教職者K

教育について考えるブログ。

報道の仕方について

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先日夫が妻を殺害した事件の被告人質問が行われたことがニュースになっていた。

 

https://sp.fnn.jp/posts/00046549HDK

 

育児ノイローゼでおかしくなってしまった妻をエリート銀行員である夫とその母親が殺し,庭に埋めたという事件である。

 

結果的に子どもにとっては母親が亡くなり,さらに父親も祖母までも犯罪者になってしまったのである。

 

まだ2歳のその子にとってあまりにも不憫な事件である。

 

当事者ではないので事情はわからないが,もう少し他に方法はなかったものかと思わずにはいられない。

 

 

そして同時に私が疑問を抱いたのは,

 

 

「このエリートってなんだよ」

 

 

ということなのである。

 

なぜ殺人を犯した人物に対してエリートをつけて気を遣っているのかがいまいちわからなかったのである。なにその気遣い?どこに気を遣ったんだと気になって仕方ない。

 

 

それに、このエリートという言葉,よく考えて見るとつけてもらえるのは、銀行員や官僚だけなんじゃないだろうか。

 

 

私は,

 

「エリート教師が盗撮で逮捕」

 

とも

 

「エリート農家が新種の開発に成功」

 

とも

 

「エリート焼き鳥屋の店主が独立」

 

とも聞いたことがなく,一生エリートがつかない職業についているものとして羨望の眼差しでこの「エリート銀行員」という言葉を見ているわけである。

 

そもそもそこは「会社員」でいいだろう。なんで銀行員だけ銀行員なのだろうか。

 

 

そう考えると,教師が何か問題を起こした時も,必ず「教師が…」と報道される。公務が関係ない事件なら別に「公務員が…」でいいはずだ。

 

この前の川崎の通り魔事件にしてもそうだが,なぜ学校が会見を開かないといけないのかいまいちわからない。学校の落ち度なんて絶対にないはずである。

 

だから最近の報道を見ていると、「教師が失敗すると世の中が喜ぶ」というのがよくわかる。

 

先のエリート銀行員にしても教師にしてもだが,多分そこにあるのは落差なんだろう。

 

「あんなにすごい人が犯罪を犯した」

 

「立派な人だったのに犯罪者になった」

 

その落差が視聴者を惹きつけるから,自然とそういう言葉を使っているんだろうなぁと私なりに推測する。みんな人の失敗が大好きなのだ。

 

とりあえず私は先の事件を見て,同じ育児を行うものとして妻がストレスを抱え込みすぎないように気をつけて生活しようと思った。

 

ちなみに、はっきりしているのは私が犯罪を犯してもエリートもなにもつけてもらえないということ。

 

 

なんだか損した気分になるから,犯罪を犯すのはやめておくことにする。