教職者K

教育について考えるブログ。

加速するケチ。

みなさんのご家庭は夫婦のどちらがお金の管理をしていらっしゃるのだろうか?

 

ちなみに我が家でいうと,完全に私という構図になっている。

 

これは私が根本的にケチであり,妻が私に対して「余計なお金は絶対使わない人だから,任せても大丈夫」だと思っているからである。

 

親がお金に苦労している姿を見て育ったからだろうか。

 

私の経済観念みたいなものはわりかし徹底しており,家庭の財布は全て私が管理している。

 

そんな私は昨今の世界情勢の不安もあってお金を使うことに不安があり,

 

更に

 

 

考えれば考えるほどお金って使う必要が無い世の中になってない?

 

 

という考えに至っており,どんどんお金を使わない方向に走っているのである。

 

例えば最近では野球観戦という新しい楽しみが出来たわけだが,

 

ここで毎回出てくるのが

 

球場でビールが飲みたい

 

という欲求である。

 

目の前には青々とした芝生が広がり,時々ゲームはドラマチックな展開も見せる。

 

ここで飲んだらさぞかし気分がいいだろうなぁ…とは思う。

 

しかしながら

 

一杯800円はあまりに高い

 

とは皆さん思わないだろうか。

 

しかも,あのプラカップみたいなやつで800円である。

 

球場から一歩外に出れば,同じものがもっと多い量で冷えたジョッキで飲める。

 

つまり,一歩外に出るだけで同じ値段で3倍の量が飲めるのである。

 

だから私は

 

「うわっあの人また買ってる……」

 

と,この人の経済観念は大丈夫なのかとビールを買い続ける隣のおじさんに対して余計な心配してしまうほどなのである。

 

他にも野球観戦の際にはタオルを掲げたり,ユニフォームを着ることが一般的なのだが,私に関してはそういうの一切なし。

 

ただの仕事帰りのスーツを着たムスッとした中年おじさんを貫いているわけである。

 

すでに数回試合を見に行ったが,私が支払ったのはチケット代のみである。(きゃー!!ケチー!)

 

思い出せばかつては洋服という趣味があった。

 

私にも月々3万は洋服を買っていたような,そんな洋服に狂った時期があったのである。

 

しかし,今はどうだろう。

 

土日は部活もあって出掛けられる機会は極めて限られている。

 

更に「洋服で少しでも自分を良く見せたい」という欲求は結婚してしまった今はむしろ邪魔ですらある。

 

相変わらず服自体は好きなので各ブランドの服をネットで見てはいるが,目の保養にとどまってしまって全く購入には至らないのである。

 

最近はついに携帯のネット代を払いたくないという気持ちにかられ,

 

家用に契約しているポケットWi-Fiを持ち歩いていたのである。

 

これについては家のネットが使えなくなってしまい,不便さを感じた妻からさすがに怒られたために,中断せざるを得なかった。

 

(しかしながら,その発想は悪くなかったと個人的には思っている。)

 

こうやって考えれば考えるほど,現代社会はお金が無くても生きていけると思うのである。

 

ご飯が食べたかったら数百円でも美味しい食べ物が手に入るし,

 

安い値段でトレンドを意識した洋服が手に入るし,

 

言うなればトレンドは繰り返すから古着でもお洒落に見せることは可能だろう。

 

日本は今後少子高齢化で空き家だらけになるのだし,色々なことを気にしなければタダで住める家はいくらでもある。

 

だから,

 

我々は求めなければ全く生きるには困らない社会に達したといえる

 

のである。

 

だから今後どこにどうお金を使ったらいいのかというのは一つの私の疑問だったのである。

 

そんな疑問を抱いていた私にとって,参考になったのがこちらの一冊。

(この本めちゃくちゃおススメです)

 

この本では

 

買い物を通じて私たちは間接的に選挙をしている

 

ということを言っている。

 

ひいては,

 

だからこそ応援したいものにお金を使うべき

 

ということを書いていた。

 

この一言で私は,自分が好きだった洋服屋がしばらく行かない間に軒並みつぶれていた寂しさを思い出したのである。

 

そして同時に今もっとも応援したいのは

 

自分の子ども

 

なんだということが頭をよぎったのである。

 

自分の親が自分の趣味を後回しして私達兄弟にお金を使ってくれたように。

 

私も次の世代に向けてお金を使うべき時なのではないかと思ったのである。

 

この本からはそんな

 

応援したいもの,続いてほしいものに金をつかうべき

 

という一つの方向性を示してもらった気がする。

 

とりあえず,この本から私が思ったことの一つが

 

私の続いてほしいものの一つが,学生のバレーなのではないか。

 

という思いだったのである。私自身がバレーから自信をもらったからだ。

 

だから,先週は前の学校の子達が最後の大会だったので,このケチな私が差し入れを買ってもっていったのである。

 

私が行くことで集中を切らしたくないので生徒には会わず。

 

体育館の外で保護者に差し入れを渡して帰ってきた。

 

新人戦では負けてしまった子たちだが,なんとか優勝し,差し入れも喜んでもらえたという報告を聞いた。元顧問として嬉しい限りである。

 

今回の記事を読んで,私のことをケチだと思う人がいたかもしれない。

 

しかしながら,

 

ケチとは本当に金を使うべきところを見極めようとしている人

 

なんじゃないかと私は思う。

 

だから,あんまりケチを責めないで上げて欲しい。

 

さて,私は明日何にお金を使うのだろう。

 

そのお金が受け取る側の人生を左右することもある。

 

ケチな人とは,そんな風に考えてしまう思慮深い人なのかもしれない。