今回の定期考査で私のいる学校は初めて業者にテストを注文したのである。
これは働き方改革から来たものである。
テストの作成やまる付けは教員にとって非常に負担が大きい。
その負担を少しでも軽減するために始められた取り組みだったが、正直なところその出来はイマイチだった。
確かにテストの作成は楽だ。
業者が作った問題の中から選択していけばそれだけで問題が作成され,後日完成したテストが送られてくる。
しかしながら、その問題の質が低いのである。
どこの学校でも使えるような問題だから,当たり前ながら教科書の域を出ない。難しい問題となると教科書の隅っこの方に書いてある問題になっていて,思考力を本当に問うているのかが怪しい。
また大問を選ぶだけで小問までは選択することが出来ない。よって答えのかぶりについてはチェックできるが,「この問題の答えがむこうの問題文の中にある」という状態が頻発し,予想以上の高得点となった。
また授業には授業者の想いがつまっている。しかし,業者による画一的なテストではその想いを生徒達が理解しているかどうかまでは測れない訳である。
私的には「確かに楽だけど,もういいかな」というのが感想なのである。
では良いテスト問題とはどんなものなのだろうか。
改めて思うのだが私は以下の点を満たすものだと思う。
①授業で教わったことを活用して初めて解けるもの。
②生徒たちが知的好奇心を掻き立てられるもの。
③間違いが出るもの
④答えを知った後に「あ~なるほど!」となるような美しさや面白さがあるもの。
⑤それらに主体的に取り組んだ結果,生徒の記憶に残るもの
ではないだろうか。
そういう意味で今回の国語の問題が良かったのである。
今回国語科の意向も在り、国語では業者テストを採用しなかったのだが,熟語の成り立ちの分野でこんな問題が出された。
「友達が『親切は親を切ると書く。親を切るのがなんで親切なんだろう?』と言っています。あなたはこの友達にも納得してもらえるようにどのように親切の言葉の成り立ちを説明しますか。簡単に書きなさい」
これは良問である。なぜなら教科書の知識だけでは解けず,自分の頭を働かせなければならないからだ。
更に言うならば親切という字が「親を切る」という親切からは程遠い感じから成り立っていることにも気づかされる。
案の定生徒達はテストの後「あの問題どうかいた?」と休み時間はその話題で持ちきりだった。
ちなみに模範解答は
『「切」は「大切の切」でもある。よって,親を大切にする気持ちで人に接することが親切になるから』
というものだった。
しかし,生徒たちはこれにも納得しないようでさらに議論を進めていたのである。
彼らはこういう。
「じゃあなんで,大きなものを切ることが大切になるのか」
そう彼らは今度は「大切」の言葉の成り立ちに注目し始めたのである。熟語の成り立ちに注目しているという点ではこれ以上ない視点だろう。
彼らがそう言って私に「先生ならどう書きますか?」と聞いてきたので私なりにこう回答してみた。
「君たちはまだ分からないかもしれないが,もう中3だし…そろそろこういう話をしてもいいだろう。
世の中にはな,君たちが想像できないくらいひどい親ってのがいるんだ。
ある女の子はな,ずっと親からの暴力に悩まされてきた。
しかし,その暴力はある日突然止まる。弟にその対象が移ったからだ。
まだ幼い弟を救うためにはどうしたらいいか。姉は考え続ける。
そしてこう結論を出すんだ…私がやるしかない…と。
だから、今後そういう凄惨なニュースを見たときはこの言葉を思い出してほしい。
これがほんとの『親切』ってね…」
そう私なりに答えを返したんですけど。
生徒からは
「面白いとは思いますけど,そういうこと言う人とはそもそも友達になりたくないなと思いました」
って言われましてね。
友達の在り方まで考えさせる良問だなって改めて思いましたよね。
いやぁテスト問題って難しいですね。