卒業式だったんですよ。
今年の私は3年間持ち上がってきた子達を送り出す立場だったんですけどね。
教頭先生からは、
「俺35年教員やってるけど、3年間生徒持ち上がったこと一回もないからね。」
なんて言われましてね。
私、9年教員やってるんですけど、これで持ち上がりで卒業生だすの3回めなんですよ。
子どもたちの成長を間近で見守ることができる自分て本当に運がいいし、幸せもんだなって思いますね。
最後の学年集会では最近このブログで書いた「ノブレスオブリージュ」の話を子供達にしたんですね。
『ノブレスオブリージュとはフランス語で恵まれた身分の人に伴う責任を意味している。
つまり、恵まれた身分の人は社会に負う責任もまた大きいということ。
そう言われて今、君たちは
「自分は別に恵まれていない」
と思ったかもしれない。
しかし、本当にそうだろうか。
ウクライナという国では、今、何の罪もない子どもたちの命が失われていて…』
そう言ったらですね、ふとそういう子供達の姿が頭に浮かんできて。
自分でも不思議だったんですけど、子ども達の前で話しながら涙が溢れてきたんですよ。
今義務教育を終えようとしている目の前の子たちと、ウクライナの子達で一体何の違いがあったのだろうと。
こんな理不尽がまだ世界にあって良いのだろうかって。
そう思ったら言葉に詰まってしまったんですけど、何とか話を続けました。
「アフガニスタンでは仕事に困った父親が自分の腎臓を売って生活費にしている。
そのお金がなくなったら次は生まれて一ヶ月の自分の娘を売りに出さないと生活が出来ない。
果たしてそういう世界の現実を見た時に、日本に生まれた君たちは本当に恵まれていないのか。
何の不自由もなく、義務教育を無事に終えられる君達はそれだけで恵まれてはいないだろうか。
だから私は卒業する君たちに、日本人として生まれた役割と義務をこれから果たすことを期待している。
君たち一人一人に君にしか出来ない役割がきっとある。だから、それをこれからの人生で見つけて欲しい。
そして、その自分に与えられた役割を考える時にこの学校で学んだことや、私が社会で教えた事が少しでも役に立ってくれたら嬉しい。
君たちの未来に期待している。
3年間ありがとう」
そんな話を最後の学年集会ではしたんですね。
そしたら、卒業式のあとにクラスの中でもかなり手のかかった子が私のところに来て、泣きながらこう言ったんですよ。
「先生のおかげで夢ができました。
将来福祉関係の仕事について、人の役に立ちたいです。
ありがとうございました。」
嬉しかったですね。
というか、こんなに嬉しい言葉ないですね。
どんなプレゼント貰うよりも、私は教員ですから、この子の成長がこの言葉から分かって嬉しかったんですよ。
その子はきっと私が言った学年集会での話から自分なりの答えを見つけたんだろうなと。
こちらの想いをちゃんと受け止めてくれる子ども達に恵まれた3年間だったなって改めて思いました。
スポーツ選手はオリンピックのために4年かけてますけど、教員はこの日のために三年かけてますからね。
本当にいい日だったなって振り返りながら、今帰りの電車の中でこれ書いてます。
今日はビールがうまそうですわ。
祝杯をあげたいと思います。
読んでいただき、ありがとうございました!