最近これ読んでて。
社会って美術史扱うんですよね。
だからアート鑑賞を通して面白い授業が構成できないかなって思って読んでたんですけど。
実際のところアートって社会情勢よりも、かなり個人的な気づきとか思い入れが反映されてるものが多いんですよね。
いくつかパターンあるなって思ったので描いておきます。
好きなものを描く
まずはこの好きなものを描くっていうやつ。
昔の人ってキリストと女性が大好きなんですよね。
もうピカソなんて浮気しまくりの、恋しまくりのスケベジジイもいいところですけど、それが明らかに作品に反映されてる。
(『泣く女』のモデルとか絵そのままだなって思いましたね。笑 志村けんもそうですけど、そういう恋心みたいなのって創作の原点なんでしょうね。)
他にも岸田劉生は自分の娘の姿描きまくってるわけですけど。
何にせよ、自分が好きなものっていうのは創作の原点になるので、大事にしないといけないなって思いましたね。
怒りを描く
あとこのパターンもあって。
歌川国芳なんかは幕府から禁止されたものを妖怪として描いて、隠喩しながら幕府を批判したりしている。
だから何かをつくる上で、こういう怒りってのも創作の上で、大事なんでしょうね。
新しい技術を取り入れて描く
モネって印象派として有名じゃないですか。
これがそもそもなんでそんなに注目されたかというと。
それは、
風景画で優れたものが少なかったから
みたいなんですね。
なぜかというと、昔はチューブの絵の具が無くてすぐ乾いてしまったから。豚の膀胱に絵の具入れてもすぐ硬くなってしまって使い物にならなかった。
だから、絵は室内で描くものだったところに、産業革命でチューブ絵の具が出来た。
技術が追いついたことでこの絵ができた訳ですね。
時代は常に変化してますし、例えば今ならVRとか3Dプリンターの技術が発展してきています。
そういうものをいかに取り込んでいくかが、教育の世界でも他の人をちょっとリードすることにつながるんじゃないかなと思いました。
終わりに。
私は授業作ったり、ブログ書いたりしてるんですけど。
改めて
『自分の心の変化を見逃さない』
『自分が気づいたことこそが強み』
ってことが何かを作る上では非常に大事だなって思いましたね。
ちょっと最近年度の初めでなれないことの連続で、心に余裕が無くなってるんですけど。
でも、自分の心に耳を傾ける余裕はもって、好きなこととか、自分が怒りを感じることとかを授業とかで表現していけたらいいなと思っております。
まっ気楽に頑張ります。
本日も読んでいただき、ありがとうございました!