別れのシーズンである。
それに伴ってプレゼントなどのやりとりもされるのだが,皆さん何を贈るのだろうか。
最近読んだ贈り物に関する文章では,漫画家のわたなべぽんさんが新聞に書いていた文が心に残った。
その記事を書いている時,ぽんさんは友人の娘さんにあげる派手なパジャマを探している所だという。
なぜパジャマか。
それは自分自身が派手なパジャマを就職祝いにもらった経験に由来する。
「外で着るにはちょっと勇気がいるけど,布団の中なら平気でしょ? 新生活で気分が上がるおまじない」
そう言われてぽんさんは知り合いのご夫婦からとにかく派手なパジャマをプレゼントされたのだという。
初めての親元を離れての寮での暮らし。心細い夜にホームシックもあって同僚の中には泣き出す者もいたという。
そんな時にぽんさんにはプレゼントされたやたらと派手なパジャマがちょっとだけ元気をくれ,着替えるたびに少しだけ前向きな気持ちになれたというのである。
読んでいて,とてもいい話だなと思った。
良いプレゼントというのは,けして値段で決まるものではないのだろう。
そこに想いと物語があるのである。
そして,同じことを別の誰かにしてあげたくなるもの,それこそが良いプレゼントなのではないかと私はこの文を読んで思ったのである。
そしてそんな私が最近元同僚であるH先輩からもらったのがこちらである。
最近産まれた子どもの名前を書いたプレートである。
実はこちら,私の元同僚で,今は教員を辞めて書家として活動されている方が書いてくれたのである。
元々中性的な名前にしたかったのだが,その意を汲み取り「希望と多様性社会に生きる子の願いを込めて」このデザインにしてくださったそうだ。
私はこのプレゼント自体も嬉しかったし,この作品を通じて新しいジャンルで頑張ろうとしている元同僚の生き生きとした姿を知ることが出来たのもまた嬉しかったのである。
私だけでなく,元同僚も同時に喜ばせるというH先輩の想いもまた素敵である。
そんな後輩想いの優しいH先輩なのだが,この日H先輩が私に会いに来たのは,見に行こうと思っていた『BISH』のコンサートが急遽演者の体調不良により中止になったからだそうだ。
ふと思いつき,暇そうな私にちょうどいいと思って声を掛けたらしい。
だからいつか私は息子が大きくなったら,このプレートを見ながら,名前の由来と一緒にこれをもらった時のことを話したいと思っている。
「この作品はね、パパが昔一緒に働いていた人が書いてくれたんだ」
「色々と暗い世界だけど,明るい光が来るように。そして多様性を表す名前にしたかったんだ」
「そしてパパはね,ライブが中止になって暇になった人からこれを受け取ったんだ」
「そう,いわばパパはBISHの下位互換。」
「英語で言う所のインステッド・オブ・ビッシュだね」
そう語りたいと思う。いや、語らずにはいられない。
やはり、良いプレゼントとは物語と共にあるようである。