバイスが欲しいと言われたので,私なりに「初心者にはこういう練習をするといいですよ」っていう話をしたんですよ。
でもなかなかそれが授業に反映されない。私は同じこと何回か言ってるんですけど,なかなか授業が変わってこない訳なんですね。
これ何なんだろうって考えてたんですけど。
そもそもバレーボールに対する捉え方の違いなのかなと思ったんですよ。
ちなみに私がどういうアドバイスをしたのかというと,
「初心者は三回で返したりするのは難しいし,なかなか運動量が上がらない」
「だから一回で返したり,もしくはキャッチでもいいことにしてとにかくボールを落とさない感覚をつかませた方がいい」
ってことを言っていたんですね。
つまり,私はバレーの面白さっていうのをラリーがつながる面白さ,ボールが落ちそうで落ちないハラハラ感だととらえている訳です。
一方でその先生はとにかく3本でつないでスパイクまで打つことに課題を置いていたんですね。これが初心者には難しすぎるだろうって私は思ったんですけど。
でもよくよく話していると,その先生は,
ネット競技なのに,三回まで自在にボールを使えること
にバレーボール独自の面白さや魅力を感じているんだなってことが分かったんです。
つまり,バドミントンやテニスのように他にもネット競技はあるけれど,3回まで触っていいなんていうのはバレーボールだけなわけで。
この先生は
その競技性の違い,バレー独自の面白さを子ども達に感じさせたい
っていう熱い想いをもってるんだなってことが話してるうちに分かったんですね。
だとしたら三回目まで使うためにはこういう練習したらいいですよっていう話をしたらすんなりアドバイスを受け入れてくれたところがあって。
なるほど,指導案に書いてないことを読み取ることってすごく大事だなって思ったんですよね。
同じように子ども達が授業中に書いてることっていう事実はノートとかプリントを見ればわかるんですけど。
何故そう書いたかには必ず背景があるわけで。
そのテキストの裏側にあるものを読み取れるかっていう読解力を教員自身が求められるんだなって思うんですよね。
日々勉強ですね。
誰かの参考になれば幸いです。
読んでいただき,ありがとうございました!