以前学年の学習担当の先生が保護者懇談の場で
「親がしっかりと子どもに対して勉強しなさいと口酸っぱく言うことが大切です」
みたいなことをおっしゃっていて。私は強烈な違和感を感じた覚えがあるんですね。
その時はその違和感の正体をうまく言語化できなかったんですけど,今だったらできそうだと思うのでちょっと書いてみます。
私は子どもが勉強しない時に,親が「勉強しなさい」という声をかけるのは悪手であると考えています。
理由は2つ。
まず一つ目は学習とはあくまで内発的なものであるべきということです。
外発的動機付けと内発的動機付けということが教育ではよく言われますが,「勉強しなさい」という言葉がけで子どもが勉強を始めるという状態は外発的な動機付けで子どもが動かされている状態と言えます。
これの何が問題か。
それは「言われないとやらない」という子どもになってしまうことです。そもそも子どもは親に言われたから勉強するわけではありませんし,親のために勉強しているわけでもありません。
ましてや長い人生の間で親が子供の人生に付き添えるのはせいぜい20年くらいのものでしょう。だから相手の言葉がけで動くような習慣づけをしてしまうのは,長い人生で見たときに非常にマイナスが大きいと思うのです。
本来学習の喜びは知識を獲得し,その知識をもとに他者に貢献できることにあると思います。
私自身,自分が勉強すればするほど,自分が見ている子ども達に与える教育効果が大きくなっているのを感じます。それが嬉しいからまた勉強に向かうわけですね。
だから親が出来ることは「勉強しなさい」ということではなく,「いいお客さんになってあげること」なのではないかと私は思うのです。
例えばうちの子は今ちょうどひらがなを読んだり書いたりし始めているところで。
帰って来ると,つたない字で手紙を書いて渡してくれたりします。
これに対して
「まだ全然下手だな」
「ここ間違ってるよ」
なんて言ったら子ども達はもう学習する意欲を失ってしまうでしょう。
だから少し大げさにでも
「うわっ手紙嬉しい~!」
「一生懸命書いてくれたんだね!大事にするよ!」
そんな声をかけるようにしています。
自分が学習することで知識を獲得し,他者に貢献できるという喜びを覚えた子どもは自発的に学習に取り組むようになると考えているからです。
そしてこのような学習に向かう姿勢こそが内発的な動機付けに支えられたものであり,親が居なくても生涯学習を続けられる子に育てる方法だと思うのです。
そして2つ目の反対する要因なのですが,
親に言われて外発的な動機付けに基づいて学習する子の多くは,どうしても
「将来少しでもいい進路に進めるから」
「少しでもいい企業に入れるならやっておこう」
などといった自分のために勉強することが多くなります。
他者に貢献できるという内発的な動機による学習をしてきていないのですから、当然学習する目的が自分の利益のためになるわけですね。
つまりこのような学習で学習を進めた子は得た知識をあくまで自分のために使うことに一生懸命になるわけで。
有名大学を出ても犯罪を犯してしまう人がいますが,まさしくこういうタイプなのではないかと思うのです。
自分のためになることしからやらない頭の良い人というのは,はっきり言って非常にやっかいなんですね。
ということで,私は子どもが動かない時に「勉強しなさい」という言葉がけはあまり良くないと思っていますし,親は子どもにとっての良いお客さんであることが最も重要なのではないかと考えています。
誰かの参考になれば幸いです。
本日も読んでいただき,ありがとうございました。
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