婆ちゃん亡くなって改めて思ったのが、自分の寿命は多分あと60年くらいなんだろうなって事なんですよ。
(写真整理してたら出てきた祖父の若い頃の写真が自分と激似でした)
スマホでいうと残り60%くらいのもので。そう考えると結構残された時間て少ないんだなって思いますよね。
だから改めて体が動くうちに
会いたい人に会って。
行きたいところに行って。
やりたいことをやっておく。
ってのが大事だなって思いましてね。
なのでどうしても行きたいと思っていた大竹伸朗展を見るために1人で東京まで行ってきましたわ。
まず国立近代美術館に設置されているのが宇和島駅のネオンサイン。
大竹伸朗が東京を離れ、宇和島にアトリエを構えたことから、宇和島駅のアイコンはTシャツのデザインにもなっています。
これをここに設置してしまうあたり、すでににくいー!カッコいいー!
そして中はこんな感じ。
まぁ、カッコいいんですわ。エネルギーに溢れてる。
大竹伸朗の作品は「すでにあるものとの対話」とも言われていて、自分の好きなもの、興味をもったものを何かに貼り付けるという作品が多いのです。
その象徴とも言えるのが、このスクラップブック。
買ってきた本にひたすら別の広告なんかをちぎってコラージュしていく。一枚一枚全部。
これがびっちり。何冊もあるからもう異常ですよ。
私の持っているTシャツの元ネタになったニューシャネルのドアが見れて大満足でした。
もともとあるものに対して、「これはカッコいいから、もうアートでしょ」って見出す目がすごいなと。
(ちなみにこのドアは閉店したスナックのドアを貰うために、新しいドアを寄贈して代わりに譲り受けたようです。)
「才能とは過剰さ」と脳科学者の茂木さんが言ってるんですけど。
実物見ると大竹伸朗っていうアーティストがいかにイカれてるか分かります。
こんなの細かいところまでもうびっちり細工が施されていて。
これを作ろうって思えるのがそもそもめちゃくちゃいかれてるなって。
人って意味が無いことを続けるのって本来できない動物だと思うんですよ。
語弊があるかもしれませんが、アートって無くても別に困らない意味が無いものじゃないですか。
だからそんな意味の無いことをここまで続けたエネルギーが圧倒的だなって思いましたよね。
普通子ども2人もいたら、こんなに狂えないでしょう。
大竹伸朗のその過剰さが人を惹きつけてやまないのだなって思いました。
そして同時に
自分には過剰さが足りない
ってことを突きつけられたような気がしました。
もっと一つのことに狂わないと、突き抜けられないなって。そんなことを思いましたね。
とにかく圧倒的な作品への熱量にエネルギーもらえる展示です。
よく分かんないなって人は見てもらえれば分かると思うので、まだの人は是非どうぞ!(2月5日までの開催です)
読んでいただき、ありがとうございました!