祖母が亡くなりまして。実家に来ていました。
今帰りの新幹線の中でこれ書いてんですけど。
私は同居していた人間を失うのはこれが初めてなんですよね。
通夜を迎えるために掃除したり、写真の整理したりして故人を偲ぶわけなんですけど。
一番写真見てもらいたい婆ちゃんはもう起きることはないんだなって。
12月の終わりに食事が取れてないっていう話を親から聞いていたのでそろそろ危ないんじゃないかとは思っていたんですけど。
最期は老衰ということで、穏やかな顔で眠っていました。
また葬儀で人は改めて死ぬっていうことを考えさせられましたね。
生物的な死はもう訪れてるわけですけど、社会的な死っていうのが葬儀で改めて来るんじゃないかなって。
棺に入れる瞬間に、改めて寂しさが込み上げてきましたよね。
以前こんなん書いてたんですけど。
この他にも私が高校生の頃、ブランド物のTシャツ買った時にばあちゃんに背中のタグ切られたことに対してキレたの思い出しましたよ。
「チクチクすると嫌だろうから」
っていうばあちゃんなりの優しさだったんですけど。
そこにめちゃくちゃキレた自分
めちゃくちゃダサいな
って改めて思いましたね。(あの時はすいませんでした。)
本当に沢山の方に来て頂いて。ありがたかったです。遺族にとっては救われますよ、本当に。
ばあちゃんが亡くなった一月は睦月ていう和暦なわけで。一月は家族が集まる睦まじい月だからこの漢字が使われてるわけですね。
そしてばあちゃんにもその睦の字が使われているんですよ。
コロナでなかなかみんなが集まるのが難しい世の中ですけど、ばあちゃんがまたみんなが集まる睦まじい時間をくれたんだなって思いましたね。
さて、自分の人生を一番長く知ってくれている人がまた1人亡くなってしまったなと。
どんどんお世話になった人がこの世からいなくなってしまう寂しさがある訳です。
一年ぶりに帰ってきて祖父や親の老いを感じるのと同じように、自分自身も少しずつ老いていく訳です。
でも、亡くなる命があれば生まれる命もあって。
今回初めて弟の第二子に会えましたし、私もそろそろ2番目の子どもが産まれます。
今の我々の世代っていうのはその狭間で頑張らないといけない世代なんですよね。
これまでしてもらった恩を返すだけ返してから、私も老いていけたらと思いました。
掃除して、交通整理して。
実家を離れて好きなことやってる奔放な長男ですが、少しでも貢献できたかなって感じでした。
花好きのばあちゃんは沢山の花に囲まれて本当に幸せだったんじゃないかなって思います。
あの世でもばあちゃんらしく、穏やかに暮らすことを祈ってます。
ありがとう、ばあちゃん。
合掌。