近藤真彦氏のジャニーズ退社が話題である。
私は世代でもなんでもないのだが、哀愁を感じながらそのニュースを見ていた。
というのも、私の「初めて買ったCD」という人生における記念すべき購入品が、近藤真彦の「ミッドナイトシャッフル」だったからである。
当時「銀狼怪奇ファイル」というドラマが日テレ土曜夜9時からやっており、月曜日の小学校の話題といえば、そのドラマの話だった。
その中で流れる主題歌こそ、近藤真彦の「ミッドナイトシャッフル」だったのである。
我々6年3組のメンバーにはドラマ内で殺人事件が起こるたびに戦慄が走り、同時にその曲に夢中になっていった。
そして、毎週見ているうちに、私はそのCDがどうしても欲しくなったのだった。
お小遣いを握りしめ、大人しかいない駅前のCDショップに一人で入る。
アルバムよりも一回り小さいサイズのCDをコソコソと買った記憶は20年以上経った今でも私の記憶にハッキリと刻まれている。
さらに当時、「各クラスのリクエスト曲」なる時間が給食の時間にあったのだが、もちろん我がクラスは近藤真彦の「ミッドナイトシャッフル」をチョイス。
みんなで給食中に「天使のような〜悪魔の笑顔〜」と熱唱したのである。
しかし、歌声は一番で急に小さくなる。何故ならドラマ内で流れるのは一番までだったからだ。
曲は2番に入り、クラス内での歌声が小さくなった中で、一人意気揚々と歌い続ける男がいた。
それが、私である。
CDを聴きまくっていた私はすでに歌詞を暗記。なんならこのお昼の放送に向けて放送委員にCDを提供したのも私である。
ク「すごーい、なんで2番歌えるの〜?」
私「え、うん。たまたま知ってるんだー。」
そうクラスメイトに言い放ったあの時の優越感は今も忘れられない。
2番まで歌える俺、超カッコいい。
隠キャ街道をひた走っていた私にとって、近藤真彦は滅多に当たらないスポットライトを自分に当ててくれるありがたい存在だったわけである。
そんな近藤真彦が退社である。私はそこに寂しさを感じずにはいられなかった。
何より驚いたのはその年齢だ。
56歳。
もはや父親のような年齢の人間である。一昔前なら高齢者の部類の人間が、昨日までアイドルを職業として働いていた事実。恐ろしき文明の進化である。
私は思うのである。日本人はジャニーズを通して時の流れを感じるように出来ているのではないか、と。
身長を家の柱に刻んで確認するように、我々は自分の人生をジャニーズを通して確認する。そんなDNAが日本人には組み込まれているような気がしてならない。
25歳年下女性との不倫が引き金となり、退社となるマッチ。
「ギンギラギンにさりげなく」を歌っていた彼だが、引き際はけしてさりげなくないし、いうなれば『ギンギラギン』というよりは『ギンギン』だったわけである。
(ミッドナイトにシャッフルしてたとも言える)
今ハッキリと確認できたのだが、私もこういう低俗なことをいう立派なおじさんになってしまったわけである。
やっぱりジャニーズは日本人に経年を感じさせてくれる重要な存在なのである。